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9月28日(金) 蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ) 臥待月(ふしまちづき) 旧暦8月19日
今日は空が青かった。 桐朋学園沿いに木槿の花が咲いていた。 今日の72候は第47候の「蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ)」。 その意味は、 自然界は人間の世界よりも季節の時計が進んでいるのか、虫たちは十月に入ると早くも冬ごもりの支度に入ります。蟷螂や蟋蟀は卵を産んで次の年に新しい命をつなぎ、紋白蝶や揚羽蝶の幼虫はさなぎになって寒さに備えます。天道虫や鍬形は成虫のまま木の根元や土の下に潜って、啓蟄までの半年近く、静かに春を待つのです。 「くらしのこよみ」より ということはそろそろ虫の声も聞こえなくなるのだな。。。。 月をみるために戸をあけると、昨夜などかすかに虫の声がしていたが、かなり弱かったかもしれない。 人間にも冬眠という期間があったなら、世界はもう少し穏やかになっていたかもしれない、なんて思った。 (いまからでも遅くはない、みんなで冬眠しよう) さて、新刊紹介をしたい。 詩集である。 46判ペーパーバックスタイル 92頁 詩人・小松宏佳(こまつ・ひろか)さんの第一詩集である。 栞に詩人の福間健二氏と舞踏家の笠井叡氏が言葉を寄せている。小松宏佳さんは詩を書きはじめるまえに笠井叡氏のもとで「オイリュトミー」を学んでいるのだ。オイリュトミー(Eurythmy)とは、オーストリアの神秘思想家、教育家であるルドルフ・シュタイナーによって新しく創造された運動を主体とする芸術である。ある種の舞踊ないし総合芸術、パフォーミング・アーツであるとも言われる。とウィキペディアにあるように言葉ではなく肉体をもちいる芸術表現である。 自分の好みを言うだけのことにしたくないが、いま読みたい詩の条件をひとつ言うと、明るさである。元気、陽気ということではない。(略)意識の濁りがなく、しかし整いすぎているわけでもなく、意外性にみちている。そういう明るさを、小松宏佳の作品も書きだしから遠慮なしに放っている。 どこだろう と思う 初めての駅を出て 日本、だろうここは たとえば作品「空があくところ」は、こんなふうにはじまる。初めての駅に降りて、もしかしたらカフカ的迷路に踏み込もうとしているかもしれないのに、この言い方の明るさ。ユーモラスな強さがある。ここから「空があくところ/わたしが飛んでいる」という結びまでの、観察力と抜けのよさの見事な併走ぶり。目の前のものをよく見ていると同時に、なにか、とんでもなく自由なのである。 福間健二さんの栞はこんな書きだしではじまる。 「とんでもなく自由」というのはよくわかる。 詩を紹介したい。 十五夜 月のことだけで、どこへ着くのか知らなかった 九人乗りのバンに五人が乗った 街なかの揺れに眠くなり 高速道路のゆるいつまりに目覚めたりして 「トイレ休憩をしましょうか」 赤い電車が見えた気がする いきなり海だ、三浦海岸という 浜におりて立ってみると わたしは、はるかにひとりだった、おぼつかない独り 潮風は太陽のめまいを拡散できるし 白波は月のなやみを練っている 足元の乾いた藻が まるく走りだし わたしもつい追って走る それはハマヒルガオの葉にかくれて止まった 流されてきたものたちの旅のはなし 貝殻のサーフボード 胡桃の殻の舟 砂、極小の粒たちのまばたき つかまれてはらわれて散るこの、 砂になったものは何か こんな手ざわりのいい性格になって 風紋の手伝いをしたりするのだ 秋の日のぬくい砂 夜 カチャカチャするポケットから 貝殻や砂、海藻や、鳶の羽をだして 宿のテレビの横に、並べて置いた 波は月の光と踊りつづけ わたしは、十五夜にながされていく 私は洗練された詩とか、プロフェッショナルな詩とか、余りにも詩人であることに慣れきったカラダから出てくる言葉に感動したことがほとんどない。