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10月10日(水) 旧暦9月2日
湿原に咲いていた溝蕎麦(みぞそば)。 今日は燃えないゴミの日だった。 わたしのとこは隔週の水曜日である。 できる主婦はそういうこともきっときちんと頭ン中に入っているのだろうけど、わたしはデキナイ主婦なのでおおよそ間違える。 更衣をしたら要らないハンガーがたんと出て来た。 プラスチック製のもあるけど、燃えないゴミコースのものもある。 いつも燃えないゴミは溜まらないと出さないのだが今回ばかりはハンガーやらその他のものが加わって燃えないゴミの集団となった。 そして「出せよ」ってわたしに言っている。 「出すわよ」ってわたしも答えることにしているのだが、 見事に今朝出し忘れた。 あわててその集団のひしめく袋をつかんで飛び出したのだが、すでに回収車は行ってしまったあとだった。 。。。。。。。 わたしはその集団をまたもとの所に戻したのだった。 彼らの非難の目をもう2週間は我慢しなくてはならない。 新刊紹介をしたい。 詩集である。 四六判ペーパーバックスタイル 96頁 詩人・山本純子さんの4番目の詩集である。第2詩集『あまのがわ』ではH氏賞を受賞されている詩人である。本詩集の栞は詩人の松下育男さん。 詩集名「きつねうどんをたべるとき」がいい。まず美味しそうである。わたしはうどんは、「たぬきうどん」より「きつねうどん」派である。油揚げは大好物。そういえばここんとこ食べてないな。タイトルの詩もふくめて全部で20篇の作品が収録されている。言葉のリズムが躍動しているのでどんどん読める詩であるが、一篇ごとに立ち止まらせる詩である。むむって。それを著者は「あとがき」で「自分の中のむずがゆさの感覚」って書いておられるが、そうなのかもしれないが、あるいはそうでないものもあるように思える。ともかくも詩の作品を紹介したい。 いいことがあったとき いいことがあったとき 帽子をつかんで 空へ 思いっきり ほうりあげる人がいる 喜びが 空のあのへんまで わき上がっているんだ と はっきり 目に見えるように もちろん 帽子は すぐに落ちてくるから その人は 帽子をかぶりなおして また 何もなかったように 歩いていく つばをつかむと 帽子を 空へ 思いっきり ほうりあげやすい だから 帽子屋さんは ときどき 帽子を 空へ 思いっきり ほうりあげては つばの具合をみている 注文した帽子を 受けとりに行くと 帽子が 空に浮かんでしまう こともあります と書いた 領収書をくれる 読みながら私は、書かれた詩に幾度も驚かされていた。ああそんな見方があるのかという思いを幾度もした。この世界で、毎日みんな同じものを見ているのに、どうして山本さんだけに見えているものがあるのだろう。それは決して突拍子もないものではなく、ホントに何でもないもの、何でもないことの中にそっとある。山本さんの指だけが触れ、拾い上げることのできるもの。そうなのか、世界ってそういうふうにもとらえることができるのかと、そのたびに驚かされてしまう。(略) 山本さんの詩の素敵なところは、そういっただれにも見えないものを見る能力だけにあるのではない。「理由」を見極める目を持っているところにもある。どんなに見事な発想も、発想のよってたつところが明確でなければ読者は納得しない。その発想はこうだからだよというしっかりとした理由を読者は求めている。山本さんの詩にちりばめられている理由は、いつも柔軟であたたかい。(略) 詩集中どの詩も好きだが、特に「いいことがあったとき」に魅かれる。いいことがあったときにほうり投げるために帽子はある。そうなのか。そうだったのか。それならばこの詩集を読み終えたらまず何よりも、私は帽子を空高くへほうり投げよう。 松下育男さんの栞を抜粋して紹介した。タイトルは「きれいな理由を探しながら」。 本詩集の担当は文己さん。 文己さんは、「『とびばこよりも』 『ハイどうぞ』 などの篇が好きです! 」ということ。 そして、 「小さい頃の気持ちが蘇って、不思議な感覚で胸がいっぱいになります。『いもむし』みたいに、私もカーテンの中が好きでした。 雷の夜、怖がりながらも弟たちとくっつきあって、カーテンにくるまって隙間から空を見たりしていました。 」と感想をくれた。 では、文己さんの好きな詩を一篇紹介したい。 とびばこよりも とびばこ よりも 馬とびがすき だれか 馬とびしませんか さきに 馬になってくれたら わたしが つぎに馬になります じゃあ もうすこし ひくくなってね と いろんなひとに こえかけて とびつとばれつ とびつとばれつ とんでいったら もう そつぎょうのひに なりました がっこうじゅうを ひとあるき みんな せなかをかしてくれて ありがとう と つぶやけば がっこうは いちめん あおくさのにおいに みちていて てのひらは せなかのきおくで いっぱいだ 歯が生えかけるとき、むずがゆい。