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11月27日(火) 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 旧暦10月20日
過ぐる23日(金)に、滋賀県立男女共同参画センターにて午後1時より「第68回 滋賀県文学祭文芸出版賞」の授賞式が行われた。 「俳句部門」にて、対中いずみさんの句集『水瓶』が受賞し、その時の様子を送っていただいた。 対中いずみさんと「びわこ吟行」のお仲間たち。 写真の撮影者は、金山桜子さん。 金山桜子さんは、今年の6月にふらんす堂から句集『水辺のスケッチ』を刊行され、この句集も好評であった。 対中いずみさんと金山桜子さんは、今年の4月にお二人で仙川にいらして下さった。 この度の受賞について 「ずっと琵琶湖のことを詠んできたので、滋賀県の賞をいただけたことは嬉しいことでした」 と対中いずみさん。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんの「季語刻々」は、その句集『水瓶』より。 畳の上の鬼柚子と仏手柑 対中いずみ 鬼柚子も仏手柑も、ミカン類の大型というが、変わったかたちの果実。それが両方とも畳の上にある、という句だが、私だとそのそばに寝転がりたい。鬼柚子、仏手柑、カバのいる極楽図(?)になりそう。句集「水瓶」(ふらんす堂)から引いた。作者は1956年生まれ、大津市に住む。「良き壺の前に良き椅子冬館」もいずみさん。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装 90頁 樋口由紀子(ひぐち・ゆきこ)さんは、川柳作家である。本集は三番目の川柳句集となる。1953年生まれ、兵庫県姫路市在住。「晴」編集同人。「豈」同人。ふらんす堂から2011年にエッセイ集『川柳×薔薇』を刊行されている。タイトルの「めるくまーる」は、メルクマール(目印、指標)のひらがな書きか。 俳句でなく川柳である。 あらためて川柳って何と思い、広辞苑をひいてみた。 (川柳点の略から)前句付(まえくづけ)から独立した17字の短詩。江戸中期、明和(1764~1772)ごろから隆盛。発句とは違って、切れ字・季節などの制約がない。多く口語を用い、人情・風俗・人生の弱点、世襲の欠陥等をうがち、簡潔・滑稽・機知・風刺・奇警が特色。江戸末期のものは低俗に堕し、狂句と呼ばれた。 樋口由紀子さんの作品をいくつか紹介したい。 蓮根によく似たものに近づきたい ぎやまんのまんなかへんがきっと犬 薄墨をめざす男がややこしい わたくしと安全ピンは無関係 夕方は斜めに立つといい気分 困惑を眠らせている金盥 非常にわかりやすいものとぎょっとするものとややわかりにくいものなどがある。ただわかりにくいものも日常の言葉や物からは離れておらずその辺にあるものによって表現されているのであり、言葉や意味はわたしたちの生活から離反してはいない。しかし、立ち上がってくる景は、ちょっとヘンで不思議で身体がもぞもぞしてくるような、頭ン中がひえっと言ってもう一度よく目を見開いて一句に見入ってしまう、そんな感じがある。 いったい樋口由紀子さんは、川柳というものをどう考えているのか、あるいは何を語りたいのか、知りたくなって『川柳×薔薇』を開いてみた。「はじめに」より。 なぜ川柳なのだろうと思う。人生の大半を川柳に陣取られるなんて考えもしなかった。(略)わざわざ一句にする必要があるのかどうか首をひねるような、さしたることを言っているのでもなく、どうってことない、何の役にも立たないことを、私はこのように川柳で言いとめる。 う~む、確かに。そう言われれば。 「ばっかみたいな影」。そうか、これがキイワードである。 では、わたしからみた「ばっかみたいな影」を感じる句を選んでみよう。断っておくが、あくまでわたしから見た「ばっかみたいな影」であって、これは人それぞれだ。だからいいんだと思う。 昼寝する前はジプシーだったのに 勝ち負けでいうなら月は赤いはず 天井から降ってきたのは花かつお 手袋がやっと乾いたという敬愛 練り菓子へ無政府主義がなつかしい もういいわブルドーザーで決めるから おんどりを追いかけたのは相続人 むささびが先に京都に着くという 左手に持ち替えてみる 勿論 靴下をはかない方が実の父 この句面白い。誰かに「靴下をはかない方が実の父です」と紹介しているようにも一瞬受け取れるが、この句、もっと普遍的な「実の父」とは何かと言っているようであり、その実そんなバカなことはないわけで、「実の父」と呼ばれる人物はたいていの場合靴下をはいている、いや、靴下をはいていない場合もあって、いったい「実の父」なるものは何か、というところまで敷衍していき、よくわからない宙ぶらりんな感情に支配されてしまうのだ。