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11月5日(月) 旧暦9月28日
昨日行った広徳寺の紅葉。 昨日はたくさん歩いたのでやはりかなり疲れたようで、夜はもう朦朧としてブログを書くのもやっとだった。 ベッドに倒れ込むとすぐに泥のように眠ってしまい、今朝目覚めたときはいつもの起床時間を30分以上まわっていた。 このところiPhone目覚ましをすぐ消してしまうらしく、鳴ったことさえ覚えていない。 しかし、ぐっすり眠ったせいか、風邪を心配していたのだがそんな徴候もなく今朝はすっかり元気である。 昨夜は夕食も軽くすませたので、体重もすこしは減っているかと思いきや、ダメ。 減るどころか増えている。 あんなに歩いたのに。 いったいどうすれば体重を減らすことができるのか。。。 新しい時代が始まるまでには、もう少しお腹まわりをスリムにしておきたい。 新聞記事を紹介したい。 昨日の朝日新聞の「風信」には池田瑠那句集『金輪際』が取りあげられている。 第1句集。1976年生まれの著者が、事故で亡くなった夫の鎮魂と生への意志を詠む。 花散るや金輪際のそこひまで 今日の毎日新聞の「新刊紹介」では、有住洋子句集『景色』が紹介されている。 第2句集。柔らかな言葉と、現実から少し浮いているかの内容との調和が面白い。 はなびら餅みやこへとほく居りにけり 幼くて姉となりたる水の秋 ひづめ持ち十一月を立ちつくす 坪内稔典さんによる「今日の一句 」は、 佐怒賀正美句集『無二』より。 原発も武器も発禁烏瓜 佐怒賀正美 句集『無二』(ふらんす堂)から。作者は1956年生まれ、俳句雑誌「秋」を主宰している。この句集は第七句集だが、あとがきで、〈「いのち」を万物について考えるとき、原発、兵器、環境汚染など、是非ゼロへ収斂させたい。間違っても、他国に売込みに出かけるなどあってはならない。〉と述べている。賛成だ。今日の句、その思いを明確に表現している。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 第1句集シリーズ 著者の木内マヤ(きのうち・まや)さんは、昭和45年(1970)徳島生まれ、平成7年(1995)「なると」入会、平成25年(2013)「万象」入会、平成28年(2016)「なると」同人。俳人協会会員。「なると」の主宰者である福島せいぎ氏は父上であり、本句集に序を寄せている。 序文によると本句集『月のかけら』は、お父さまから娘へのプレゼントである。 序文で、福島せいぎ氏は、父としてまた俳句の指導者として終始あたたかな目でもってマヤさんを導いてこられた事がよくわかる。せいぎ氏を中心として奥さま、マヤさん、その子どもたちと、ご一家にはつねに俳句が傍らにあり、いつでも作れるそんな羨ましい環境である。だからマヤさんのみならず、マヤさんのお子さんたちものびのびと俳句をつくる。俳句が家族たちにしみ通っているのである。 福島せいぎ氏は初期のころから現在にいたるまでの俳句を紹介しながら、木内マヤさんの俳句の特性に触れている。 マヤの作品のモチーフは、三人の子供とその周辺の家族や景色から成り立っている。自分の子供のみならず、よその子供でもわけへだてなく可愛がる。仏教の教えは慈悲から始まるが、マヤにはまちがいなく福島家の、大愛の血が流れている。 穭田を踏めば胎の子よく動く 桃洗ふやうに赤子の湯浴みかな 徳島に帰れば師走子を抱きぬ 運動会吾子見失ふ白帽子 この句集には、マヤが育った寺のくらしも描かれている。 受付に朝日さしこむ施餓鬼寺 甘茶仏天指す指の欠けてゐし 寝言まで声明のやう盆の僧 卒塔婆(ストゥーパ)の濃墨粘る花曇 お寺の暮らしがどういうものか、わたしにはなかなか想像がつかないのだが、本句集を読むとそんな暮らしの一齣にも触れられて興味ふかい。 本句集の担当はpさんである。 鎖骨まで日焼止めして出勤す 桃洗ふやうに赤子の湯浴みかな 弁当は四角い宇宙春の色 白息を確かめてより登校す 短夜の隙間にひとり十五歳 本句集には、生活の日記のように日々暮らしが俳句として詠まれている。子ども宿し、産み、育て、大きくなっていく、そんな一場面一場面が素直に詠まれているので、著者の木内マヤさんの子どもへ向き合う気持ちが自然と読み手にも伝わってくる。 弁当は四角い宇宙春の色 こんなお弁当ならわたしも食べたい。四角い宇宙にマヤさんはきっといろいろなものを詰め込んでお子さん達のために日々お弁当づくりにいそしんだのだと思う。お弁当づくりにとどまらず、この一句には子育てに向き合う母親の明るい気持ちが見えてくる一句だ。