カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
12月3日(月) 旧暦10月26日 パリ・オペラ座の天上に描かれたシャガール。 この絵をずっと見たいとおもっていてやっと念願がかなった。 絢爛豪華なオペラ座でみるシャガールは、そこだけ違和感がある。 なにゆえシャガールだったのか、ふっと異質のものが天上にはりついてしまった、そんな感じがした。 絢爛さに責め立てられるようにしてやや気持ちが疲弊してしまう、そんなときに見上げるシャガールはやさしく軽やかで、まるで音楽そのものだ。 シャガールの作品をあまり意識したことはないのだが、オペラ座のシャガールは素晴らしい、と思った。 前にパリに来たときは、この近くに宿をとったので、オペラ座はなつかしい場所だ。 車と人が行きかう賑やかな場所。 人間はどんどん古くなっていくのに、すこしも変わらない風景がある。 讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、12月1日より10日間にわたって、三森鉄治句集『山稜』をとりあげてくださるようだ。 昨日、2日分を紹介したが、1日と3日の今日も紹介されている。 1日は、 桐一葉ぎいと音して虚空より 三森鉄治 天下の秋を知らせる桐の葉が一枚舞い降りる。舟がきしむような「ぎい」という音を心の耳が聞きとめた。三森鉄治、二〇一五年秋、才能を惜しまれながら他界。享年わずか五十六。九月に出版された句集『山稜』の十句をみてゆく。 3日の今日は、 砕かれて日へこぞり立つ氷かな 三森鉄治 たとえば人間の力で粉々になった氷。そのかけらがみな太陽を向いて輝いている。「こぞり立つ」という言葉に、ぞくぞくする感じが今もある。こうした激しい感受性は、持ち主に必ずしも平坦な道を歩ませない。句集『山稜』から。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 180頁 俳人・大牧広の第十句集となる。平成28年から30年までの作品を収録。大牧広氏は、いまふらんす堂の連載サイト「俳句日記」を担当されておられ、精力的にとり組んでくださっている。句集名「朝の森」については、「あとがき」にこんな風に書かれている。 なお「朝の森」という平明すぎる書名は、今から六十年近く前に初めて「馬醉木」の句会へ出席したことによる。三句提出で「噴水や遠くめぐらす朝の森」他二句を提出した。 当時選者であった水原秋櫻子先生は、この「噴水」の句を特選で採って下さり、他の二句については「同じ作者と思えないほどひどい」という講評をされた。 喜んでよいのか嘆いてよいのかわからぬ複雑な気持で帰宅した。 水原秋櫻子先生が褒めて下さった「朝の森」、この言葉を現世に居る限り「生かしてみたい」、そんな気持での本集である。 本句集において、大牧氏は過去と現在を自在に往還する。 目の前の嘆きや喜びが詠まれていたかと思うと、かつての戦争体験がリアルに立ち上がる。 それは氏におけるきわめて自然な心情の発露ゆえにわたしたちは、おのずと引き込まれてしまうのだ。 氏の怒りはわがこととなり、氏の愁いはわがこととなる、市井に生きる人間の日々のありようが俳諧の形式を通して真率に詠まれている句集である。歴史認識をつねに持ちつつ、我々人間がどこに行こうとしているか、日本の行く末をふくめその危惧もしんしんと伝わってくる、氏の渾身の思いをこめた一冊である。 好きな句はたくさんあるが、抜粋して紹介したい。 無駄な日をむしろ愛して蜆汁 おぢいさんとは吾のこと大花野 目薬に目を溺れさす白秋忌 マフラーを明るめにしてみしものの 着ぶくれてしまへば老の天下なり 世の中を見直すための膝毛布 開戦日が来るぞ渋谷の若い人 正論が反骨となる冬桜 横顔を冬日に預け世を許さず 春の午後とは一生の午後であり 初音して便意正しきこと祈る ポストまでカートを曳いて聖五月 どの人もすこし不幸や祭笛 夏の磧にこの世の鴉歩きゐし 戦前のたかぶりをふと十二月 枯葉踏むかさりかさりと信じたき 一月二日修正液をもう使ふ 鋤焼の大きな肉や台東区 かと言つて不幸ではなし大マスク 遠目にもしかと巣箱の新しく ああ四月視線をせめて海へかな 五月なり古書の香りは木の香り 朴咲くや来世はすこし遊びたき 父とつくりし防空壕よ八月よ 秋の金魚ひらりひらりと貧富の差 うなだれるために伸びゐて猫じやらし 敗戦の年に案山子は立つてゐたか 無駄な日をむしろ愛して蜆汁 この一句、「蜆汁」がいい。ほかのどんな季語よりも「蜆汁」によって気持ちが決まった。