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10月1日(月) 旧暦8月22日
今日から10月である。 昨夜の台風は怖かった。 二階に寝られず階下で猫たちとビビっていた。 台風で「仙川駅」の表示板が飛んでしまった。 仙川商店街の野良猫たちは無事だろうか。 行ってみるとなんとも長閑である。 先客の女性にさかんに撫でられたいた。 ご無事でなによりでした。 昨日の朝日新聞の青木亮人さんによる「俳句時評」は、「読み、詠む」と題して何冊かの句集がとりあげられている。 抜粋となるが紹介したい。 短夜の銀色となる駐輪場 キム・チャンヒ『少年期』(マルコボ・コム刊)。子どもたちに楽しく読んでほしいとの思い(「あとがき」)で編んだ句集だ。 座布団は全裸に狭しほととぎす 山田耕司『不純』(左右社)洗練されたズレが世界に対する驚きやユーモアを醸成する。このナンセンスに近い急展開を興がる認識は俳句の独壇場であろう。 子猫洗ふ尻尾の雫絞りつつ ほかに岸本尚毅・夏井いつき共著『「型」で学ぶはじめての俳句ドリル」(祥伝社刊)が、「具体的な説明が頼りになる」入門書として紹介されている。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 208頁 著者の山田牧(やまだ・ぼく)さんは、昭和47年(1972)東京生まれ、現在は東京・杉並区に在住。「宵待屋珈琲店」を経営しておられ、平成22年(2010)にお客さまのすすめで俳句を始める。平成24年(2012)に俳誌「未来図」入会、平成26年(2014)「未来図新人賞」受賞、平成27年(2015)未来図同人、俳人協会会員である。本句集は、平成22年(2010)から平成29年(2017)までの341句を収録した第1句集であり、鍵和田秞子主宰が序文を、角谷昌子さんが跋文を寄せている。 オクラ切るこちら流星製作所 この句、現実の生活体験から生まれている。牧さんはじっさいにオクラを刻んでいるのだ。切り口が星型になるオクラを薄く切り、多くの星を生んでいる。まさに星の製作所だ。今までにこれほど斬新な感性の句があったろうか。しかも俳味もあって、広い宇宙への夢まで伴う句である。 鍵和田秞子主宰の序文を抜粋して紹介した。 この句は、句集名となった一句である。 次は角谷昌子さんの跋文より紹介したい。 角谷昌子さんは、山田牧さんに親身にあれこれとアドバイスをなさり、懇切な跋文を寄せて下さった。 一歩づつ透きとほるなり大枯野 「しばらくは自分のかたちコート吊る」「ハンモック自分のかたち置き忘れ」など、己にこだわって詠むのも、自己表現の方法として俳句を選んだ理由であろう。「大枯野」は、芭蕉の辞世の句を意識していよう。万象枯れ尽くした野を歩めば、冬日に身体が透けていくようだ。枯野を歩む自分のいのちの相を身体感覚で捉えて実感があり、存在を凝視する実存精神が息づく。(略)次の句は、対象の圧倒的な存在感が心に残る。 秋天の端に大仏置かれけり 本句集の担当は文己さん。 あめ玉のセロハン透かせ春を待つ 三日月のとんがる方へ踏み出せり しばらくは自分のかたちコート吊る 春月を取りにゆかむと長梯子せり 霾や指名手配の貌となり 平成の埃重なる扇風機 飲み干して赤きストロー夏惜しむ 白鳩を五羽飼つてゐる冬帽子 陽の当たる列を選びて初詣 船長の堅き敬礼風光る 先端は上向くアスパラガスの束 しづかなる鰻と月と大盥 買初のきれいなお辞儀受けにけり あめ玉のセロハン透かせ春を待つ この一句はわたしも好きな句である。山田牧さんは、鍵和田主宰や角谷昌子さんが書かれているように「天体」や「宇宙」を詠んだ句が多いが、日常身辺の句を詠んだ句にも良い句がたくさんあると思った。ごくさり気ない物をとおして季節を詠むことが上手い作者である。この一句もあめ玉をなめようとセロハンを剥いたとき、ふっとそのセロハンを透かしみた。あめ玉のセロハンであるからきれいな明るいものなのだろう、そのセロハンを通過していく光のまぶしさ、ああ、もうすぐ春なんだなあと飴の甘さを味わいつつ思ったのである。ただ事実だけを述べているのだが、春を待つよろこびの心象が見えてくる一句だ。 しばらくは自分のかたちコート吊る この句もいいなあ。脱いだばかりのコートって自分の身体の癖など、たとえば猫背であったり反り身であったり、その癖がまだそのまま残っている。