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12月6日(木) 旧暦10月29日
パリではノートルダム聖堂につぐ2番目の大きさであるという。 ![]() ドラクロア作「ヤコブと天使の闘い」(1856)。 この教会の近くに「ドラクロア美術館」がある。 一緒に歩いていたEさんが、「これがあの『ダ・ヴィンチ・コード』に書かれていたヤツですね」と言う。 真鍮の子午線とオベリスクである。 「ああ、そうだったかも……」『ダ・ヴィンチ・コード』は読んだが、すっかり忘れていた。 「フーン」とあらためて見上げる。 ![]() 大理石に彫られた模様が面白い。 立派なパイプオルガンがあって、コンサートも開かれるという。 近くにはサン・ジェルマン・デ・プレ教会がある。 そこに合理主義哲学の祖といわれるルネ・デカルトが眠っている。 わたしたちはそこに向かったのだった。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、三森鉄治句集『山稜』より。6日目である。 冬銀河いのち支へるものに死も 三森鉄治 2014年、五十五歳で末期癌が判明。三森は許された短い命を生きることになった。その翌年の句である。死によって命が支えられる。一読矛盾しているようだが、死が目前に迫るからこそ懸命に生きようとした。句集『山稜』から。 筑紫磐井さんが「俳句四季」12月号に掲載のコピーを送ってくださった。 実は「俳句四季」は寄贈してもらっているので手元にあったのだが、コピーをもらうまで気づかなかったのだ。 なんと、「第一句集シリーズ」を読んでと題して、ふらんす堂の第一句集シリーズのことについて書いて下さっている。 (あら、まあ!)とさっそく読んでみた。 見開き2頁の記事であるが、半分は第一句集シリーズが刊行となったことについてだ。かつてわたしが勤めていた牧羊社のことなどに触れながら、この企画がわたしが編集者勤務時代に担当した処女句集シリーズを彷彿させるものであり、その処女句集シリーズが「わたしの原点であり」、この第一句集シリーズは「青春の復刻版」のようなものである、と書かれていて、なんだかこそばゆいような感じがしてくる。そう言われてみるとそうかも、とあまり意識したわけではないが、かつての処女句集シリーズがひとつの基準となったことは確かである。 筑紫磐井さんが後半に指摘されているように、なんとか安価な形で若い人のために句集を刊行することはできないだろうか、という相談を小澤實さんや片山由美子さんから受けて、それではと立ち上げてみたものだったからである。 小澤實さんも片山由美子さんも処女句集シリーズの参加者であった。やってみましょうか、と言ったわたしの胸には小澤さん、片山さんをはじめたくさんの素晴らしい俳人を輩出した処女句集シリーズの輝きがあったことは否めない。小澤實さんの胸にもきっとあったと思う。 (今の時代にこういうシリーズでどのくらい若い人が参加できるか)そういう思いは今もあるのだけれど。 筑紫磐井さんは、第一句集シリーズより三つの句集を紹介してくださった。 いま発売の「俳句四季」12月号に掲載されていますので、是非にご覧ください。 新刊紹介をしたい。 話題の第一句集シリーズより。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 第一句集シリーズ。 著者の伊藤隆(いとう・たかし)さんは、昭和49年(1974)名古屋市生まれ、名古屋市在住。平成23年(2011)「鴻」会員、平成30年(2018)「鴻」新人賞受賞、「鴻」同人。俳人協会会員。序文は「鴻」の増成栗人主宰が寄せている。 増成栗人主宰の序をすこし紹介したい。 さへづりや筆の穂に墨たつぷりと 墨書して雪のいよいよ本降りに ゆつくりとゆつくりと墨磨りて冬 弘法は筆を選べり春の雷 春疾風筆に背中のありにけり 篆書には筆順の無し蝌蚪生るる 伊藤隆君は前述の通り「伊藤雲峰」と号を持つ「雪心会」所属の書道家。読売書法展、雪心会書作展、三重県展等、多くの書展での入賞、入選も数多くあるが、特記すべきは二〇一四年の「日展」での入選。四十代初めの気鋭の書道家である。そのこともあり、本書の四分の一ほどが、己が墨書の姿勢を、己が息遣いで詠っている。抽出したものは初学時代の作品であるが、書へ向う著者の静かな心構えが、無理のない表現で打ち出されている。 桜井線ゆくまほろばの枯田中 蛸足をぶつぶつ切りて日の暮るる 冬銀河濃し生ハムと赤ワイン 髭剃りのムースむくむく夏に入る 半熟の卵のやうな熱帯夜 書の世界も俳句の世界も、ときには長い忍耐が要求される世界だと思っている。著者にもその時期があり、いまも続いているのかもしれぬ。しかしその忍耐を些かも外部には見せぬしたたかな明るさが著者にはある。このやわらかさと明るさが伊藤隆という作家の天性であり、生きる姿勢であろう。 増成栗人主宰が書いているように、伊藤隆さんは書家である。句集を読んでいくと、「筆」「墨」「書」という文字がかなり多く出てくる。書家の方の生活が階間みられる程である。「筆まかせ」という句集名の由来に納得する。 本句集の担当はpさん。 