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10月5日(金) 旧暦8月26日
数日前にこのブログにショパンのピアノ曲が聴きたくて結局CDを持っておらずあきらめたことを書いたが、その代わり(?)にバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番とパルティータ第1番を聴いた。 胸がかきむしられるようだった。 かつて20代だったころ、男友だちが「恋をしてパルティータを聴くと胸がかきむしられる」と言っていたが、別に恋をしていなくても胸がかきむしられるとそのことを思い出して思った。 日頃、ツラの皮厚く心臓に毛をはやして生きているyamaokaであるので、たまには胸がかきむしられる時間というのも悪くない。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 198頁 著者の牛田修嗣(うしだ・しゅうじ)さんは、昭和44年(1969 )神奈川県生まれ、現在は横浜市在住。平成9年(1997)「狩」入会、鷹羽狩行に師事、平成12年(2000)「狩」弓賞受賞、平成116年(2004)「狩」評論賞受賞、平成29年(2017)「狩」巻狩賞受賞。現在「狩」同人、俳人協会幹事。本句集は、平成9年(1997)から平成29年(2018)まで21年間の作品を収録した第1句集である。序句、帯、鑑賞2句を鷹羽狩行主宰、跋文を片山由美子副主宰が寄せている。 白南風にのりて一気に湾を出づ 狩行 騎初のオートバイでふ鉄の馬 夏潮のコバルト裂きて快速艇 ペガサスの駈けて夜もまた天高し 若くして俳句とめぐりあい、内容も表現も現代性にあふれていること、人柄の誠実であること、大いに将来に期待ができる。 鷹羽狩行主宰の帯文である。 牛田修嗣さんに期待すること大である。 花火果て千夜一夜を経しごとし 絢爛豪華な花火が次から次へと揚がり、思わずわれを忘れて仰ぐ。そうした花火を堪能したあとの満足感を「千夜一夜を経しごとし」と表現。花火が終ったあとのむなしさも出ている。日本版「千夜一夜」。 鑑賞二句より一句紹介した。 鷹羽先生のみならず跋文を書かれた片山由美子副主宰もまた、牛田修嗣さんへ期待するものは大きい。 本句集を読まれた方は、著者の牛田修嗣さんとはどのような人物なのか、その素顔を知りたい、と思われるかもしれない。爽やかで清潔で、ミントの香りがしそうな作品の数々が、著者への関心を抱かせるのは当然のことだと思う。 あとがきにも著者略歴にも、ほとんどその手掛かりになるようなことは書かれていないのだが、そこに著者の明確な意図がうかがえる。作品によって自身が何者かを訴えようとはさらさら考えていないのである。(略) 『白帆』を通読して感じたのは、作曲家が心に浮かんだ美しいメロディーを書き留めようとするように、牛田さんは心に映る風景を描いているということだ。句集をまとめる際に意識したと思われるのは、一巻を通してのテーマを「横浜」とすることである。自身が横浜に住んでいるばかりでなく、敬愛する鷹羽狩行先生の「横浜」であることが重要なのだ。 馬車道の火ともし頃をぼたん雪 白南風や操舵輪めく観覧車 マスト掠めて横浜に燕来る 横浜に馬車のまぼろし黄落期 三鬼忌やバーの窓より港の灯 匂ひ濃くただよひ中華街の夏 古くて新しいのか、新しくて古いのか、横浜という街には独特の魅力がある。その味わいは牛田さんの俳句のもつ味わいに通うものがある。 ところで、「白帆」というタイトルが語るように、牛田さんは白く清潔なものに惹かれるようだ。 白きもの干されて靡く薄暑かな 白樺の梢さざめき風の秋 婚礼の鐘たんぽぽの絮とばす 参道の少し端ゆく白日傘 車窓ぬぐへば雪の村雪の嶺 こうした作品に対して、美し過ぎる、あるいは屈折がなさ過ぎるという感想を持つ人がいるだろう。作者は何の苦労もない人生を送ってきたのではないかと思われるかもしれないが、そうではない。青年期に心に痛手を負う経験をしたことを牛田さんは書いたことがある。その苦しさから救ってくれたのが俳句であったという。俳句が牛田さんの人生に希望をもたらしてくれたともいえる のである。つらい現実から離れるためであった俳句が暗くなろうはずはない。 跋文を抜粋して紹介した。 本句集の担当はPさん。 夜をさらに深めむと打つ鉦叩 夏潮のコバルト裂きて快速艇 捨てられしもをあらはに川涸るる 朗読の少年の額みどりさす 時差ぼけの欠伸もらひて春隣 影落すことなき高さ鷹渡る 乗り換へて一人となれり花疲れ 春日傘美しければ追ひ越さず 足が日に触れ雲に触れ梯子乗 春日傘美しければ追ひ越さず 春の長閑さがたっぷりとあり、それは「追い越さない」人の心の長閑さでもあって、いいなあと思う。