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10月22日(月) 旧暦9月14日
水辺の赤蜻蛉。 月曜の朝はことさら忙しい。 銀行に記帳に行く。 いくつかの通帳が入っている通帳袋があって、それを持っていく。 ATMの前に立って、その通帳を取りだそうとしたら、肝腎の通帳のみがないことに気づく。 あらまっ、 どうやら机の上に置いてきたらしい。 ということで虚しく戻る。 まったく、週のはじまりの朝から絶好調である。 ウエブマガジン「週刊俳句」が、10月21日を以て、600号を迎えたということを知る。 「600号に寄せて」 いろいろな俳人が寄稿をされている。 なかでも岸本尚毅さんが、「正直以外」というタイトルで寄せた文章を興味ふかく読んだ。 旧カナ遣いの文法について触れたものである。 言うまでもなく作品にとって重要なのは、文法より表現です。もちろん文法の誤りが表現の美しさを損なうなら致命的です。その意味からは、表現を大切にするために文法に関する知識はしっかり持っていたいと思います。 「週刊俳句」にこのような文法の記事が載っていたのは正直意外でした。学者の論文を探さなければならないと思っていましたが、「週刊俳句」で実作者としての安心感は得られました。感謝申し上げます。 600号を続けていくということはたいへんなことであると思う。 もとより営利目的などではなく、ただ「俳句のための場」である。 多くの時間と思いが割かれ、続けようという意志によって続けてこられたものだ。 ふらんす堂刊行の書籍もずいぶんと紹介していただいた。 あらためて御礼を申し上げたい。 600号、おめでとうございます。 ![]() わたしも毎日ブログを書いているが、ここには営利にむすびつけようという下心 ![]() そんな欲望と結びついているからなんとか頑張ちゃってるけど、 「週刊俳句」の場合は、そうではないので、頭が下がる。 (人間みな自分と同じようだなんて思うな、ってそうよね) あはっ。 今日の毎日新聞の「新刊紹介」は三冊の本が取りあげられている。 第1句集。登場する人物やいきものの動きがいきいきと描かれているのが特徴であり、たくましい一冊。 次々と子等を吸ひ込む茅の輪かな 新品のトランク提げて夏休み よく回る離陸しさうな風車 第1句集。書名通り、珈琲店を営む著者ならではの、市井における臨場感あふれる作品が並ぶ。 黒板に明日の約束しぐれけり どの星を連れて帰らう釣忍 秋日濃しドリップの一滴を待ち 古典評釈書。江戸初期の俳人及び芭蕉の門人達の作品や人間関係にまでスポットライトを当てた重曹的な一書。句を俳人別ではなく十二カ月の月順に並べてところが、とても読みやすい。 同じく今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、野田別天楼句集『雁来紅』より。 露光る夕あるきすこし酔うてゐる 「夕あるき」は夕方の散歩。歩くにつれて酔いが快くなっている感じ。露が光り、空では一番星も光っている? 大阪俳句史研究会では「大阪の俳句ー明治編」をふらんす堂から刊行している。今日の句は最新刊の別天楼の句集「雁来紅」から。別天楼は1869年に今の岡山県瀬戸内市に生まれ、子規門の俳人として関西で活躍した。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 214頁 著者の髙橋悦子(たかはし・えつこ)さんは、昭和18年(1943)千葉県生まれ、平成10年(1998)「狩」入会、平成19年(2007)「狩」同人 平成24年(2012)第34回弓賞受賞 俳人協会会員。平成11年(1999)から平成29年(2017)までの作品335句を収録した第1句集。鷹羽狩行主宰が、序句、帯文、鑑賞10句を寄せ、藤井國彦氏が跋文を寄せている。 灯台と同じ方むき青き踏む 狩行 ころがりて音の重たき寒卵 鷹柱見て来て風の強さ言ふ 門辺までひとを送りて夜の秋 日本語を正しく用い、一読して意味がわかり、姿の美しい句が多く、楽しかった。 「鑑賞十句」よりは、2句のみ紹介したい。 全山の鈴振り出せりかなかなかな 盛んに鳴いていた夏の蟬に代わって、秋の法師蟬や蜩が鳴きはじめる。ことに日暮れに鳴く声は哀調を帯びて美しい。それが「全山の鈴振り出せり」と聞こえるのも大気が澄みはじめたからだろう。 水脱いで青年プールより上がる 水しぶきをあげて恰好よく泳いでいた青年がプールから上がってくるところ。それを「水脱いで」ととらえたのが、新鮮である。胸板の厚い青年が白い歯を見せて笑いかけて近づいてくる─映画のワンシーンを想像させて迫力がある。 