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11月30日(金) 旧暦10月23日
セーヌ川で絵を描く人。 この日はコンシェルジュリーで「フランス革命」について予期に反して学ぶことになり、ノートルダム聖堂の前で眼鏡を落とし大慌てで拾って、聖堂の傍らをとおりすぎるとき壁面のガーゴイルたちをひやかし、Eさんとふたりマレ地区にむかった。 マレ地区。 ここは若者たちに人気のファンション通りであるらしい。 友人のMさんは、この一帯のいくつかの店で買い付けをするべく、すでにわたしたちと別れている。 Eさんとわたしはのんびりとウインドウを覗きながら歩いていく。 マレ地区は若者の活気で溢れていた。 古い建物にでくわす。 どうやら14世紀に立てられた中世の建物らしい。 その脇の路地を抜けていく。 ヨーロッパにあるこういう細い路地が私は好きである。 あると入りたくなる。 スペイン・トレドの細い路地などを思いだしてしまう。 いろいろな落書きやポスターも面白い。 美しいドアも見つけた。 この道をまっすぐに行き、石のアーチをくぐるとヴォージュ広場である。 パリで最も古いとされている広場である。 王をはじめ貴族たちの館で取り囲まれている。 先方にみえる赤い建物はそのひとつ。 この広場面した建物の一郭にヴィクトル・ユゴー記念館がある。 そこでMさんと午後一時半に落ち合ってランチを摂ろうということになっているのだ。 さて、今日も新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 196頁 本書は、著者の富山珠恵(とみやま・たまえ)さんの『螺旋を巡る 上田睦子の世界・私の世界』に次ぐものであり、姉妹篇と言ってもよいのかもしれない。ともに句会をしている俳人・上田睦子の俳句をとりあげてそれを鑑賞するというスタイルは変わらない。上田睦子は、加藤楸邨に師事をした俳人である。句集は二冊、『風の歌』(1987年刊)と『木が歩きくる』の二冊、ほかに私家版句集が三冊ある。『風の歌』は牧羊社勤務時代にわたしが担当した句集であり、『木が歩きくる』はふらんす堂刊行、わたしにはご縁の深い俳人である。「上田睦子は加藤楸邨の主宰する、「寒雷」の長きに渡る同人である。俳句の世界で「同人」になるのは容易い事ではないのだが、彼女は句会には殆ど出席をせず、出句のみで過ごし てきたと聞いている。」本書の「後書き」で富山珠恵さんが書いているように、「寒雷」においても上田睦子という俳人は特異な存在であったようだ。ひとり楸邨のみがその才能を評価していたとも聞いている。その孤高ともいえる俳人に、著者の富山珠恵さんは真向かいに対峙してその作品を読み解いていく。 本書は、全体を六つの章に分けている。「Ⅰ紙雛」「Ⅱマリアの汗」「Ⅲ師とハタハタ」「Ⅳバッハなりき」「Ⅴ無季の句ばかりを」「Ⅵ終の三句」、Ⅰは春の句、Ⅱは夏の句、Ⅲは秋の句、Ⅳは冬の句を選出してある。目次はすべて上田睦子の俳句となっている。一句について1頁から3頁ほどの鑑賞がほどこされている。 それぞれからいくつか紹介したい。 在るてふは小枝に咲きし梅一輪 不意に梅が香ったのだ。まだ冬が終わったとも思えない寒さの続く毎日。春はいつの間にそこに来ていたのか。 季節の移ろう境に一番に春を告げるのが梅の花。その凜とした香りをいち早く聞き取ったのだ。たった一輪でその存在を知らしめた花の、何と可憐で健気なこと。 存在とは不思議なものだと思う。普段は気にも留めずにいるのだけれど、無くなって初めて、在ることの意味を切実に感じるものらしい。不在は日常の安心を断ちきる役目をしているのかも知れないと思う。 見えていながらそれと意識されていないものを、言葉に截りとるのが詩人なのだと誰かが言っていた。人は日々の雑事に追われて精一杯暮らさざるを得ないのであれば、詩人の役割は存外大きいのかも知れない。 