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12月4日(火) 旧暦10月27日
オランジュリー美術館があるチュイルリー公園。 この日は寒かったがよく晴れていた。 オランジュリー美術館。 わたしは二度目。 有名なモネの睡蓮と印象派の絵が中心にある。 コンコルド広場を一望する。 入口。 睡蓮の間。 階下には印象派を中心にフォービズム、キュビズムを経て1930年のパリ派までの作品がある。 ほかに特別展として現代美術の作品など充実した美術館である。 とくに現代美術が面白かった。 その一つ。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、三森鉄治句集『山稜』より。4日目である。 夏の蝶少年を連れ去りしかな 三森鉄治 時の彼方の少年時代を懐かしんでいるのだ。あの少年は夏蝶を追って、どこかへ行ってしまった。そして今も行方不明のまま。かつての自分への追悼句といってもいい。その少年を追うように三森もこの世を去った。句集『山稜』から。 新刊紹介をしたい。 詩人安藤まさみさんの詩集『ルイス・キャロルのように』に次ぐ新詩集である。安藤まさみさんはその前に上梓した詩集『七月の猫』で、中日詩賞新人賞を受賞されている。1937年、台湾高雄市生まれ、名古屋市在住。前詩集より4年目の刊行となる。 詩集より、二篇ほど紹介したい。 アリョーシャ いま本を読むひとに会うことは まれである きのう地下鉄にいた 若い男 目が生きている べつの世界にいる 脳細胞が活発にうごいて 頁を繰るのがはやい どんな本を読んでいるのだろう 黒い栞がはさまれていた 山手線にゆられて わたしもあんな目をして本を読んで いたのだろうか ドストエフスキーに夢中だった 長い名前にうんざりしながら いつか好奇心に火がついた 混沌とした闇のなかを 奥へ 駅名も耳に入らず 山手線をもうひとまわりすることに いまドストエフスキーは遠く 闇は あの輝きをうしなった でもとびきり美しい名前がのこっている アリョーシャ ある日 兄のイワンが語った話 小さな罪を犯した子どもを裸にし ボルゾイをけしかけた領主 子どもはずたずたに食いちぎられた どうすればいい? 銃殺にすべきです アリョーシャは低い声で呟いた 怒りにかられ 思わず口にしたのだと いまはわかる 神に背いたのではない それではお前はどうするのだ 遅れてきたアリョーシャのまえに カラマーゾフの亡霊が 立っていた 小さな隣人たちと 何してるの 草むしりだよ すこし生意気なお兄ちゃん やさしい弟は 隣りで 土をほじくっている ぬけないよこの草 手のなかの草をもてあましている お兄ちゃん 地面がこちこちに乾いている わたし 代わるわ 自信なんてなかったけど 握りしめた草の束を 力をいれ 両手で引く だめだ でもやめるわけにはいかない 思いきり引っぱり ゆさぶる わっ、抜けた お兄ちゃんが叫ぶ わたしは無言で 立ったまま 弟がにこにこ見ている ありがとうございました 生意気なお兄ちゃんの はじめて聞いた 敬語だよ 目が輝いて見えた やれやれと両手をはたきながら 子どもにはやって見せるしかない どこかの細い血管が プツッと切れたとしてもね それにしても固い地面だったが 腰はなんとか堪えた 安藤まさみさんは、生活のなかに小さな物語を見いだし、それを丹念に詩として表現していく。また彼女の脳細胞に蓄積されたさまざまな物語をとりだして、それを現在の光のなかで見つめ直す。あるときは彼女の記憶の断片が叫びだして、彼女を落ち着かなくさせる。そういう時に詩を書くのだ。自身のなかにあるなにかを鎮めるために。 「終わりに」と書かれた文章を抜粋して紹介したい。 酷暑の日々、めずらしく朝の涼しい風に誘われ、久しぶりに県の美術館を訪ねた。横浜美術館でルイーズ・ブルジョワの個展があったことをうっすら憶えていて、その時の図録を見たかった。 ブルジョワの彫刻は、子どもの頃の心理的外傷、恐怖、不安、憤りなど、充たされなかった欲望の集積だと言われる。彫刻は隠喩的な言語であり、「かたち」の操作が癒しの手法になると彼女は言う。 遠いと思っていた彫刻の世界がふと身近に感じられ、子どもの頃の粘土遊びがよみがえるようだ。 「ここに展示された作品は長い年月にわたって生み出されたもの、私は長距離ランナーで、孤独なランナー、それが私の好きなやり方なのです」とブルジョワは語っている。 写真でみる、ほっそりと美しい女性が、あの大胆で力強い作品を創り、人々を驚かしたのだ。批判もたっぷり浴びただろう。 彼女は結婚し、二人の息子がいて、九十八歳まで生きた。老いた姿で作品に向かう写真もある。 代表作である「ママン」という巨大な蜘蛛の彫刻が、六本木ヒルズに設置されている。「ママン」は幾つもの卵を抱えているらしい。 「誰でもみんな、語るべき物語をもっているのです」とブルジョワは言う。私はそれを語ることができただろうか。 本書の装丁は、前回にひきつづき和兎さん。 「素敵な本になって嬉しいです」と安藤まさみさん。 もう一篇、詩を紹介したい。 プール 溺れかけたことがある 泳ぎを習い始めたばかりで さそわれて 屋外のプールに入った しばらく泳いでいて 足が底につかない こんなはずではなかった まわりにひとがいるのに こえを上げても 気づいてくれない プールサイドの椅子に 若い女性がいた ピンクの花模様の水着 おやとわたしに目をとめて そのまま見ている なぜ どうして どうしてなの ひとは黙って見ているのだ シュラバを こんなおもしろいものってない 思いだすと 気がとおくなりそう あの絶望感 プールの壁に手がふれて たすかったが あのときわたしにさしだされた手 夏になると 透きとおる風のなかで いまも かすかに 振られている 今日はこれから友人たちと一杯やることになっているので早めのアップ。 車を置いて帰ることになるが、幸いなことにあたたかな冬の日である。
by fragie777
| 2018-12-04 18:54
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