転んだあとの擦り傷が治りかけるとき、むずがゆい。全きものになろうとする手前のところが、どうもむずがゆい。 アホロートルという生きものがいて、それを見るとむずがゆい。アホロートルは通称、ウーパールーパー、和名はメキシコサンショウウオ。幼形のまま成熟する。成体なのに、その一歩も二歩も手前のような見た目がむずがゆい。 そのアホロートル、ゲノムが、これまでに解読された生物の中で最大なのだそうだ。アホロートルは、トカゲのしっぽの再生能力より、はるかに高いからだの再生能力を持っている。今年に入って、アホロートルのゲノムが解読されたと発表されたが、そのDNAの特徴が、再生能力の秘密に関わっているらしい。 自分の中のむずがゆさの感覚、それを追いかけることで、自分の中で何か新鮮に再生してくるものがないか、そんなことを思って、自分の中のアホロートルを何匹かつかまえようと追いまわした、これはそんな詩集です。 「あとがき」である。あとがきもまた、詩のリズムが生きている。 本詩集の装丁は和兎さん。 ![]() 和兎さんの提案も取り入れて下さいつつ、 ご自身の希望通り形になって嬉しいとのこと。 図版はおなかいっぱいのきつね!トレードマークにされたいくらい気に入ったとのこと。 良かった! 帯の裏側にそっといるきつね。 これは山本純子さんから担当の文己さんがいただいたメール。 あまりにも面白いので紹介したい。 昨日、詩集を届けてくれたクロネコさん、 「ちょっとお聞きしますけど、 〝きつねうどんをたべるとき〟って、なんですか、 きつねうどんが入ってるんでっか」 「いえ、詩集なんです」 「そうでっか、また、 ふらんす堂って、うどん屋かいな、思いましたわ」 発送伝票に、品物欄がないので、 悩まはったみたいです。 重いから、うどんのつゆが入っていると 思わはったのかも。 私が、妙なタイトルをつけたからですね。 ふらんす堂という洋菓子屋さんはあるようですが、 たぶん、うどん屋さんはないですね。 「ふらんす堂」といううどん屋さんなんていうのもいいなあ。 ああ、むしょうにきつねうどんが食べたくなったぞ。。。 今日はお客さまがおふたりいらっしゃった。 俳人の藤本夕衣さんと画家の伊藤香奈さん。 藤本夕衣さんがこの度句集を上梓されることになり、そのご相談に見えられたのだ。 伊藤香奈さんは、藤本夕衣さんのご友人。 夕衣さんとは、小学校から中学校までの同級生で一緒にお絵かき教室に通っていた仲であり、夕衣さんが尊敬する友人である人とのこと。 句集を上梓するときは、伊藤香奈さんの作品を装画にしたいとずっと思っておられたということ。 今日は伊藤香奈さんは、作品と作品カタログを持ってご来社くださった。 伊藤香奈さんは、夕衣さんのためにあらためて装画を描かれるのである。 句集名のことなども話あいながら、どんな句集になっていくのだろうかと、わたしは楽しくなってきた。 藤本夕衣さん(左)と伊藤香奈さん。 藤本夕衣さんは、大学生のときに田中裕明さんと出会った。 おばあさまは、俳人の加藤喜代子さん。波多野爽波の「青」で俳句をはじめ、「青」終刊後は、田中裕明の「ゆう」に創刊入会、平成13年(2001)に「ゆう」賞を受賞されている。ふらんす堂からは、『聖木曜』と『霜天』の二冊の句集を上梓しておられる。今年94歳になられる。生前の田中裕明さんが、加藤喜代子さんのことをとても大切に思われていたことをわたしは思い出す。加藤さんもまたご自身よりはるかに若い師を心から尊敬されていた。 夕衣さんはそのおばあさまのおすすめで田中裕明さんが指導する「ふらんす堂」句会にいらしてくださったのだ。 「田中さんの指導を受けられたのはどのくらいの間でした?」と伺った。 「たった8ヶ月なんです。」と夕衣さん。 「はじめてお会いしてご挨拶したときに、裕明先生が『素直につくって下さい』とおっしゃったんです。それがわたしの原点です。」と夕衣さん。 「俳句をつくるときだけでなく、自分の句を選ぶときもその言葉が浮かびます」と夕衣さん。 田中裕明亡きあとは、綾部仁喜、大峯あきらの指導を受けたが、その両師もすでに亡くなってしまった。 おばあさまの加藤喜代子さんが、句集を心待ちにされているという。 すこし前はお身体の調子が悪かったが、ふたたびお元気になられたという。 わたしも、よく存じあげている加藤喜代子さんが、夕衣さんの句集を手にして喜ばれるお姿を想像すると嬉しくなる。
by fragie777
| 2018-10-10 20:26
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