ここだけの話しだけど、わたしはお弁当づくりがすごく苦手。大雑把なものだから、つくってあげても蓋をあけるとそこには混沌とした宇宙があるのみ。だからお弁当づくりはもっぱら父親の役目だった。わたしが作ったのと父親がつくったのはすぐに見分けがついてしまって、学童保育の先生には「分かっちゃうわよ」と笑いながら言われたものだ。いまでもお弁当をつくりなさいって言われたら頭がぐるぐるとしてきて、手がつかない。だからお弁当を作りなさいなんて言わないでね。 ふらここのいつてかへつて笑ひあふ 花菖蒲ねぢれほどけるやうに咲く 青天の一点となる黒揚羽 百万の蟻の兵隊砂嵐 独楽と独楽負けず嫌ひがはじき出す 半球に吞み込まれゆく春の星 すり傷のすぐに乾きて夏に入る 密談のやうに松茸受け取りぬ 水枕すぐぬるみをり朧月 冬ざるる姓の変はりし寂しさよ 木内マヤさんは、結婚して姓が変わったことをとても淋しく思ったのだ。それはただ姓が変わったということにとどまらず、その姓のもとで生きてきた時間の充足した仕合わせが姓が変わることによって、それらを手放したような淋しさを覚えているのだ。両親の愛情をたっぷりもらって生きてきたマヤさんである。そんな気持ちの微妙な思いを俳句にしたのだ。 現在住んでいる石井町は、俳句の題材には事欠かない美しい田園地帯です。庭の柿の木の勢いづいた青葉や、初夏に出没する蛇の子。しぶきを上げて流れる用水路と、その先の田畑。四季の廻りは年齢を重ねるごとに早く感じ、三人の子供はあっという間に大きくなりました。長女次女は、とっくに私の背を追い越し、長男は甘えてこない年頃になりました。 しかし、毎日が面白いことには変わりなく、日々何らかの小さな事件が起こり、けんかしたり笑ったりの賑やかな食卓です。俳句を読み返すと、その日その時の状況を思い出し懐かしくなります。私にとっての俳句は、日記や写真に近いものかもしれません。これからは、子供たちの成長を楽しみにしながら俳句づくりに精進いたしたいと思っています。 「あとがき」の言葉である。 装幀は和兎さん。 マヤさんの句集の世界にふさわしい明るい太陽のような色である。 梅漬ける私が私である時間 詩性と子供のような純な心を失わず、背伸びすることなく、こつこつと一句一句を積み重ねていって欲しいと願っている。 序文に書かれた言葉である。 夏の雲死は日常のひとかけら 家がお寺さんであるということもあるだろうか、「日常のひとかけら」と言い切れるのは、死というものが日常的にマヤさんの傍らにあったのだと思う。わたしにとっては「死」は非日常である。観念としての「死」は日常であるかもしれないが、死の現実はつねに非日常だ。しかし、この一句はこう詠まれるとなぜか納得してしまう。「夏の雲」だからか。どこかに救いがある気持ちにさせられるのは、わたしだけだろうか。 今日は突然であるが、お客さまがひとり見えられた。 朝、俳誌「海原」の編集長さんである堀之内長一氏よりお電話をいただいた。 「董振華(とうしんか)さんという俳人が相談に行くからよろしくお願いします」ということだった。 堀之内氏によると、董振華さんは、中国人で金子兜太氏に師事をしておられた俳人でいまは「海原」に所属されているということ。 句集をつくる予定があるので相談にのって欲しいということだった。 スタッフのPさんが対応いたすことに。 董 振華(DONG ZHEN HUA)さん。 かつて日中友好使節団として金子兜太氏らが中国に行ったときに、二度通訳をしてことにより兜太さんを知り、その後日本に留学してより俳句を学びたいと思い、兜太さんにその思いをつげたとき、兜太さんが快く受けとめて下さったということ、その後何度も兜太さんのお宅に遊びに行って、兜太さんにはたいへん可愛がられたということである。お正月にはいつも呼ばれて皆子夫人の手料理をご馳走になったという薫さん。 友人が作ってくれた句集をあらためてきちんとした本にして上梓されたいということで相談に見えられたのだった。 来年の兜太氏のご命日までには一冊にされたいということ、 その思いにはお応えしたいと、かなりハードなスケジュールであるが、Pさんと緑さんには頑張ってもらうことになりそうである。
by fragie777
| 2018-11-05 19:50
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Comments(2)
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