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11月29日(木) 旧暦10月22日
リュクサンブル公園の黄葉。 なんの木だろうか。 マロニエか。 ただ、木の形態がちがうようにも。。。 こちらはおびただしい落葉。 これも何の木の葉か。 このなんとも武骨な木からである。 近くにあるメディシスの泉。 メディシスとは、マリー・ド・メディシスのことでルイ13世の母であり、このリュクサンブル公園の創設者である。 鴨が何羽も泳いでいた。 この日わたしたちは、リュクサンブル公園をぬけてサン・ジェルマン・デ・プレでいくつかの教会やドラクロア美術館を見て、カルチェ・ラタンへと向かったのだった。 今日も新刊紹介をしたい。 (お休みももらったので紹介しなくてはいけない本が溜まってしまった) 菊判変型ハードカバー装 156頁 詩人・かべるみさんの前詩集『羽』につぐ第5詩集である。詩集『羽』は2008年刊行であるから、10年ぶりの刊行である。装画を前回とおなじく佐中由紀枝さんの光画を用いた。全体をⅠからⅤにわけて多くの詩が見開きで終わるもので、長編のものはない。どの詩もやさしい表情をしてしずかであるが、わたしたちの心にまっすぐに入ってくる。 そして、ことばが胸のうちに灯るのである。 ことばにアクロバットをさせず、一語一語がきわめて自然体に置かれてある。 あまりにも自然体であるのだけれど、わたしたちを立ちどまらせるのに十分ななにかがある。 その感触がいつまでも残るのである。 本詩集の担当は文己さん。 文己さんは好きな詩を5篇選んでいる。 秋 音 月のあかるい晩は マナ島 南十字星 そのうち2篇を紹介したい。 秋 1 庭のかたすみ ハナミズキの葉が ヒトに描けない色にそまった あけるとハラリとおちそうで 窓のなかから 息をひそめてみている 2 遠くの公園横の道で 犬のおとしものを かがんで つまんでいる 黄色い衣服の人を 絵本を開くようにみている 空にながれる音楽のようにみている 音 はじめて はいたスリッパ スリッパのおとが すきなんだって と 電話の声が言っている モロッコを旅した人から 山羊革のスリッパが届いて ちいさいのを ヒューストンにいる四歳の子に送ったのだ 山羊色のなかに あおい稲妻模様が走っていたっけ 朝 目覚めると 服も着ずに スリッパで歩きまわっているらしい アフリカからアメリカへ ちいさなスリッパのふしぎな旅 高原をふいていた風とともに 地球を半周してわたっていっただろうか なにも知らないちいさな足 けとばして けとばして けとばしつづけて 地球儀をまわしていると しくじりを覚えた笑い声のような スリッパのおとが かすかに聞こえてくる 詩とはなんだろう。 あるときどきに、心にとまったことを書きつづけてきました。 小学校四年生のとき、「詩を書く」という宿題があって、星のまたたく夜空を見つづけたことがあります。「詩」という言葉も初めて聞くものでしたが、そのとき、自分のなかに言葉が自然にわき上がり、流れ星のように降りそそいでくるふしぎな感覚がありました。 貧しかった昭和二十年代の田舎の学校には図書室といったような文化的なものは何もなく、どろんこになって遊びまわるなか、教科書にはドイツの詩人、カール・ブッセの「山のあなた」、また北原白秋の「落葉松」などが載っていて、すらすらと暗記し、心が浮くような感覚を楽しんだ記憶があります。 詩を読み、書くことは、私にとって欠かすことのできない日常となりました。 その間、励まされ、教えられ、たくさんの出会いがありました。 そして今回、五冊めの詩集を編むことができました。 〝詩〟を求め、書きつづけていこうと思います。 「あとがき」より。 わたしの好きな詩を(たくさんあるのだが)まずは2篇紹介したい。 メッセージ 朝 箒片手に ベランダにでると 筆先から ポトッと ミロの絵からぬけおちたような しろい絵の具の 跡がひろがっている はっと目がひきつけられた ほかでもない ここに 鳥がどこかからやってきて 排泄の形で 全身で あたたかなメッセージを おいていったのだ 飛び去った 鳥の影が おおぞらに雲のように うかんでいる もう1篇は、「――2011・3・11」と副題が付されたもの。 もしも ――2011・3・11 うすぐらい コンビニエンス・ストアに入ってゆく 米、パン、ミネラル・ウオーター すっからかん 青森産と書かれた紙が半分ちぎれて リンゴがまばらに残っている 津波がおしよせてくる前に届いたものだ しっかり持って 籠に二個入れる 実のつまった こちんとした感触が 掌から伝わる いとおしさ ああ かたちあるもの かたちないもの みんなみんな さらっていってしまった あの おおきな なみ 無言でリンゴをほおばると 甘酸っぱい果汁が口にひろがり 体内にしみわたってゆく 浮かんでは消え 消えては浮かんでくる あの言葉 「世界があす滅びると知っても 私は きょう リンゴの木を植える」* 鏡のまえで ひたすら歯をみがきつづける 私 *マルティン・ルターの言葉と伝えられる 本詩集は、佐中由紀枝さんの光画を君嶋真理子さんが装幀した。 前詩集『羽』と同じように。 光画の佐中さんと一緒にご来社頂いて、、装丁の打ち合わせをしました。 カバーに使用したフィルムは、フィルムに針金で小さな傷をつけて このような模様になっているそうです。 何案かあった中で、かべさんはこのフィルムを選ばれました。 担当の文己さんより。 表紙は水色の布クロス。 ![]() どのことばも声高でない。 やや細目の美しい一冊となった。 光沢のある用紙を用いているので、よく見ると星がまたたいているように見える。 もう一篇、作品を紹介したい。 途上 途上ということばが 好きなんだ 受話器のおくから 久しく会っていない恩師のこえ 教師の職をなげうって 土いじりに転じて幾十年 やっとこのごろ わかってきたよ 茶碗にはじまり茶碗におわる その意味が… 土に呼ばれたのかもしれない 教え子のだれかが言ったっけ 山麓の窯場の小屋に ひとりこもって 鳥の囀りをききながら いっしんに轆轤を回す 掌にのせて ためつすがめつ 壊しつづけた日々であったろうか 私を呼ぶもののこえ はるか遠くから たしかに やってくる だが まだ私にはとどかない iPhoneの機種変更をしたのであるが、こんどのは指紋認証ではなくて、顔認証である。 友人から顔認証は、やりにくいよって聞いていたのだが、どんなものなんだろうって思っていた。 で、 わたしの場合、 あたらしいiPhoneは、わたしをすぐ認めてくれるようだ。 眼鏡をかけていようがかけていなくても、顔がはれぼったくても口紅をつけていてもつけていなくても、いまんとこ誰よりもわたしのことが分かっているみたい。 とてもいい関係が築けているように思えるのだけれど。 いまんとこは、であるが。。。 ああ、 でも、 いまふざけて、あかんべえをしたりウインクをしたり変顔をしたら、ダメだった。 真面目に向き合えってことか。。。。 了解。。。。 ![]()
by fragie777
| 2018-11-29 20:25
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