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12月27日(木) 麋角解(さわしかのつのおつる) 旧暦11月21日
昨夜は夜遅くまで、おおいにしゃべって楽しいひとときだった。 飲み放題だったので、飲んで食べてしゃべって、ふらんす堂スタッフ、パートさんたち、外部からの助っ人さんで総勢九人の女子会だった。こうなると怖いものしらずである。 わたしたちの笑い声が店中に鳴り響いたと思う。 というわけで今朝は歩いて出社。 わたしの家の侘助よりも紅がつよい。 向こうから野良猫がやってきたぞ、と思ったら赤い首輪をつけた家猫だった。 むかしは野良猫によく出会ったがここ数年とんと姿をみかけなくなった。 新刊紹介をしたい。 大冊である。本書は現代俳句協会・青年部によるもので現代俳句協会70周年の記念事業の一つとしてものである。ふらんす堂がお手伝いをすることになった。高野ムツオ氏が序文を寄せ、青年部の神野紗希さんが「はじめに」と「おわりに」を書いている。新興俳句とは何であったか。新興俳句に関わりのあった44名の作家がとりあげられている。 あらためて新興俳句なるものを整理して考えるのによいテキストである。 今回のアンソロジーは新興俳句とは何であったかを、広角的にアプローチし検証することが目的である。担い手は新興俳句がそうであったように、二、三十代の若者が中心となった。既成の価値にとらわれない冒険や挑戦もまた新興俳句の精神を継ぐことにつながる。本書には俳句の未来をさぐる手がかりが無尽蔵であると信ずる。老若男女問わず、一人でも多くの俳句愛好者が手にとり、それぞれが目指す俳句の道しるべの一端となれば、それに過ぎる喜びはない。 序文に最後におかれた高野氏の一文である。 新興俳句とは、俳句は文学であるという意識のもとに、広く他ジャンルの表現に刺激を受けながら、さまざまな俳句表現の可能性を追い求めた昭和初期の文学運動を指す言葉だ。 神野紗希さんは、「新興俳句」を規定する。本書の神野さんによる「はじめに」は、新興俳句なるものをたいへん分かりやすくまとめてある。 俳句の新しさとは何か。答えのない命題を、とことん追求した若者たちがいた。彼らは用意されていた俳句らしさ(花鳥諷詠、客観写生など)の枠にとらわれず、詩や短歌や映画など広い文学の沃野に刺激を受けながら、自らの主題と方法を探し求めた。新興俳句運動によって、俳句の表現の可能性は大きく開かれた。きっと、彼らの生み出した作品は、私たちが俳句や文学、人生や社会について考えるとき、大いなる示唆を与えてくれるはずである。そし今、新しく俳句を作らんと求める者は、彼らの作品を見つめ直し、己の句が本当に新しいのか、問い直す必要がある。 ところが現在、彼らの句集の多くは絶版となり、新興俳句運動に関わった俳人の作品が読める書籍は非常に少ない。このままでは、新興俳句の成果が十分に検討されることなく、新たな読者の心を打つ機会も失い、俳句史の彼方に埋没してしまう。 現代に生きる人々が、新興俳句運動やその作家について知り、考える手引きとなるような本を作りたいと思い、このアンソロジーをまとめた。新興俳句作家四四名に関する評論と一〇〇句抄に加え、新興俳句にまつわる一三のコラムを収録した。執筆者はほぼ一〇~四〇代までの若手俳人。新興俳句運動も、多くは当時の若者たちの手によるものだった。時代を共有しない現代の若手が、彼らの作品をどう捉えるだろう。時代をへだてているから客観的に見つめられる部分も、同じ若者同士だからこそ分かり合えることもあるはずだ。 本書の意義が説き明かされている。本書に登場する俳句作家は44名であるが、その名前をみるとええっ、この人も新興俳句作家なのか、と思われる方もいるかもしれない。しかし、本書の魅力はそこにもある。「新興俳句運動に何らかのかたちで関わり、影響を受けた俳人をより多く取り上げることにした。(略)各俳人を新興俳句という文脈に置くことで、新興俳句が俳句界に及ぼした影響を、よりくきやかに捉えることができると考えた。」と神野さんは書く。 とりあげられた俳人たち。 本書のはじめに「現代俳句青年部選」による「新興俳句百句抄」がおかれている。 これをまず読んでみるのがおもしろい。 わたしは作者を隠して、俳句のみ読んでいった。 いったいどれだけの俳句を知っているかと。。。 百句には当然作者のダブりがある。 読んでみて、面白い俳句はたくさんあったが、いやはや知らない句の多いこと。 恥ずかしい次第である。 さて、このブログを読んでおられるみなさんはどうだろうか。。。 百句選のなかのほんの一部をここに俳句のみ紹介したい。 そしてその作者を当てて欲しい。 わからない作者は、是非この『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』をお買いもとめいただきたい。 俳句についての知識の整理になりけっこう勉強になります。 作家はダブル場合もあります。 では、 まいります。 来しかたや馬醉木(あしび)咲く野の日のひかり 一片のパセリ掃かるゝ暖爐かな 夏山と熔岩(らば)の色とはわかれけり 頭の中で白い夏野となつてゐる ひるがほのほとりによべの渚あり まつさをな魚の逃げゆく夜焚かな 朝焼の雲海尾根を溢れ落つ スケート場沃度丁幾の壜がある プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 白樺を幽かに霧のゆく音か 午前五時あざみにとげのなかりけり 汝が吊りし蚊帳のみどりにふれにけり 蛾の迷ふ白き楽譜をめくりゐる 重ねたる鉄の切口光り冷ゆ 山鳩よみればまはりに雪が降る ラガーらのそのかち歌のみじかけれ うららかな朝の焼麵麭(ト ースト)はづかしく 血に痴れてヤコブの如く闘へり あらはれてすぐに大きくくるスキー 目つぶりて春を耳嚙む処女同志 とりあえず百句より最初におかれた20句を紹介した。 どうです? 結構知らない作品があるでしょう。 知らなかったからってへこまないでください。 本書をひらけばこれらの句の作者のみならずその初出を知ることができます。 新興俳句運動がいかに多彩な作家たちを巻き込みながら展開していったか、それに驚いてしまいます。 本書の装丁は和兎さん。 小口より見える線は本書を読みやすくしている。 この輝かしい俳句の流れは、ここで途絶えてしまったのだろうか。そうではない。地下水脈となって浸透したのだ、そして、戦後、社会性俳句や前衛俳句のみならず、伝統を重んずる俳句にも受け継がれてきた。新興俳句は戦後俳句そして、現代俳句にとって欠くことのできない礎となったのである。 高野ムツオ(序文より) 書き手は、いま俳壇でビビッドな光彩を放っている若い俳人たちが中心である。 おひとりおひとりの名前はあげないが、書き手の顔も本書の魅力だ。 わたしは、新興俳句について結構狭い知識しか持ち得ていないなあって、あらためて思った。 本書は、多彩な作品にふれ得るものである。俳句をつくる人であれば、いやつくらない人も一度は目を通しておきたい一書である。 お正月休みなどにつらつらと読まれてはいかが。
by fragie777
| 2018-12-27 18:08
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