紙魚二つ隠して筆を入れにけり 光集めよ無花果もまだ熟れぬ 筆掛けの筆の毛ふはと春立てり 涼新た筆に迷ひのなかりけり 波静かなり緑蔭の船隠し 湯上がりの眼鏡曇らす良夜かな 波静かなり緑蔭の船隠し この句は増成主宰も挙げていた句である。書家としての自身から離れた一句だ。眼前の風景を詠んだ一句だが、「波静かなり」と波の静けさをまず言い止め、見えている大きな緑陰の向こうに船が隠れていると、もう、こういうことを散文でいったらなんの魅力もなくなってしまうのだけれど、この一句の叙法がリズムを湛えて読み手の胸を打ってくるのである。韻文であることの力を思わせる一句だ。心地よく韻も踏まれている。 筆掛けの筆の毛ふはと春立てり 「筆掛け」は「筆懸」のことで、「筆をもたせかけておく具。書架」と広辞苑にある。書家にとって筆はとても大切なものであるはず。わたしが小さい頃お習字をならったとき、わたしのお習字の先生は、使った筆はきれいに洗うように指導したのだけれど、そうでないというと教わった友だちもいて、使った筆を墨のついたまま固めておいて次につかうときそれをそのまま墨にいれて使うって言われて驚いたことがあった。書道については本当に無知なんだけれど、きっと伊藤隆さんは、筆をきれいに洗っておく書家であるのだと思う。洗っておいて乾くと筆は空気をいれて広がっていって、たんぽぽのワタのようになる、っていうと違うっていわれそうだけど、「筆の毛ふはと」でそんな感じしません?柔らかくて軽くて飛んでいってしまいそうな、いやいや飛ぶわけない。だから代わりに春が立った! 勝手にそう思うと楽しいでしょ。 もらひ泣きせり木犀のよく匂ふ わたしはこの句が好きである。書をテーマにした二句につづいておかれている。優しい人なんだなあ、伊藤隆さんは。何に「もらひ泣き」をしたのだろう。そのことは語っていない。ただ、強く木犀が香っていることだけが語られている。泣くっていうことは、こう鼻をすすったりするわけだから、涙をふきながら思わず鼻から息を吸い込んだとき、木犀が匂ったのだ。感情の起伏に木犀の香がはいってきた。貰い泣きをしている著者をとりまく世界はとてもシンプルだ。何の夾雑物もなくただ木犀のみがよく匂っているのだ。そのシンプルさは、世界に向き合う伊藤隆さんの心のシンプルさに響き合っている。 出来栄えの良い書作品は、肩の力をぬいて、筆まかせに筆を運ばせて生まれたものではないでしょうか。「鴻」主宰・増成栗人先生には、私が書を志す人間であることを思って、「俳句も書も空間が勝負だ」とご指導いただきます。その心得は、私の指針になっています。そして、「筆まかせ」という書の心得を俳句の世界で活かせたら、という願いからこの初句集のタイトルを「筆まかせ」といたしました。『筆まかせ』には、書にまつわる句を多く収めています。自分の身辺に、いかに書が深くかかわっているのかを再確認した次第です。 「あとがき」より。 本句集の装幀は和兎さん。 やや、青みかかった深いグレーの色である。 日本の伝統色の「灰青(はいあお)」という色である。 この著者にふさわしい色だ。 木枯や両手に持てぬ荷を背負ふ あるときは若々しい青春性で、あるときは一歩退いた静かな眼差しで己が暮らしを詠う伊藤隆君。 人としてのぬくもりとやわらかな芸への執念を持つ著者ならば必ず新しい道は展ける。 序文より。 ゆつくりとゆつくりと墨磨りて冬 この一句、好きである。姿勢よろしく墨を磨る著者の姿を彷彿させる。最後のおかれた「冬」は単に冬になったということではなく季節の巡行のなかでゆっくりと季節はめぐりそして冬となった、というたっぷりとした時間を踏まえているように読んだ。「ゆつくりとゆつくりと」という措辞には、そういう時間がふくまれている。時間を超えて墨を磨りつづける著者。書に向かうということはある意味時間を超えた心持ちで向かうことなんだろう。なんだか羨ましい。あくせくした日常、きちがい沙汰のように飛び回っているyamaokaには逆立ちしても手に入れられない時間のような気がする。この一句をながれる気息、心底いいなあ……。 今日はお一人お客さまが見えられた。 2017年に句集『冬の虹』 を上梓された花輪とし哉氏である。 花輪氏は、もと「萬緑」同人。 大学では経済学を教えておられた学者さんである。 「中央評論」(中央大学刊)に何年にもわたって書きためてこられたものを一冊にすべくご相談に見えられたのだ。 内容は主に子規について、そして師である中村草田男について。 子規については、経済学者としての視点が働いてなかなか面白い。 草田男については、おもに草田男が晩年帰依したカソリック信仰との関係をみる。 花輪氏自身もカソリック信徒である。 花輪とし哉さん。 奥さまは、花輪佐恵子さん。 ふらんす堂から句集『十字花』を2007年に上梓されている。 担当のPさんといろいろと打ち合わせをしてお帰りになられたのだった。 「安藤忠雄の街の一角が仙川にあると聞いて、そこに寄ってからこちらへと思いましたら、迷ってしまいました」と花輪とし哉さん。 あいにく今日は寒い日となった。 マフラーを巻きオーバーをしっかりとお召しになってご来社くださったのだった。
by fragie777
| 2018-12-06 20:53
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