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10月2日(火) 旧暦8月23日
秋の水。 今日は暑いのだろうか、寒いのだろうか、 まったくわけがわからない。 さきおとといは、猫たちのために床暖房(?!)をつけた。 昨夕は扇風機をまわした。 今日は。。。。 わたしの身体は、この天候の変化をどう思っているのだろうか。 わが身体に聞いてみたい。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装。 256頁。 俳人・三森鉄治(みつもり・てつじ)さんの遺句集である。 第5句集『栖雲』(2011年刊)に次ぐものあるが、次の句集の準備をされながら病気のために2015年に急逝され遺句集となってしまったものである。 三森さんの妹君である赤星美佐さんのご依頼をうけて、句友の舘野豊氏がパソコン等に残された句稿を丹念に集めて第6句集としそこに補遺も加えて収録したものである。平成23年(2011)から平成27年(2015)年までを第6句集とし、そのほか資料となるべき残された句を加え補遺とした。舘野さんの丁寧にして細心なご尽力によって成ったものである。そのことを「あとがきに代えて」で、舘野豊さんは、次のように記している。 句集『山稜』の内容は、最後の入院前に三森鉄治さんが〈新句集草稿〉と名付けて保存していた電子データに基づく。データには、第六句集『山稜』として、前句集『栖雲』以降に発表された作品が、ほぼ制作順、発表順に収録されている。 遺句集を刊行したいとのご遺族のご意向を受け、鉄治さんの生前、句座をともにさせていただいた舘野が内容の整理に当たった。 「補遺」についても、詳細な方針が記されているが、それは本書を読んでいただきたいと思う。 句集『山稜』と「補遺」から句をいくつか紹介したい。 吹きちぎれさうな月なり辛夷なり 蒼天へ抜ける石段辛夷咲く 目覚めたる子に囀りの不思議かな 振り向かぬ背を追ひゐたる春の夢 牛の子に藁を敷き足す五月闇 通夜の灯に一つ大きな白蛾かな 落鮎の目にも遠嶺の月あらむ 涅槃西風樹液ぽたぽた土に滲み どこからとなく現れて春田打つ 尾を振りて虫垂れてくる新樹光 霧を踏み杉の根を踏み大滝へ 夏旺ん若さは透ける耳にさへ 日の沈むまで日の色に寒牡丹 息洩らすやうにかさりと竹落葉 迎へには来るなと伝へ螢の夜 弥陀ならぬ掌なり蟻吹きとばしけり たましひといふ蒟蒻玉のごときもの 丸ごとが嬉しき冷し胡瓜かな 「補遺」より 正午の日しんと泉の底にあり 波のごと散りて夜の白さるすべり またの世も師を追ふ秋の螢かな (掉尾の句) 紹介はしなかったが師・龍太を思う句はところどころにあり、その師への思慕の深さを思わせる。 また、この間闘病をされていたはずであるが、自身の病気や生活を詠んだ句は極めて少ない。 ほんのすこし、それとわかる句が自然詠のなかにおかれているだけである。 いくつか紹介したい。 露寒の痰に混じる血うつくしき 副作用なきも神慮か花八つ手 柘榴の実仰臥の顔に当てゐたり 網戸なき病室に夜が来てゐたり 静かに病身の我を詠んだ句である。 妹さんの赤星美佐さんの「兄のこと」を抜粋して紹介したい。 平成二十六年、兄が五十五歳にして末期の癌であることが判明し、私は失意のどん底に落とされました。もちろん、本人は、誰よりもショックを受けていたはずです。しかし、兄は、癌であることを知ってから一度も諦めることはありませんでした。一人で痛みと闘い、一晩中うめいて一睡もできない日が続いても、「大丈夫。死なないから」と頑張っていました。結局最期まで一度も「もうだめだ」と言うことも、涙を見せることもなかった兄。いったいどこにあんな強さがあったのでしょう。そんな兄を誇りに思います。(略) 「俳句が作れるくらい元気になりたい」と亡くなる前の二週間の入院中、兄がいつも言っていました。早くよくなって俳句を作る、それを目標に病気を治そうと頑張っていました。俳句を書くことが生きがいだった兄は、数えきれないほどたくさんの俳句を残しています。入院中も、この第六句集を編集したくて、パソコンを持ってくるように言いましたが、すぐに亡くなってもおかしくないと言われるくらいの重篤な状態で、最後まで編集できずに旅立ってしまいました。(略) 生前、兄は、俳句を通して多くの方とお付き合いをさせていただきました。俳句に対する兄の思いをお仲間の皆さんが忘れないでいてくださることを妹として願います。 五十六年という短い人生でしたが、兄は、多くの皆様とともに人生を駆け抜けたのだと思います。兄が残した句と共に、兄の思いがいつまでもこの世から消えませんように。 編集をされた舘野豊さんの「あとがきに代えて」より、抜粋して紹介したい。 三森鉄治さんと親しく接するようになったのは、彼の呼びかけで始まった小さな句会がきっかけだった。