無駄な日や無駄な時間が大切であることはわたしもわかるし、結構いろんな人にも「無駄な時間が大切よ」なんて言っているし、効率的であることばかりを追求していくと人間が痩せてしまうっていうこともある。だから、よくわかるのだが、わたしの今の生活からいえば、わたしが言ったら大いに嘘くさい。そんだけアクティブに動いてどこが無駄だって言われそう。しかし、大牧先生は、「蜆汁」を啜りながらつくづくとそう思っている。蜆汁は吸い物としてはどこか虚しい。だってあんなに蜆が入っていてもその蜆はいちいち食べることもかなわず(食べたっていいけどそう美味しいものでもない)しかしその汁には蜆の滋養が豊かに溶け込んでいるのだ。そんな一見地味な蜆汁を吸いながら、効率や利益にはつながらない日を愛おしむ。こういう感慨もある年齢にならないとなかなかそうは思えないのかもしれない。無駄と思える日もあの味の濃い蜆汁をのめば、もうそれだけで十分な気持ちにさせられそう。無駄な日も、蜆も愛されている。 世の中を見直すための膝毛布 この一句には大牧広の反骨精神が宿っている。「膝毛布」は、体の下半身をつつみ温めてくれるもの。膝毛布をかければ気持ちも緩やかにリラックスしてきて、おもわず眠くなってしまう。気持ちを安心させるためにも膝毛布は必要である。しかし、大牧広の精神は覚めている。膝毛布をかけて寒さから心を解き放った時にこそ、頭は冴え渡らせて、この世の行く方を見据えるのだ。そして異議をとなえようといつだって戦闘態勢である。老いても精神は老いず、あっぱれだと思う。 秋の金魚ひらりひらりと貧富の差 この一句も面白い。「秋の金魚」が季語。下五の「貧富の差」で夢から覚めるように現実をつきつける。イの音が一句を支配していて、言葉の調子がよくできているのだが、下五の言葉への導きは、大牧広ならではのものだと思う。つまり、どこか「貧富の差」への怨念のようなものが氏の心に根強く巣くっていて、それが上五中七の言葉の運びによって導き出されたのだと思う。貧しかった子ども時代を経験した氏の心には忘れぬことのできぬ「貧富の差」への苦い思いがあるのだ。 敗戦の年に案山子は立つてゐたか 昭和6年(1931)生まれの大牧広氏は、戦争体験者である。そのことを氏は何度も繰り返して俳句に書き、文章にもつづる。敗戦の年を経験した人間であり、そういう人間は少なくなりつつある。敗戦の焼け野原に立った大牧広氏。農作物の生産に欠かせない案山子の存在は重要であるが、はたして日本の状態はどうだったのだろうか。案山子さえ吹き飛ばされて荒野となりはててしまったのか。そう問わせるのが戦争であり、敗戦というものだ。氏は戦争があったということを、それがいかに悲惨であったかということをわたしたちに思い起こさせる。俳句という形式をとおしてもそのことを言い得ることを氏の俳句が語っている。そしてそれもまた俳諧の力であると思う。 筆者は、たまたま戦争時代が始まった昭和六年(この年に日中戦争の引き金になった満州事変が始まった)に生まれて、それから支那事変(政府はなぜか「戦争」という言葉を避けて「事変」という言葉を使った)、つまり「時代」「世」というのは戦争があってあたりまえであった。「平和」という言葉、概念を理解したのは、日本が世界に向かって、無条件降服を宣言した日からである。 こうして、必然的に戦前、戦中の俳句にこだわるようになった。人事句や写生句又は社会性俳句にもこだわるようになった。 本当にあったことを核にして、そこからさまざまな形の俳句へと派生していく。派生してゆく俳句でも私が必ず問うのは、そこに、人の息使いがつたわるかどうかである。 シリーズ自句自解II ベスト100 『大牧広』の「大切にしたい山河・自分」より。 本句集の装幀は和兎さん。 表紙は深緑の布クロスに白の泊押し。 扉。 花切れはグリーンと白。 夏しんと遠くめぐらす朝の森 どうか、きびしくやさしく読んで下されば八十七歳の私にとって、こんなうれしいことはない。 「あとがき」より。 一本の芒諦めてはをらず 一本の芒にわが身をたくして表現した。 このか細い芒には大牧広の意志と気魄がすみずみまで行き渡っている。すでに年老いてしまい、一本の芒のようにか細い存在となりはてたが、まだまだ決して諦めない、という不屈の闘志が見える。 この心意気が、本句集『朝の森」をつらぬいているものだとわたしは思う。 その精神をかたちにするものが、大牧広にとっては、俳諧なのだと思った。
by fragie777
| 2018-12-03 19:54
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||