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10月15日(月) 旧暦9月7日
おやつの時間のこと、 「この間NHKのドラマで、すごく面白いドラマを見たのよ。でもタイトルがどうしても思いつかないし、どんなドラマだったかさえ思い出せない。ただ、面白かったということだけ覚えている。まだこれからも続くのよ!」 「ああ、何だっけかなあ! どういうドラマだったんだろう。思い出せない!」 「こういうことは思い出さなくちゃあいけないのよお」 とわたしことyamaokaはいささか興奮してスタッフたちに叫んでいた。 「ネットで、NHKドラマでググってください。すぐにわかりますよ。そうしてもらわないと、ああ、わからない、どうしようっていつまでもうるさくて仕事になりませんから」とPさんがクールに言い放つ。 それを聞いていたスタッフの文己さんが「冷たすぎません」って言いながらクスクス笑っている。 仕方ないからググった。 「昭和元禄 落語心中」だった。 見ました? 主人公の八雲を演ずる俳優の岡田将生くんがべらぼうにいいのよ。 第一回はもうわかくない八雲を演ずるのだけど、凄みがあってあんな美しい青年がこんな目をした初老の男を演ずるとは。。 かつて彼が舞台で演じたアルチュール・ランボオはすばらしく綺麗だったな。 今回は背筋がゾクッとなるような深淵を思わせるものがあって、なんともいいのである。 八雲の養女を演ずる成海璃子もいい、存在感があってすきな女優である。 わたしは知らなかったが、スタッフによると原作は漫画「昭和元禄落語心中」(雲田はるこ)によるもので、漫画で大いなる話題を呼んでいるものなんですって。 ドラマにおいては役者もストーリーも演出も面白かった。 つづきが楽しみである。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 192頁 俳人・川名将義(かわな・しょうぎ)さんの第3句集である。 川名さんは、2008年に第1句集『湾岸』、2013年に句集『海嶺』(横浜俳話会大賞受賞)を上梓されている。中原道夫主宰の俳誌「銀化」同人、別所真紀子主宰の連句誌「解䌫」会員。本句集には、中原道夫主宰が帯文と十二句選を、別所真紀子主宰が跋文を寄せている。 潮干狩貝になりたき人もをり 「銀化」には何人かの”地雷”と称される俳句巧者がいる。 この川名氏もその一人。 その句の変幻自在は永年「連句」をやって来た、言葉に対する感受性と柔軟な頭脳から来ている。 ここに大患を経ての第三句集『回帰』に完全復活の兆しを見る。 帯文を紹介した。 中原主宰が選んだ12句なかから数句紹介したい。 紙懐炉自我が低温やけどせり 雷鳴が笹かまぼこの上に降る 四散してまた船虫になりにくる 星ばかり見えて寒波の見えざりし 玄関の次に開けをり冷蔵庫 この「冷蔵庫」の句はわたしも好きである。 機知に富んで「クスリ」と笑わせる句が多いなか、この冷蔵庫の句はあまりにもまっとうすぎてひねりがないように思えるけど、猛暑のなか冷蔵庫に突進していく人間のさまがみえるシンプルな句である。が、意表をつかれて笑ってしまうのだ。 句集名「回帰」については、著者の川名将義さんの「あとがき」を紹介しておきたい。 句集名の『回帰』は、平成二十七年二月に大動脈解離を発症し、七ヶ月の間に三度の手術を経て瀕死の淵から生還した喜びと、いつも初心に立ち返りつつ、加齢による衰えに抗し切れず作句の筆を折ることのないように、との戒めを込めてのものです。それは永劫回帰の念でもあります。 大変な闘病を経ての本句集の上梓である。 病後はいかばかりかと案じていたのだが、先日の「銀化20周年を祝う会」で川名さんにもお目にかかることができ、お元気そうなお姿にわたしは安心したのだった。 跋文を書かれた別所真紀子氏は、「回帰、それから回生へ」と題してたいへん丁寧にして気持ちのこもった跋文を寄せられた。「先生のご著書『江戸おんな歳時記』(第67回読売文学賞受賞)を拝読し、江戸期の女性俳句を有名、無名を問わず全国から選りすぐられたこともさりながら、一句一句への慈愛ある眼差しと味わい深い筆致に強く惹かれました。第三句集を刊行する際は別所先生に跋文をお願いしようと心に決めていました。」と、川名将義さんは、「あとがき」で書かれている。 全句を二読三読して受ける印象は、静謐な明るさである。洒脱と軽妙と自己客観視の不思議な晴朗さ、である。前句集から見ると上着を一枚脱ぎ捨てたような「かろみ」を私は感じたのだった。 