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11月12日(月) 地始凍(ちはじめてこおる) 旧暦10月3日
昨日お蕎麦を食べに立ち寄った椿山荘の庭に咲いていた山茶花と椿。 どっちがどっちだか見分けつきますか。 それほど詳しくないわたしが思うに、 上のほうが「白椿」。 下のほうが「白山茶花」。 散ったときの形態だとすぐにわかるけど、また、山茶花は冬、椿は春であるが、 花そのものを見ているとなかなかわかりにくい。 すこし調べたところによると、花は山茶花の方がやや浅め、 葉は、椿が細長く、山茶花はやや小振りで丸い。 そんな感じしません? 詳しい方、間違っていたらご指摘くださいませ。 (株)出版ニュース社発行の「出版ニュース」11中旬号に、岸本尚毅 × 宇井十間著『相互批評の試み』が紹介された。 〈俳句において、内面性の表現は可能なのだろうか。この質問が、金子兜太の長い長い句業の全体を貫く一つの大きな問いであると〉〈もっと平易な言葉で言えば、俳句という方法によって「心」をどう写生することができるか〉(宇井)〈人間の「内面」は、複雑、不可解、理不尽です。人間の運命も、人間の存在それ自体も不条理です。それを、俳句という極端に短い言葉によって「簡単にまとめてしまう」ことを、兜太は警戒したのではないでしょうか〉(岸本)往復書簡という形式で俳句の相互批評を深めようという試み。ここでは俳句の即物性について、日常性について、重くれと軽み、多言語化する俳句、叙情と劇の間、一様性から多様性へ、といったテーマを設定し、相互の視点や捉え方の相違点を確認しながら対話を展開。現代の俳句に働きかける批評空間を創造する。 同じ頁に青木亮人さんの『現代俳句の諸相』(創風社出版)が紹介されている。こういう一般的な本の紹介欄に詩歌に関する本が紹介されるとそれも存じあげている方のものが紹介されるとオッって思う。ということで、すこし紹介。 近代俳句を拓いた俳人たちの諸相を描く評論集。(略)作品評や評伝に止まらず、時代背景や俳壇の雰囲気まで近代俳句の魅力を縦横に。 新刊紹介をしたい。 A5判ハードカバー装 110頁 著者の森雄治(もり・ゆうじ)さんは、すでに亡くなってこの世にはいない。1963年大阪生まれ、少年の頃からすでに詩や小説を書き始める。1995年1月に31歳で病気のために亡くなる。本詩集は、森雄治さんが17歳から20歳までに書いた詩をまとめたものであり、雄治さんのお兄さまである画家の森信夫氏によってこの世に生み出されたものである。本詩集をひもとけばまだ10代後半の若者によって数年間で書かれたものとは思えないほどの圧倒的な筆力にわたしたちはまず驚くのである。 森信夫氏の付記を紹介したい。 詩集『蒼い陰画』は著者・森雄治が十七~二十歳の時に書いた詩をまとめたものです*。著者は一九九五年に亡くなりましたが、この詩集の構想はその題名も含めて本人自身によるものです。十八歳の時のノートには「青の陰画」となっていたこの詩集について弟は生前、口にすることがなかったので、その題名の意図は詳らかではありません。手書きのノートは初稿が書かれた後、さまざまな時期に多数の書き込みがなされ、判読困難な状態になっている詩がいくつもありました。そのため、誤字・脱字等も含めて基本的には初稿を採ることにしましたが、上書きされて初稿が読めない場合など、いくつかの詩では部分的に加筆を取り入れる折衷的な処理をせざるを得なかったことをここに記しておきます。 もうすでに会うことのできぬ人の作品がこうして残されそれが20年以上も経った今、このような詩集となって世の中に生みだされたということはひとつの奇蹟である。その詩集が読み手に働きかけぐいぐいと引き込んでいく。しかし、その作者はすでにとうにいない。わたしは詩を読み続けながら「非在の在」ということを思った。 栞は詩人の十田撓子さん。 十田撓子さんは、「蒼の眼を持つ男のこと」と題して栞を寄せられた。 「あなた」と呼びかけるこの一文を安易に抜粋するのはなかなか困難であるが、あえて少し紹介させてもらう。 陰の世界は夜である。 私の見ていた夜は黒い森。そして暗い町。そこを手探りで小径を踏み、時には街路を急ぎ足で、いつまでも行ったり来たりして歩いている人がいた。夜を生きられる者として、夢みるべき時を旅しつづけ、その背を私が見ていたのは、あなただったろうか。 私は、あなたを、天井から無数に吊り下がる蝙蝠傘の下でさいしょに知ったはずだ。傘の森、これも黒い森。傘に交じって天井から吊り下がる老人を介して、私は、あなたを一枚の紙の上の人として、知ることにした。吊り下がり男の古びた紙片に、何かあなたについて記されていたわけではない。私があなたを、そう呼ぶことで、あなたかもしれないし、あなたではないかもしれない、その紙の上の物語は始まっていた。 互いの非在において向かい合う、それは見知らぬ他人の書いたものを手にることと似ている。今日もその果てしない歩みを停止させず、気づかれることすなく、私はあなたを追尾している。私だけが、あなたを見ている。あなたは、見られているとも知らないだろう。(略) 陰の世界のあなた/彼は、明示されない死によって、思い描いた水平線へ向かっているのだろう。世人の及ばない何か原罪の苦しみも、彼方で祝福を受けているだろうか。永久に出会うことのない人との別れに、明るい青の反映を期して、この書を閉じる。 本詩集の担当は文己さん。文己さんは言う。 「蒼い陰画」 私はどの作品もすごく好きな詩集でした! 「月」「暗示」が特に好きです。 