句会では花は紅梅という見方もあったけれども、私はここでは白梅と思いたい。 すでに梅蕾ひとつの枝いけて 最初の句では梅の香を、この句では梅の個性がたった一つの蕾ではっきりしていると言っている。 しゃくとりや屈伸の果て空を抱く 出会った瞬間、禅問答に出会ったような心持ちのする句である。 空とは虚ろ、つまり虚無を辞書で引けば、むなしい事、形なく何物も見えず聞こえない事とある。 これは常人にとって、実に耐えがたい事態なのだ。虚ろと死とは感覚の上で近しい関係にあるのだから。いや死してなお何者にも縋れないとなれば、その寂寥はどれ程のものであろうか。 掲げた句に戻る。細い木の枝で尺取りが一心に屈伸運動を繰り返しているのだ。目的に向かって飽きもせず根気よく、遅々たる進歩を頼みに前進を止めない。作者は尺取りにおのれの姿を重ねて共感を寄せている。 睦子の以前の句に、 尺蠖の捨ててはたぐる己かな というものがあった。この句にある根気強さ、儚いとはいえ希望の様なものは、最初に掲げた句では消えてしまっている。 抱くのはただの空であると知りつつ、この虫はその運動を止めることはない。いや続けざるを得ないのだ。ちょうど一度生を受けた人間が、その生を全うせざるを得ないのと同じに。 尺取り虫は木の枝に擬態をして生きている。見たところ愛らしくもない、只の棒状の虫である。取りようによっては、揶揄とも見えるかも知れない句ではあるが、作者の人柄にその様な意図は存在していないのである。 擂鉢擂る螺旋のびれば銀漢に 同じ作者に、 蕗味噌練る鍋は宇宙の円の底 という句があった。 初めてその句を目にした時、誰でも鍋底というごく卑近なものと、宇宙という広大で、どうかすると哲学的な意味合いを持つ取り合わせの、あまりのアンバランスに途惑わざるを得ないと思う。 作者には日々の細やかなたつきと、強大な力を持つブラックホールが、いつでも不可分に身に添っていて、あまり意識せずにいつでも両者の間を自由に行き来している。それ故我々普通の人間の感覚を、一応は理解しながらも腑に落ちないらしいのだ。 従って作者の句は、所謂普通の感覚を逸脱したものが多くなり、難解と評される事になる。本人はそれに一抹の違和感を感じつつ、やはりゴーイングマイウェイに辿り着かざるを得ないのだ。 「あなた、気が変なんじゃない?」と言われて、大いに悩んだらしい作者の数々の句だが、私にはその様には思われない。 最初に掲げた句では、擂り鉢の運動は上へと何処までも真っ直ぐに伸びてゆく。それに連れて作者の感覚も、遠い銀漢に達して燦めく星々に遊ぶのだ。 蕗味噌ではこれが逆に働いて感覚は収斂してゆき、やがて宇宙のブラックホールに吸い込まれてゆく。 寒林を透かして遠き吾が去る 句意は葉を落とした雑木林に、遠く去りゆく自分の姿をその自分が見ているというのである。そんな非現実的な︙︙。 著者に嘗て 遠雷やわれを離見の裡におく があった。美しい句であると思うが少し分かり難い。 作者によれば、離見は能の言葉。舞台の上で演ずる自分を、遠く離れた客席から眺めている眼であると言う。観世の直系の方から聞いて以来、自身から離れぬ言葉であるとも言っている。 遠くから見ている眼。それは女子大時代にボードレールを読み始めてから気になっている神の眼でもあり、小説にある著者の眼の位置なのだ。以来視点の在処と共に、離見は句作の上で大きなテーマであり続けている。 梅一輪離見の離のごとくして 人も海も空に湾入蜃気楼 積乱雲消えて離見の我もなし 距離を欲る夏の浜より入陽まで 水仙が遠くのぞむや日の没るを 人や身の影と入りゆく寒茜 最後の句について作者は、「自己客観化、分かってもらえるかな」と言っている。 花野へもどるもっとも小さき花が呼び 意外かも知れないけれど、花野は秋の季語。広い野原に桔梗や野菊が咲き、薄が揺れている。高い空には鰯雲が浮かび、午後の日は冷ややかに透明である。 