跋文において別所真紀子氏は、「想像力への挑発」「俳諧味」「自己放下」という項目をたて、俳句をとりあげながら丹念なる批評を試みておられるが、ここでは「自己放下」より紹介しておきたい。 生きてゐる不思議を浴びる初日かな (瀕死の大動脈解離から生還) 大患を詠んだものはこの一句だけである。全句を読んで私が感じた明るさの拠って来たるところが解ったような気がした。 生死の淵から生還して作者の精神は晴朗である。一読思わず微笑んでしまう作品が多くあるのは、作者が自我に捉われない静謐な境地を得たからではないだろうか。それを自己客観化と言ってよいが、むしろ自己放下と私は呼びたい。(略) 声のしてすみれの咲いてゐたるかな 水洟やわれにかむさる摩天楼 自己放下した者にのみ、すみれは声をかけるのではないだろうか。そのほかにも、古歌や一茶、龍之介など、パロディではなくごくさりげなく気配として折りこんである句が散見される。龍之介の鼻の先は摩天楼に変身したりと、実に楽しいのである。 ほかに、 大花野屈めばこの世消えてなし 天使魚と眠れぬ夜を分ち合ふ めつむるやかをりてきたり春の闇 七十年生きて何ある炎天下 沖かけて波乗りが来る終戦日 玄関を開けて枯野に帰り着く 背くとき焚火もつともあたたかし 全身で柩は眠り蝶の昼 月光も涼しき夜具の一つなり 天高し何から忘れはじめよう 晩年といふ虚しさの立泳ぎ 香水のほのかに傘寿なりし人 晩学や男もすなる膝毛布 昼寝して佐渡に横たひゐたりけり 何もなき机上に蝉のこゑのこる 寝積や布団の中の小宇宙 春といふ去りやすきもの来たりけり 稲妻とわが妻ときに光り合ふ 本句集の本文レイアウトと装幀はすべて奥さまの川名美絵子氏によるものだ。美絵子さんは、大手出版社のデザイナーである。今までの刊行された川名将義さんの句集もすべて美絵子さんによるもの。スキのないお仕事ぶりはさすがと思わせるものがあって、川名さんは心から信頼されている様子。いや信頼以上の尊敬すらも超えて神々しい輝きをもった方なるのかもしれない。この一句、そんな妻への讃仰の一句だ。この句について、別所氏は「稲妻に照らされた妻は「光り合ふ」、妻も発光して天に応えるとき、ひとりの主婦は身の裡に豊穣を抱いた地母神、美しくも畏るべき存在となるのである。」と記す。なるほど。 マフラーに波音紛れ込んで来し 心惹かれる一句である。波打ち際を散歩しているのだろうか。冬の浜だ。海風もつめたくマフラーをしていることはなんとも有難い。なんとなく物思いにふけりながら歩いていく。その思考のきれぎれに波音が耳をつく。耳までも覆い隠すようにマフラーに顔をうづめていてもまるで波音が紛れ込むように入ってくる、そんな瞬間をとらえた一句だ。厳寒の冬の海をひとり歩いていく孤独な人間の姿が浮かんでくる。 本年十月十日に『銀化』は創刊二十周年の節目を迎えます。それは、私の句歴二十年の節目でもあります。 平成二十五年から二十九年、大患を真ん中に挟んでの五年間の中原主宰選の句と直近の句を加え三三二句を自選し、作句年に拘らずシャッフルして五章に構成しました。 病を経て作句姿勢に変化があったかと問われれば、「ない…」とお答えするでしょう。私は作句する際に見たもの、聞こえたこと、感じたことなどに自分の時どきの心模様を重ねることが多くあります。ですがこの度の『回帰』には無意識のうちに生に対する喜びや不安をイメージした句があったかもしれません。それはともかく句集を手にしてくださる皆様には自由にお読みいただければと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集は第1、第2句集同様先に書いたように奥さまの川名美絵子氏である。 全体的にインパクトのある仕上がりとなった。 表紙。 見返し。 扉。 「回帰」という句集名は、カバー、表紙、扉、すべて金泊押し。 扉の前に和紙の遊び紙をはさむ。 金銀の箔が鏤められた美しいもの。 花布はブルー。 栞紐は、やや緑かかったブルー。 本文レイアウトも川名美絵子氏によるもの。 川名氏の今後にあえて望蜀の感を持って期待するならば、それは「艶」である。かの大文豪を引くのは畏れ多いが、老年こそは「エロス・タナトス」と遊び戯れる好季なのであるから。 別所真紀子氏は跋文の終わりをこのように結んでいる。 生きてゐる不思議を浴びる初日かな 大患を経て、新しい命のかがやきのなかで日々を過ごされている川名将義氏でおられると思う。 養生第一に、そして更なるご健吟を心からお祈り申しあげます。 新聞の紹介記事などはまた明日、あらためて。
by fragie777
| 2018-10-15 20:03
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