どこか暗澹としていて霧がかった世界に存在する お茶を勧めてくる不思議な老人や象などのキャラクターの不思議な魅力…… 「鏡」「ロジック」は原爆のことかなぁ、など 考えながら読んでしまいました。 「ロジック」を紹介したい。 散文詩となっているので作品のかたちのまま紹介したい。 ロジック 広いその瀟洒な遊歩道に散在している人々は全て立ち止ったまま動かずにい た 正確な時計の法則が支配する午後だった 数年前日記に書かれた妄想と 酷似している 打ち砕かれた鏡の破片が散らばって雑草のあいだにキラキラ している野原に意味不明の奇妙な標識が何本か立っていて そのひとつひと つの背後に真黒な影と化した誰かが立ちつくしている 模倣が等間隔に繰り 返される空間 雲一つない良い天気なのに誰もが豪雨の印象ばかり語り合う 倦怠のように空の片隅に雲が発生しても それらひとつひとつの細部を映 し出す鏡の存在を証明しうるだろうか 白く輝くハンカチに目をあてて泣く 女の無気味な追憶 確かにそれと感じられて触知される現在という迷路の悲 しみ けれども不毛な空の音響に託される孤立した無意識の静かなたゆたい を垣間見た時それらは癒されるだろう─映されるのは全くの闇だとばかり 思っていてもそれは完全な青空の反映で 道と野原の間の溝をまたぐ鏡男の 顔にすぎない事実をも同時に発見しながら もう一篇、「象」 わたしはこの詩が印象的だった。 やや重さを感じさせる文体の格調が好きだ。 象 聖堂前で象は立ったまま死んでいる あらゆる流れという流れが存在せず 樹 木は垂直に静止している曇日に 鉛色の深く広大な象という名の歳月は荘厳な 歴史の地図を皮膚という皮膚に刻みつけたまま死んでいた 支離滅裂な皺の錯 綜からながれおちる水滴により雨のはじまりが告げられ 次の瞬間は豪雨であ る 豪雨のなかでも象は倒れない 一切の睡りを拒否した行者のごとく むし ろさらに鋭利に研がれた見者の意識を充溢させて 姿を拒んだ姿のままで あ る法悦をつげ 薄紫に輝きだす しかも流れは永劫という渦巻の形を採らない むしろ寸断された束状の線を望む そこでも象はただ深い睡りの形で岩石を 倣うだけである 噴出される溶岩 そこから無数に産まれだす掌大の小さな象 それらはそれぞれの絶壁まで流され 落下するでもなく引き返すでもなく その地点で消滅する この経路を辿り 皮膚に刻まれた地図は無意識により作 成された 歩いてる象 悩んでる象 まわってる象 裂かれている象 いくつ もいくつも象が粒子となって肌理を構成している ある惨苦が予感としてう ねっても ふたたび命脈は閉ざされない 死んでいる象のむこう 雨の線にさ えぎられているあの円屋根はむしろ奇妙な空白感を発して聳え立つ あるいは 尼僧の欲望として 獅子の面貌が飾られる 深遠な宇宙の潮流 しだいに溶け だし 糸をひいて消えてゆく一つの守り神の言語が不断に醗酵しつづける空間 祈りという祈りが波状の運動をつづけてひとつながりの彗星となる暗喩 破 裂しつづける隕石 微かなささやきのような音が無数に交錯する深淵 それら 蒼暗い炎の中の出来事 幾億の光の溶岩が押し寄せる銀河の片隅に象は立って いる 本詩集の装丁は君嶋真理子さんであるが、装画は森信夫氏の作品である。 やや紫がかった黒と青、そしてタイトルはツヤ消し銀の箔押し。 表紙。 見返しと栞。 角背である。 角背がよく似合う詩集である。 空白が美しくレイアウトされている。 落ち着いた重厚な仕上がりの詩集となった。 作品によく響いていると思うが、20歳前の青年の詩篇と思うとやはり圧倒される。 もう一篇のみ短い詩を紹介したい。 かまいたち 渇いた喉の奥に 閃めく光があり まるでそれは恩寵のように紅く 肌を火照らせた 道端で深夜 彼女のその不意の裂け方は 必ず南洋の孤島を喚起する 土民の奏でる太鼓の音が 首筋の傷口から聞えたので 真夜中の舗道で 彼女は夜明けまで踊らねばならない 本詩集について、詩人の田中庸介さんが短いコメントをくださった。 想像していたよりもずっとすっきりと力強く、幻想的な世界に魅了されました。 おなじく詩人の小笠原鳥類さんは、 吉岡実さんの『僧侶』のように、まじめに細部を書き込んでいます。 「聖堂前で象は立ったまま死んでいる」 「鉛色の深く広大な象という名の歳月は荘厳な歴史の地図を皮膚という皮膚に刻みつけたまま死んでいた」(「象」) 象が宇宙になります。銅版画のように劇的な声が響く詩集でした。 「茶」はわりあい読むのが容易な詩で、 「結局三杯くらい飲まされただろうか いつしか私は寛いだようないい気分になっていた」 とても幸福で、読んでいて良い気分になりました。 「銅版画のように劇的な声」とはまさにである。 今日のブログのタイトルはそれでいこう。 以下、担当スタッフの文己さんより。 信夫さんのフェイスブックに詩集についての記事がありました。 https://www.facebook.com/moriartlaboratory/photos/a.542072369335446/959058664303479/?type=3 11月29日から一週間、松山で出版記念展、12月10日から1週間、銀座での展覧会があるそうです。 興味のある方は是非に行って欲しいと思っている。 フェイスブックを見ると、雄治さんが愛用したボロボロの広辞苑がある。 本詩集が読まれていくことを心から願っている。 また、良き評者が現れることも。
by fragie777
| 2018-11-12 20:53
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