カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
11月9日(金) 旧暦10月2日
数日前に遊んだ秋川渓谷。 もうすでにどんどん遠い思い出となりつつある。 ふらんす堂句会で俳句の指導をしてくださっている俳人の髙柳克弘さんが、このたび浜松市教育文化奨励賞を受賞された。 その授賞式が去る7日に表彰式が行われた。 静岡新聞の記事とともに写真を送っていただいたので紹介したい。 文化芸術や教育振興に優れた活動をする個人や団体をたたえる浜松市教育文化奨励賞の授与式が7日、市役所で開かれた。「浜松ゆかりの芸術家」に選ばれた俳人の髙柳克弘さん(38)=西区館山町出身と、「地域文化賞」に輝いた「地域音楽家支援協会 アンサンブル ムジーク浜松」(伊藤豊子代表)に鈴木康友市長が賞状を送った。(略) 髙柳さんは同日朝、浜松に向かう新幹線の中でうたった句「はればれと浜名湖光る今朝の冬」を披露。立冬の訪れを感じながら湖面と故郷を思う様子をしたためた。中学一年時に遠鉄ストア童話大賞を受賞し、文学の道に志したことも鈴木市長に明かし、「今後はふるさとを詠むことに向き合いたい。音楽のまちである浜松が文学のまちでもあることを伝えていく」などと語った。(静岡新聞より。) 15日には母校で記念講演をされるということである。 (この日「ふらんす堂句会」だったのであるが、そのような次第でお休みとなりました。) 髙柳克弘さま、 ご受賞おめでとうございます! 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル。72頁 第1句集シリーズ 著者の上林ふらと(かんばやし・ふらと)さんは、昭和24年(1949)京都・舞鶴市生まれ、舞鶴市在住。平成4年(1992)「蘭」入会、平成10年(1998)「蘭」退会、平成22年(2010)「晨」入会、平成27年(2015)「火星」入会、平成29年(2017)「火星」同人。本句集には「火星」主宰山尾玉藻氏が序文を、「風土」主宰の南うみを氏が跋文を寄せている。 まず山尾玉藻主宰の序文を抜粋して紹介したい。 私とふらとさんとの出会いは、平成二十七年五月三日、京都府福知山市三和町の大原神社で行われた大原志であった。「風土」主宰で畏友南うみをさんが引き合わせて下さった彼は、とても温顔で人懐っこい雰囲気を漂わせておられ、私はなるほどと合点が行った。というのも、うみをさんから「長い付き合いだが彼の怒った顔を一度も見たことがない」と聞かされていたからである。人見知りの私も忽ち彼の笑顔にこころが緩んで行くのを覚えた。 啓蟄や美濃も尾張も味噌赤く 残る虫レールは闇の淵へ伸び 眼裏に火の移るまで遠野焼 いつさいは夕闇となる河鹿笛 生きざまのこれ草餅の重さほど 鮃の目これ以上なき左側 柘榴の実裂くる渾沌たる夕べ 妻少し速足となる夏帽子 「火星」に入会されたふらとさんは、舞鶴から毎月の大阪の本部句会や吟行会に参加され、その熱心な姿勢に感服させられた。そしてこの頃より彼の作品に多彩さが窺えるようになった。甚だ手前味噌ながら、大勢の句会での多種多様で個性的な作品にまみえて刺激を受け、自己の作品を客観的に見直すようになられたからに違いない、と私は少し自負している。そのことは、彼自身に潜在していた諧謔のこころが作品に表出され始めたこと、そしてそのゆとりの境地が対象に向ける眼差しに深い力を与え始めた点に顕著である。 南うみを氏による跋文は、「ストーブの庵主へ」という副題がつけられている。 庵主ふらと氏の家と私の家は歩いて3分もかからぬ距離にある。そもそもの縁は定年後、故郷に帰ってきたふらと氏が俳句を教えてくれる人物を探していたところ、目と鼻の先に私がいたところから始まる。氏はさっそく私の超結社グループ「うの会」に入り、席題句会、持ち寄り句会、吟行句会とすべての句会を難なくこなした。 鷹つかむ天に最も近き枝 波の花砕きてゆける路線バス 若布干す筵に午後の匂ひあり 束の間の雲なき丹後種選 これまでの長年の不在をとりもどすかのように丹後や若狭の自然や暮らしを探し求めていったのがこれらの句である。筵に乾きゆく若布の匂い、日本海の春の風物詩の鱊漁、晴れの少ない丹後の春、水の若狭の鯖街道、そして冬の海鼠漁など丹後、若狭の風土が過不足なく切り取られている。