跋文を寄せられた藤井國彦氏は、髙橋悦子さんを初学から教えられた方である。その出会いからはじまって、今日にいたるまで常にあたたかな御指導をされてきた。ゆえに跋文は著者の歩みにそって句をとりあげながら、たくさんの作品を紹介しておられる。 日直の鍵束鳴らし晩夏光 囀りの下に建売り立看板 花のせて睡蓮の葉の真つ平 電飾のあふれて星のなき聖夜 木槿散るきのふはきのふ今日は今日 ひとたびは抗ふかまへ枯蟷螂 胸抱いて肘のさびしき秋の風 結葉や肩書とれてよりの仲 『青き踏む』は、悦子さんの俳句入門から狩同人となりそして弓賞受賞までの、二十年の歩みの結晶であります。この歩みの中に悦子さんの、すぐれた資質の深まりや美意識の昂揚の様相が輝いて見えます。悦子さんは、すでに「狩俳句会の射手」として指導的立場にあり、狩支部にとっては貴重な存在となっています。今後の御健康とますますの御清吟をお祈り申し上げます。 本句集の担当はpさん。 独活噛んで身ぬち清しくなる思ひ 水脱いで青年プールより上がる 透かしては磨くグラスやみどりの夜 休日の街まだ覚めずつばくらめ 午後からの日へ裏返す干蒲団 菜の花にながき夕暮ありにけり pさんの好きな一句であり、わたしもこの句は面白いとおもったもの。菜の花の咲く季節は、日が永くなる季節である。季語で言えば「日永」である。それを菜の花で言い表した。「ながき夕暮」としたところが、いつまでも菜の花の黄色の明るさが大地を照らしつづけているようで説得力がある。ながき夕暮れがふさわしい春の花は「菜の花」だろう。ダントツの黄色のあかるさを神より与えられた菜の花の特権である。 木槿散るきのふはきのふ今日は今日 これは藤井國彦氏が選んでおられた一句であるが、わたしも心が止まった一句である。山口青邨の「白木槿まいにち咲いてまいにち淋し」がすぐに浮かんだが、これもまた味わいのある一句だと思う。「咲く」ではなく「木槿散る」としたところで、木槿の花のもつ淋しさが同じようにあるのだが、こちらの句の方が「淋しさ」にとどまっておらず、どこかきっぱりとした思いきりのよさがある。青邨の句は大好きな一句であるが、こういう前向きの句も悪くないなあって思う。 句集名「青き踏む」は、平成二十四年の句〈父の倍生きて古稀なり青き踏む〉に因みます。 俳句を始めましたのは、国語教育研究会で藤井圀彦先生に声を掛けていただいたことがきっかけでした。多忙な日日で、年齢も五十歳を過ぎていました。何よりも俳句というものが難しそうでしたので、二の足を踏む思いもありました。しかし、始めてみると大層おもしろく、ことに苦心して作ったものが採られたときの嬉しさ、それに魅かれて二十年続けてまいりました。豊かな時間でした。 この度、「狩」終刊の報に接し、未だ浅学で目指す頂は遠いのですが、これまでの作品をまとめてみることに致しました。上梓の暁には、早世した父と父の死後頑張り抜いてくれた母へ手向けたいと思います。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 ほかに、 麦踏みの折り返すたび目を遠く 薄氷の影も流れてゆきにけり 押し黙ることも言葉や青胡桃 防犯のカメラの上の燕の巣 板前の短き答へ涼新た 水飲んでまたも出て行く捕虫網 大切に使ふ一日白芙蓉 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 句集名の「青き踏む」は、髙橋悦子さんのたつてのご希望の句集名である。 実は君嶋真理子さん、「青き踏む」という句集名の装幀をこれまで何度か手掛けてきた。 「うーん、どうしよう」と言っていたが、そこは無敵の君嶋さんである。 これまでのものとはまったく異なる「青き踏む」のブックデザインとなった。 タイトルは金箔で。 表紙は爽やかなグリーン。 見返し。 帯と同じ用紙である。 扉。 地に触るる音のかそけし春落葉 檜や椎、樫などは、春となって新しい葉が芽吹いてくるのと交替して、古い葉を落とします。秋や冬の落葉とは、自ずと違いがあります。悦子さんは、その季語の本意を、「音のかそけし」と見ました。すばらしい感性です。 ふたたび藤井國彦氏の跋文を紹介した。 水飲んでまたも出て行く捕虫網 省略が効いているが、虫取りに夢中になっている子どもの様子がよくわかる。子どもって喉が渇く生き物である。夏はとくに暑いし、すぐ喉がかわいてしまう。おそらくは子どもの背丈をこえている捕虫網である。捕虫網がいったりきたりして、虫取りに夢中になっている生き生きした子どもの姿が見える一句だ。好きな一句だ。
by fragie777
| 2018-10-22 20:20
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