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10月20日(土) 旧暦9月12日
秋晴れの一日となった。 武蔵野の稲扱き風景に出会う。 今日は友人たちと飲んでいま戻ったところである。 紹興酒のロックを3,4杯飲んでちょっといい気持ち。 餃子をたらふく食べ、ほかに青菜炒め、野菜炒め、鶏の唐揚げのような(名前を忘れた)もの、麻婆豆腐、餡かけ焼きそば、杏仁豆腐のようなデザートを食べ、それにお酒をたして、一人1400円ちょっと。(特別やすくしてもらったわけではない。全員おんなじ) 非常にやすいと思いません? 美味しかったし、楽しかった。。。。 そのあとはこうして仕事場でブログを書いている。 山梨日日新聞の10月18日(木)に、三森鉄治句集『山稜』が紹介されている。 「故三森鉄治さん(甲州)の遺句集刊行」「俳人としての目 最後まで」というタイトルである。 2015年に56歳で急逝した甲州市の俳人三森鉄治さんの遺句集となる第6句集「山稜」(ふらんす堂)が刊行された。山梨の風土を詠み続け、作風は奔放自在ながらも重厚さを併せ持つ。遺句集は、第5句集「栖雲」以降に発表された590句をはじめ、生前刊行した全ての句集に季語別に並べているほか、年譜や初句索引を収載。三森さんの歩みと思いが詰まった一冊となった。 生前、三森さんが最後の入院前に「新句集草稿」と名付けて保存していたデータを基に、入院後に発表した作品などを追加。三森さんが自ら予定し準備していたものが最後の句集となった。実際の編集は、三森さんと句会を通し親交の深かった俳人舘野豊さん(横浜市)が務め、三森さんの俳人としての思いを受け継いだ。 1959年生まれ。俳誌「雲母」「白露」「郭公」などで作品を発表したほか、結社の枠を超えて句会を発足するなど多くの俳人と交流した。 奔流の果ての高嶺に冬日落つ 天守なき石垣天へ反りて夏 網戸なき病室へ夜が来てゐたり (いずれも「山稜」) 「郭公」主宰の井上康明さん(甲府市)によると、「山稜」はそれ以前の句集と異なり、落ち着いたリズムと風景を捉える確かな目で詠まれているのが特徴。「天守なき石垣」「網戸なき病室」など存在していない事象に着目、句の題材とし、「ものの手触りをつかみながら客観視して詠んでいる」と話す。 印象的なのが「対象から距離を置き、冷ややかとも感じられる視点」(井上さん)。闘病の中で詠まれた句のうち特に〈網戸なき-〉は、自分を見つめる「もう一人の自分」が存在し、作家としての視点を最後まで保っていたことが伝わってくる。 さはさはと夢の淵まで青すすき (「幻象論」1985年) 煮凝や月夜のどこも葡萄棚 (「天目」 1991年) 視点や想念が飛躍し、さまざまな情景や遠近感を思わせる句、定型から離れた意欲的な句など、あふれる才能を奔放に使い創作に情熱を注いだ。「生きていれば甲斐の風土に根ざした俳句を詠んだに違いない」(井上さん)。真っすぐに山梨を見つめ、数多くの句を残した俳人だった。 昨日19日の毎日新聞の坪内敏典さんによる「季語刻々」は、飯田晴句集『ゆめの変り目』より。 空見んと露ふみしだくことをして 露のおりている草を荒々しく踏み、空の見える場所へ出たという句。句集「ゆめの変り目」(ふらんす堂)にあるこの句から、私は次の与謝野晶子の歌を連想した。「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」(「みだれ髪」)。では、千葉県八千代市の晴さんの句集からもう一句を。「屋上は大きなひかり空澄めり」 ブログを書いていたら大分酔いもさめてきた。 本屋さんに寄ってから帰るつもり。 (わたしのそばに来てはダメだよ。ニンニク臭いかも。。。) ![]()
by fragie777
| 2018-10-20 20:39
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