氏の自然に根差した暮らしへの親和性は、家をロッジ風に仕立て薪ストーブで暖を取るところにも表れている。 歌ひつつ花摘む妻の盆仕度 湯どうふの大震へして返りけり 赤腹のうねりて泥をうねらせり 「眼ぢから」というリアルさ、「大震へして返り」の躍動感、「うねり」のリフレインなど「写生」に徹した句を今後も期待して、氏の更なる前進にエールを送る。 本句集の担当はPさん。 若布干す筵に午後の匂ひあり 春の灯の畳にひろげ地獄絵図 泡一つかかへ浮きくる蛙の子 地に落つるまでの朴葉のうらおもて 足音のざくざく尖る雪明り 傘の雪払ふ音して父らしき 子の付けし名前で金魚呼びにけり Pさんが好きな句として選んだ一句である。生き物に名前をつけるという行為は人間に与えられた特権である。名前を獲得することによってそれは固有の存在となる。金魚を飼うことなった。さて、なんと呼ぼうか、まずはそのことを考える、「金魚」ではなくて固有の名前によってその金魚との関係があたらしく始まっていくのだ。きっとここでは子どもが真っ先に名前を思いついたのだろう。なんとなく親子で話しあったり同意しあったりしたわけではなく、「◯◯!」って子どもが叫び、それで名前は決まった。子どもに名付けのイニシアティブを採られてしまったのである。だから金魚を呼ぶときに、「子の付けし名前」ということが思い起こされるのだ。子どもと金魚との生き生きとした関係、親子の穏やかな平和な家庭環境などが見えてくる一句だ。きっとこの金魚、鰭を大きく動かしながらこの幸せな一家を見ていることだろう。 しやぼん玉追ふ子に空の弾みけり この句もPさんの好きな一句である。平和な風景だ。シャボン玉を追って子どもが飛び跳ねている。嬉しいんだろうなあ。シャボン玉だよ。透きとおったやわらかな不思議なまあるい玉。虹がみえることだってある。嬉々として飛び跳ねている子には空が弾んでみえるだろう。その喜びを「空が弾む」と表現した。子どもを追う大人の心も空と一緒に弾んでいる。 六十歳の定年退職を機に生まれ故郷の舞鶴に戻ったことが縁で、南うみを先生にお目にかかり、再び俳句への意欲が湧いてきた。その句会で数年間勉強していたが、さらに感覚を磨くべく他の結社への入会を模索していた頃、近隣神社の神事を吟行に見えていた山尾玉藻先生に紹介されその場で「火星」への入会を決意した。 人生の行く先々で偶然にも良き句友や先生方に出会い、怠け者で飽きっぽい私に熱意をもって指導して頂いた。この場をかりその皆様に感謝申し上げる。七十歳を目前に一つの区切りとして、句集出版を促され、本集を編んだしだいである。句は初学時代のものから現在までのものを二百句近く収めた。句集名は幼少期と現在の私を育んできた郷土のイメージから「海鼠舟」とした。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装幀は和兎さん。 小豆色といったらよいのだろうか。 日本的な好きな色である。 沖の風もつれ始めし海鼠舟 ふらとさんの視線や感覚は一層深穏となり、作品は深く多彩な綾を紡ぎつつあるが、彼自身は眼前に延びる厳しく果しない俳句の道をいま一度見据えなおしていることだろう。 序文より。 息かかるほどの隔たり雪蛍 先日秋川渓谷を歩いていたときに「雪螢」すなわち「綿虫」が飛んでいた。綿虫って結構たくさん飛んでいても、気づかないで過ごしてしまうことが多い。ふっと気づくと、わたしなどもうじいっと目で追ってしまう。ものすごく近くに飛んで来てくれたりすると思わず息をとめてかたまってしまう。だから綿虫が飛んでくるとまず自分の息を意識する。それほどかすかな生き物であるので、驚かせてはいけない。白くて少しブルーかかっていて、一瞬綿埃かと思うけどちゃんと生きているのである。目で追っているといつの間にか消えてしまう。ちょっぴり儚さが残る。この句、「息かかるほどの」距離を「隔たり」としたところが、いかにも「綿虫」らしいって思った。そうなのよ、綿虫って、「隔たり」を感じさせる虫なのである。「隔たり」を守らなくてはいけないと、どんなに近くても。この一句の気持ち、ようく分かる。
by fragie777
| 2018-11-09 20:28
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||