しかし、一句で語られていることはまずは明瞭であるはずなのに。。。 ほとぼりがさめるころにはスパナだな この句も、ばからしいといえばばからしいような、なにゆえ「スパナ」なのか。それは「トマト」でもなく「タイツ」「メダカ」でもなく、(こんな風に3文字のカタカナを考えていくのも結構面白いのだが)「スパナ」だという。大きな飛躍がそこにはあるわけで、しかし、樋口由紀子さんは、ほとぼりがさめるころに「スパナ」を見いだしたのだ。それで落ち着いたわけではないが、読者にはその「スパナ」が妙に腸に食い込んでくるのである。「スパナ」に思わぬ役割があるもんだとニヤリとしてしまう。が、本当か?。。。。 自分の事情でも状況でもなく、そのときの「私」が今をどう認識し、感じているのかを意味に重きをおいて表現していきたい。意味は鮮明でもつかみどころのない、収斂も着地もしない。そのようなところにも踏み込んでいきたい。謎もその魅力的な一つである。意味にこだわるのはすでにあるものに対する居心地の悪さからで、その違和感が私の表現の軸になる。何かへんだという微妙な意識のずれや感覚が川柳を書かせる。 『川柳×薔薇』より。 ふたたび作品を紹介したい。 すべらないすべらないよう家の中 体感は伏見稲荷の朱鳥居 空想のかたまりである蝶ネクタイ 髪洗うときアメリカを忘れてる 雑巾をかたく絞ると夜になる 自転車で轢くにはちょうどいい椿 享年やせんたくばさみカチカチと 遮断機の手前は暑い秋でした ビニールの鞄の底はニヒリズム 無花果が涙のようにやってくる 左手に持ち替えてみる 勿論 返り点になれないものがまといつく 第一句集『ゆうるりと』(1991年刊)第二句集『容顔』(1999年刊)から十九年ぶりの川柳句集です。句集を出したいと思いながらもなぜかぐずぐずしていました。 野間幸恵さんとの出会いが大きいです。『めるくまーる』は【作樋口由紀子・演出野間幸恵】で出来上がったものです。私にとっての「めるくまーる」です。 「あとがき」を紹介した。野間幸恵さんは、本書の装丁をすべてなさった方で、俳人である。大阪から装幀の打ち合わせのために仙川までいらしてくださった。 野間さんは、この色ひとつひとつにこだわられた。 文字の書体にも。 表紙の文字の紺色にも。 なかなかこの紺の色にたどりつかず。 本文の活字も同じ紺色である。 本文用紙も白に。 本文の組も頁によっていろいろである。 俳句のようにかたちを決め込まない、ちょっと浮遊していて重さがない感覚がある。 野間幸恵さんは「思い通りの出来上がりになりました」と喜んでくださった。 日常にこだわっている。日常というのは逃れられないもので、逃れることが出来ないから日常である。日常の凄さと脆さに引っ張られ、錯覚し、退屈し、そこで生きていく不可思議さを発想の原点に置いている。 『川柳×薔薇』より。 なにもない部屋に卵を置いてくる 好きな一句である。 日常の行為として受け取けとってもよいが、日常的な風景では決してない。 しかし、あり得る行為でもある。 置かれた卵は、マグリットの絵画のように不思議さをまとっている。 本集を読んで、川柳を書くということはとても知的な作業であり、しかし、その一方知的であるということも笑いとばすようなダイナミズムに満ちたものであるということを思ったのだった。 今日はひとりお客さまがいらっしゃった。 千葉県・佐倉市からである。 いらっしゃるなり、 「すぐ来られると思ったのですが、駅についてから迷いました」とおしゃったのは、山﨑照三さん。 第1句集の句稿をもってご来社下さったのである。 山﨑さんは、俳誌「いには」に所属されている俳人である。 村上喜代子主宰のご紹介によって、この度第1句集をふらんす堂から上梓されることとなったのである。 「句集を出すことは考えてもいなかったのですが、妻の強いすすめがあって、句集を刊行するには費用もかかりますので妻の気が変わらないうちにと思いまして。」とにっこりされたのだった。 山﨑照三氏。 来年で80歳になられると伺って驚いた。 たいへん若々しい方である。 「写生や嘱目が苦手で、頭の中で考える俳句が多いです。だから『いには』の中では異端です」と大らかにおっしゃる。 句集名は「あはうどり」。 句集に収録されている作品のなかで一番好きな句から命名したということである。 その句は? 句集刊行まで秘密にしておきましょう。 「いやあ、仙川ははじめて来ました。3時間かかりました。遠かったです」と言いながらお帰りになられたのだった。 山﨑照三さま、今日はお疲れさまでございました。
by fragie777
| 2018-11-27 20:08
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