吟行をして出句数は無制限という原則を堅持しながら、おおむね隔月開催で現在も続くその会に、亡くなる数ヶ月前まで、ほぼ毎回出席し、すべての回の記録を残してくれたのが鉄治さんだった。これまで彼が俳句に書き残したのは、三森鉄治という総体のごく一部に過ぎない。(略) 表現されない多くの未知を残したままの、早すぎる死だった。 三森鉄治さんは、俳壇的な栄誉や権威を求めることなく、常に真摯に俳句に向き合ってきた。一度句座をともにすれば、人間的な魅力に誰もが惹きつけられた。その早すぎる死は、仲間にとって大きな痛手であるだけでなく、俳句の世界にとっても、埋められない損失だった。このような形で鉄治さんの句業がまとめられ、その全貌に触れることができるのは、誠に意義深いことであると思う。 この句集のお話をいただいたのが2016年の始め頃だったのような気もするがもう覚えていない。遺句集をというお話をいただき、それならば季語別による全句とその初句索引をつけましょうとご提案し、快諾をいただいたのだった。全句集をつくることはなかなか大変であるが、季語別にして全句を収録しておけば資料性が高いものとなり歳時記を編集するときなど参考になる。生前の三森鉄治さんの俳句への情熱を思えば、きっとそのことを天上の三森さんは喜んで下さるのではないか、と思ったのだった。 全句を収録して季語別にしていく作業はかなりの時間と労力が必要になるが、こうして出来上がった句集『山稜』を手にしたとき、やはり全句が収録されている、ということはその作家の全重量を感じることができる。 この仕事の作業はたいへんであるが、わたしは好き。 しかし、舘野豊さんは本当に大変だったと思う。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 表紙。 見返し。 2011年3月30日にふらんす堂に句集の打ち合わせでいらっしゃった時の写真である。 天アンカットにして栞紐をつけた。 甲斐の山々に抱かれて三森鉄治さんは眠っておられる。 俳句作家にとって、なによりも自分の作品がおおくの人の眼にふれることが願いである。 先日、俳人の大西朋さんにお目にかかった時に、 「今度の角川書店の新しい歳時記の秋に三森さんの句がずいぶん載ってましたたよ。わたしは三森鉄治さんの作品が好きでその鑑賞を書いたこともあるので、すごく嬉しかったんです」と教えてくだった。 さっそく歳時記の「秋」を開いてみた。 句集『山稜』が刊行される前だから、『山稜』前の作品である。 紹介したい。 秋高し草の貼りつく乗馬靴 句集『魁』 今ここにゐる遙けさの花野かな 句集『栖雲』 草市の風に呼び止められしかな 句集『仙丈』 逢はざればこころ離れて秋の蝶 句集『栖雲』 山国の空引き寄せて通草挘ぐ 句集『栖雲』 三森鉄治さん最後の句集『山稜』もまた多くの人に読まれていくことを、版元として願ってやまない。 今日は大阪からはずばるお客さまがいらっしゃった。 いまふらんす堂では、川柳作家の樋口由紀子さんのあたらしい作品集「めるくまーる」を制作中である。 その装丁を、樋口さんの句会仲間である俳人の野間幸恵さんが担当されている。 野間さんが描かれたものを、樋口さんが気に入られてそれを作品集のカバーにしようということになった。 いかにそのイメージを実現するか、 いろいろとお電話でやりとりを致したのだが、なかなか埒が明かないということで、 野間幸恵さん、フットワークよろしく仙川までいらして下さったのだ。 いろいろな色見本をご覧になりながら、 「いやあ、楽しいわあ」と関西のイントネーションでおっしゃりながら、あれこれと思案されている。 野間さんのイメージを具体化するのはスタッフのPさんである。 「こういう色がいいって言ってもなかなか難しいもんやわ」と、おっしゃりながらも楽しそう。 そんなこんなで、いろいろとやり取りするうちに段々と決まって、あとは作者の樋口由紀子さんの了解をいただくのみというところまで決まった。 (良かった!)とわたしは胸をなでおろす。 野間幸恵さん。 俳人である。 伺えば俳句歴30年以上、亡くなられた永末恵子さんととても親しかったということ、それは嬉しい。 (永末恵子さんのこと、もっと伺いたかった……) 「わたしの句、難解俳句。だから結社とかには入らないで、インターネットで句会を仲間としてます」 「攝津幸彦さんが亡くなって、わたし等は地下に潜って活動するようになったんです」と笑う。 「地下に潜ったのですか…」と思わずわたしも笑う。 ご本人が言う「難解俳句」とは、いったい。 こわいようだが、読んでもみたいような。。。 野間幸恵さま。 はるばるご来社くださいまして、ありがとうございました。 無事に大阪へお戻りになられたでしょうか。
by fragie777
| 2018-10-02 20:45
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