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12月19日(水) 旧暦11月13日
昨日のつづき。 これも革装の2冊。 手前の赤い革はアンドレ・マルローの『L'ESPOIR(希望)』だ。 へえーって目をみはる。 その向こうはすごく凝った革装である。 色が多様に使ってある。ジョン・ラスキン(LOHN RUSKIN)とある。 タイトルは「SESAME ET LES LYS」。 「セサムと百合」ってあるけど、セサムって何だっけとEさんに尋ねると「胡麻かな」と。 本の下方においてある白い用紙をみるとなんとマルセル・プルーストが訳したものらしい。 プルーストが翻訳をしているなんて少しも知らなかった。 それにしても美しい本である。 このラスキンとプルーストの関係については、友人でフランス文学者でプルースト翻訳に全身全霊でとりくんでいる高遠弘美さんに、パリより戻ってから聞いてみた。するとさっそく高遠さんはメールをくださった。 プルースト(1871−1922)はラスキンに傾倒し、二册の翻訳を出しています。 一つは『アミアンの聖書』(1904)、二冊目が1906年に出た『胡麻と百合』です。 ともに、プルーストがラスキンの美学から多くを得た大事な仕事で、『胡麻と百合』のほうは、亡くなった京都大学教授の吉田城さんが、筑摩から翻訳を出しています。 それも、ラスキンの訳ではなく、プルーストが訳した『胡麻と百合』そのものの訳を、厖大な原註とともに。 『胡麻と百合』の序文は有名な読書論で、ちくま文庫の『プルースト評論選 II 芸術編』に収録されています。 「プルーストがラスキンの美学から多くを得た大事な仕事」ってある。 ふーむ、そうなのか、、、 旅をしていて、こういうおもいもかけない発見に出会うのも楽しいことだ。 新刊紹介をしたい。 俳人・桑原三郎の自句自解100句である。 桑原三郎氏は、同人誌「犀」の代表で、赤尾兜子を師系とする俳人である。埼玉県入間市にお住まいで、農業をいとなんでおられる。自解を読んでわたしははじめて知ったのだった。それも代々つづく農家である。祖父であられた方は江戸末期農民一揆にも加わった方らしい。 諸葛菜農民一揆に犬がつき 傘(からかさ)連判状というものがある。多く江戸時代の農民一揆の際に首謀者を分からなくするため、一枚の紙に円形に署名捺印したものである。わが家にもそれが残されており、江戸時代も終わりの慶応四年の出来事であったことが分かる。祖父の話を又聞きしたところによれば、当時の領主・旗本何某の酷税に対して起こした一揆の証拠の品とか。多分一揆には犬などもついて行っただろうかと、わりと賑やかに。 (『不断』平成15年) さみだれや連判状に誤字当て字 前にも書いたが、わが家にある連判状を読み解くのは難しい。ここは古文書を読む専門家に頼まなければならないが、殊に傘(からかさ)判と言われる署名欄の字はかなり判読しづらく、難題であった。当時の識字率はかなり高かったのだろうが、誤字、脱字もあったのだろう。現代もあまり変わらないか。この連判状に関わった祖父は八十七歳で世を去ったが、この件に関しては口が固かったようで、日記などは残していない。(『夜夜』平成15年) わたしの郷里は秩父であり、秩父困民党による秩父事件は農民一揆としてよく知られている。秩父事件は、農民だけでなく自由党員も加わったことによって、自由民権運動の一つとして評価されているらしい。らしいとはお恥ずかしい次第だが、秩父で暮らしている少女時代は全然知らなかったことである。後に、秩父に遊びにきたボーイフレンドがちょっとそういうことに興味のある男子で、「多分君んとこは、抑圧した側だと思うよ」って言われて、そうか、、、とややうなだれたのだが。。。 桑原三郎氏のおじいさまは、連判状にも名を連ねた方であったのだ。「この件に関しては口が固かったようで、日記などは残していない。」と、結束と覚悟の強さを思わせるものがある。きっと非情な状況だったのだろう。 ほかに、 兜子亡しこの春寒くまた白く 昭和五十六年三月十七日、赤尾兜子急死。当時の日記に短くこう書かれている。あまりにも突然だった兜子の死の報せに、びっくりして言葉もない程だった。が、少しほっとした気分があったのも事実。それは死に至るまでの兜子の痛々しい病状が「渦」誌から伝わって来ていたからでもある。この句は兜子の「空鬱々さくらは白く走るかな」に思いを寄せて作ったもの。 兜子と言えば「蛇」の句が一番。私が何故「渦」に参加したのかと問われても、いい答えが浮かばなかったが、これからは私は蛇が好きだったから、と言っておこう。(『花表』昭和55年) 巻末の「俳句を作る上で大切にしていること」は、季語、旧カナ、喩などについての考察もあるのだが、やはり農業にたずさわる人らしく最後におかれた文章を紹介しておきたい。 最後にこれから詠まれて欲しい俳句について少し述べてみます。農業に関わる俳句がこの頃大変少なくなっているということですね。歳時記には多くの農に関わる季語が載せられています。例えば春の部には春田、耕、畑打、農具市、青麦、春大根、春菊、厩出し、種選、種物、物種蒔く、苗床、苗札、芋植う、桑解、種浸し、苗代、種蒔、水口祭、畦塗、桑摘、蚕、茶摘、製茶などなど。 馬鈴薯を植う汝が生れし日の如く 石田波郷 うしろより風が耳吹く種選み 飴山 實 苗床の大き足跡あかねさす 福田甲子雄 縄ぼこり立ちて消えつゝ桑ほどく 高浜虚子 何れも歳時記から引いた句です。昔の農に勤しむ人々の姿が見えるようですね。広々と開けた田畑に点々と農に勤しむ人達の姿があったその時代は良かったですね。戦後、と言ってもすでに七十年が経ち、私達日本人の生活環境は激変しています。(略) これから新しい環境に立つ農村の風景は、どう詠んだらいいのでしょうか。みんなで考えてみたいと思うものです。 今日の夕方のことである。 スタッフたちがくちびるが乾くって話している。 「わたしさあ、くちびるが乾くってこと経験したことないのよ」って言うと、びっくりされた。 「ええ、それって本当ですかあ」 「わたしなんか同じ製品の色を変えただけでもくちびるが荒れてしまうんですよ」 「じゃあ、リップクリームなんていらないですね」 「そうなの、リップクリームってなんで使うのかわからなかった。口紅なんてさ、どんな安いのでもへいちゃらよ」 「それは幸せもんですよ」とスタッフたちはちょっと驚き呆れている。 そういえば、ついこの間友人たちとおしゃべりをしているときも「くちびるが乾くことない」って言って驚かれたことを思いだした。 ツラの皮も乾かないし、くちびるも乾かない。 なんだか凄いオバサンでしょ。
by fragie777
| 2018-12-19 19:32
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