吊してみて、あららわたしのかたちってこんな風よねって思って、おかしくなったり愛おしくなったり。しかし、つり下げられたコートはその重みもあってか段々とわたしのかたちから解放されて他人様のようになってやがてはスマシテしまう。「しばらくは」がわたしとコートとの宿命である。 「あとがき」はとても生き生きとした文章なので全部を紹介したいところだが、抜粋する。 まだ軌道の定まらない自分をのびのびと泳がせて下さる。「未来図」の、俳句の懐は、大きな大きな宇宙であった。 そして俳句を続ける中で、どこか切羽詰まらない自分をしっかりと一点に立たせる、という人生の課題に出会ってしまった。それは自分を信じ時に自分を疑う、という延々と続く作業なのだと気付かされた。こりゃ大変だ。大き過ぎる、広過ぎる世界だ。何てこった。 そんな中でも句集を出せる運びとなった。やはり私は運がいい。常々、宵待屋珈琲店に加えてもう一店舗を展開してみたいと考えていたのだが、到底現実的に無理である。そこへ「星屑珈琲店」の出版である。二店舗目を叶えられた様で嬉しい。自分など宇宙の組成のひとつにも為り得ないが、それでも、確かにここにいる、そんな思いを句集に込めた。 ほかに、 みのむしやいもうとのうそ知らぬふり 黒板に明日の約束しぐれけり おもむろに触れたる造花冴返る メロンに刃入れて白昼満たしをり 麦わら帽去年の風に会ひに行く 林檎捥ぐ新しき語を知るやうに 西暦で記す履歴書神の留守 冬灯玻璃に張り付く闇一枚 石鹼玉淋しき人に近づくか 冬の月東京タワー手折らむか 血のうすき一日なりけりダリヤの緋 秒針とB 5 ノートと秋灯 霾ぐもり海を指したるホープの矢 汗垂るるヘルメットみな訛りあり 片かげり自分の影を逃れたる 本句集の装丁は、君嶋さんのラフ案にデザイナーである山田牧さんのご夫君が手を入れて、牧さんの好み通りのものにされたのだった。 ご夫君の愛情が芸のこまかさとなって生まれた一冊である。 平成の埃重なる扇風機 投票や左右に首振る扇風機 ともに「扇風機」を詠んだ句である。さきほども書いたが、山田牧さんは日常の卑近なものを詠んでも巧い俳人だと思う。一句目、平成も間もなく終わろうとしている。牧さんが経営する珈琲店の片隅にある扇風機かもしれない。店内はすでにクーラーを設置して扇風機は単なるインテリアの一環かもしれぬ。そんなうっすらと埃がたまった扇風機、そんな風にして平成の世にありつづけた扇風機であるのだから、その埃はまさに平成の埃だろう。二句目の「扇風機」も投票所などではよく見かける。小学校の体育館などを利用して投票場などにしている場合が多い。会場は外に向かって開け放たれているから、クーラーを利かせることもできずそういう場合は扇風機が活躍する。わたしの投票所もそうだ。左右に首を振っている扇風機の存在は有難い。景がよくみえてくる一句だ。 そうそう、山田牧さんが経営されている「宵待屋珈琲店」は杉並区荻窪にあります。 お近くにいらした方は是非にお寄り下さい。 牧さんが美味しい珈琲を煎れて下さいます。 是非に!! 今日は午後6時より、ザ・キャピタルホテル東急「鳳凰」の間にて、株式会社角川春樹事務所 創立22周年記念祝賀会 及び 第10回角川春樹小説賞の授賞式が行われる。 スタッフのPさんが、お招きをいただき伺う。 さきほどラインにて実況中継があったのだが、「すごい!、こういう会ははじめて」などなど興奮した報告があった。 俳句や短歌のお祝いの会とは全然ちがうらしい。 広告業界の人たちやジャーナリズム関係の人たちがたくさんきて、それこそ華やかなビジネスの社交場(?)となるのだ。 ふらんす堂はこの度角川春樹主宰の句集『源義の日』を刊行させていただいたので、担当スタッフのPさんがお招きをいただいたのだが、はじめての経験で大変驚いているようだ。 わたしは皆目見当がつかず、「あら、まあ、そうなの」と言うばかり。 ともかくこの日のために句集『源義の日』をお間に合わせてできてホッとしている。 今日入らした方々にお持ち帰りいただくようだ。 この句集については、また日を改めて紹介したい。
by fragie777
| 2018-10-01 20:03
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Comments(2)
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