ひと時を秋の野原と一体になりその美しさを堪能した後で、微かな声に呼ばれたような心持ちがして、先程までいた所に戻ったと言うのである。気が付いてみればそれは花野の中の、一番小さくて目立たない花であった、と。 この句に触れた人は何でもない表現の向こうに、何か忘れがたいものを感じるのではないであろうか。 小さな花、もっとも詰まらぬ目立たない者の呼ぶ声。その様な者の声を聞き逃さない心の持ち主は、まさにイエス・キリストであったと暫くして気が付いた。当時は男性中心の社会。現代の日本では考えられない、女性と子供への厳しい差別が当然とされていた時代である。 幼い時から聖書に親しんでいた睦子に、記述の一々が記憶の底にあったのは確かであろう。けれども彼女自身の聴力によって、この句があるのもまた確かなのである。 (「マルコによる福音書」 第十章十三節) 数句の鑑賞を紹介した。 ほかに、鑑賞されている作品をすこし挙げておきたい。 握手の手の間(ひま)を晩春洩れゆけり さびしさは花より早く白蝶来 猫の子のなかへなかへと眠るかな 向日葵畑声のみのゴッホ去りけり 母の死は初夏の軽さよ抱きをれば 掌に白桃ささやきを聞くばかりにて 曼珠沙華一本咲きてわれに足る 師とハタハタ飛べよ静かさ共にして 我を去らぬ昨日触れたる語の冷えよ うしろから橋より細きしぐれする 夢にゐて遠き白桃いま熟るる ここにはその二つの句会で、二〇一二年一月から二〇一七年十二月迄の六年間に詠まれたものだけを収めてある。従って取り上げた句の数も決して多くはないのだ。 睦子の作品について一言で表現をするのは難しい。それは何処かにも書いたように、何よりも彼女の精神世界の多様さによるのである。 彼女の句は他のどの作家にもない幅の広さを持ち、どの面から光を当てても輝くものになっている。それは何より自身に対する要求の高さと、地道な努力の賜物なのだ。その結果作品は、時の流れにも耐えうる輝きを放つものとなった。 「後書き」より。 本書の装幀は前回同様、著者の希望によって、君嶋真理子さんである。 前回の本と韻きあうようにというはからいをしてもらった。 原稿の検討は、いつも彼女の自宅近くのプトーカフェで持たれた。向かい合わせに座り、句について書いてきたものを展げ、合間に雑談を入れつつ、それは楽しく充実した沢山の時であった。 「後書き」より。 嵯峨菊を挿せばそのまま瓶に立つ 心惹かれる句はほかにもたくさんあったが、あえてわたしはこの一句をあげたい。 はからいもなくきりりとした立ち姿を詠んだ一句である。 上田睦子さんを彷彿とさせる一句だ。 「嵯峨菊」とはいったいどんな菊であるのか。 写真でみれば、細い花弁が天をつくようにあって、菊のまろやかさはなく、神経質でやや気むずかしい感じである。本書によれば、上田睦子さんは嵯峨菊への「愛着の度合いが甚だしい」とあり、ちょっと笑ってしまった。上田睦子さんと嵯峨菊はなかなか共通するものがある。やや気むずかしくほっそりとして繊細高雅、他に交わらない。 さらに調べてみると京都・嵯峨で鑑賞用に栽培された菊で160年の歴史をもつという。11月頃に咲き、糸のように細い管弁が特徴であるということ。名前も「嵯峨の月」とか「大路の朝霧」とか雅びである。 それでは、著者の富山珠恵さんは、何と書いているか。 作者は挙げた句でこの花の美しさを、きわめてシンプルに表現している。嵯峨菊は全てを見る人に委ね、穏やかに静かなのだ。もたつかず寄り掛からず、有るがままの姿で立って最も美しい、と。(略) 句は嵯峨菊に姿を借りて、存在の有り様の最も美しい姿を描写している。 「存在の有り様の最も美しい姿」。 まさに、 そう思う。 わたしも世界に対してこのように立っていたい。 (しかし、とうてい無理である、ということは重々分かっている)
by fragie777
| 2018-11-30 21:16
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