前を行く美しい春の日傘、ゆっくりといく日傘、それを楽しみながらあとを行く、ロマンを感じてしてしまう。映画のワンシーンのようにまず日傘が見えてきて、その日傘との距離を楽しんでゆっくりと歩いていく青年の姿がみえてくる。素敵だ。牛田さんは「日傘」にロマンを思うらしい。集中「日傘」の句がかなりある。ほかに「コクトーの詩集に栞浜日傘」「参道の少し端ゆく白日傘」「沖の帆と汀の日傘すれ違ふ」「つひに振り向かずに去れり白日傘」「たたまれて莟に戻る春日傘」など。「日傘」は牛田さんに詩心を呼び起こすのである。どれも牛田さんらしく清潔に詠まれている。美しいものに距離をもつこと、それが大事だ。 この一句に出会って、牛田さんは師・鷹羽狩行の叙情の美しさを継承している俳人だと思った。 端居して勝ち負けの世に遠くをり 「勝ち負けの世」にいささか疲れてしまった心をがあるのだろうか、牛田さんはまだ充分わかい俳人である。社会生活においてはまさに「勝ち負けの世」の真っ只中にいることだって余儀なくされているかもしれない。ほとほとそんな世の中なんて嫌だなあとも思いながら、それでも生きて行かなくてはいけないので大変である。せめて端居のときくらいは、その呪縛から解き放たれてぼおーっとしていたい。「勝ち負けの世」という現実かららすこし距離をとっていたい。「遠くをり」この心象的な距離感が大切なのである。 牛田さんにとって「距離」というものが大切なのかも、なんてわたしは勝手に思ったりしている。 俳句を始めたきっかけは鷹羽狩行先生の海外詠を読んだことである。その明るく現代的な作品には、新鮮な魅力が満ち溢れ、俳句への扉を大きく開いてくれた。すぐに「狩」に入会し、たちまち俳句の虜になった。その頃、現代的でエキゾチックな趣のある横浜の港へ通いつめたのも懐かしい思い出である。 同時に、季語の背後に広がる伝統の重みや五・七・五の調べの妙味にも魅了されてきた。季語と調べは俳句を支える二つの柱といえるだろう。俳句の伝統を大切にしながら、現代を生きる私の俳句を目指してゆきたいと念じている。 「狩」のモットーである「古典を現代に生かす」は、これからも変わらず私を句励まし、支えてくれるに違いない。(略) 句集刊行にあたり、二十一年間の歩みを振り返ることができたのも幸いであった。素材・発想・表現、いずれも幅が狭く未熟であることを痛感した。今後の課題としたい。一方でこの歳月は、狩行主宰の言葉「俳句は人生に潤いと安らぎをもたらす」を実感した日々でもあった。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ほかに、 春深し頰杖とけぬ乙女像 黒猫の影も黒ねこ日の盛 花火果て千夜一夜を経しごとし 爪先のさきに海原籘寝椅子 寝ころべば傾ぐうなさか苜蓿 耳をすませば四方より枯るる声 夏岬地図ひろぐれば風はらみ 一対の松のあはひの淑気かな その翼呉れよ五月を飛ばぬ鳩 短日や箱を運ぶに積み重ね 初夢の覚めて地球に戻りけり ネクタイをゆるめて我も花見人 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 爽やかで清々しい一冊となった。 「白」を基調とした清潔な一冊である。 表紙も白の布クロス。 タイトルと名前は濃紺の箔。 青と白の本。 富士といふ白帆を張つて初御空 牛田さんは、「狩」において鷹羽狩行主宰はじめ多くの信頼をあつめる主要同人のひとりである。「狩」が創刊四十周年を迎えた今年、その成果の一冊として『白帆』を世に送り出せることはこの上ない喜びである。白帆をいっぱいに張り、大海原へ滑り出して行ってほしい。さらなる広い世界を目指して─。 片山由美子副主宰の跋文をふたたび紹介した。 爽やかな祝福で世に送りだされた一冊である。 余談であるが、牛田修嗣さんとは、先月の23日に蔵王で行われた「狩」40周年ではじめてお会いしたのだった。 長身の爽やかな清潔感あふるる男子だった。 わたしはお会いして、(『白帆』の装丁はピッタリだったな。良かった!)とまず思ったのだった。そう、この装丁のような人である。 (今日は爽やかという言葉をずいぶん使ったような気がする)
by fragie777
| 2018-10-05 20:54
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