それほど貪欲でもなく、軽食をするように言葉を食べてそれを消化し、それが血液の熱を通して体表から薄っすらと空気の中に広がって行こうとする、カラダとコトバの「あわい」の中では、深く柔らかに息つくことができる。 空の中に町並がつづく なんだろう 風ばかり集まってくる 街路樹は大きく旋回し 浮かされ歩く足は斜めにながれ 頭は軽さに傾く 髪の毛は重力を忘れ 空があくところ わたしが飛んでいる 町並みと空気とコトバと髪の毛と、すべてのものが溶け合いながら外に広がっていく、カラダが常に呼吸している、それが小松宏佳にとっては重要なのだ。そこでは時間が空間化され、空間が時間化され、周囲の人間に親しい犬や猫や、花鳥風月が首飾りの糸となって、どちらが彼女であるか見分けがつかないほどに自由な時空が、出現している。 笠井叡さんの栞より。 やはりここでも「自由な」時空が語られている。 「わたしが飛んでいる」とあってもそれはまったく奇異ではなく自然体だ。だから「十五夜にながされていく」こともできる。 今、言葉は人間にとって情報伝達の手段として扱われていますが、オイリュトミーは、言葉がもつ内的なエネルギーがわたしたちの人体に大きく関わっていることを教えてくれます。 発声する力のなかにあるもの、それは動きつづけ、思考や感情や意志にはたらきかけます。それはまた外へながれて空間を形成します。 詩の会に参加したとき、作者の詩が作者の声で語られる、その現場に立ち会える、そのことがわたしにとってなにより感動的でした。詩についての意見交換も貴重でしたが、多くの生きた声に出会えたのは喜びです。 「あとがき」の一部を紹介した。 オイリュトミーを通して言葉へとむかった詩人のことばとして新鮮である。 本句集の装丁は和兎さんであるが、装画は小松宏佳さんの描かれたものである。 タイトルの文字は青メタル箔である。 小松宏佳さんは、この青のメタル箔にこだわられた。 すっきりとした一冊となった。 もう一編、詩を紹介したい。(好きな詩はたくさんある……) キャサリンの瞳 ひとりでジンジャーエールを飲んでいると カウンター席から キャサリンが近づいてきた。 「あんたね、お酒飲まなきゃだめだよ」 「たばこも吸わなきゃだめ」 「あんた、なんか悩みがあんだろ」 前髪で左目しか見えないが 瞳は何を見ているのだろう。 「話、聞いてやるから何でも言いな」 アイラインだけがわたしを見ている。 せたからだの骨の芯から噴き上がる声がつよい。 長い髪をかきあげたその手でわたしの腕を掴み 「あたしよりひどいね、こんなにやせてちゃだめだ」 未知の人間と熱風でかかわろうとする激しさに わたしはきっと歓喜したのだろう 「わたし、マーガレットって名のるから、 『キャサリンとマーガレット』ってコンビで漫才したいな」 と言ったら、あっさり「あほか」 キャサリンの頭は揺れている。 頭の中で何かがころがっている。 「次元はいっぱいあんだよ、 この世は三次元だけどね、物理学者が言ってるの、これホント」 彼女が十九歳のときに、 わずか一歳半で亡くなった娘さんの話をして 「宇宙はね、十次元あんだよ」 日中は配達のしごと 日が暮れてから義母や夫の夕食の支度 そこへ日本酒が理由を見つけてやってくる。 アイラインは雄弁にわたしに向かってきたが 瞳はふらりと出かけていく。 追憶をはおり ビー玉で遊ぶ娘の星を 探しにいく。 小松宏佳さんの詩は、読んでいて気持ちがいい。 わたしは好きだな。。。。 身体のなかにいい空気がはいってくるような、身体が軽くなるような感じと言ったら良いのだろうか。 詩人の小笠原鳥類さんが、この詩集についてメールをくださった。 「忘れないうちに。/と言って/猫が写真をおいていった。/ありがとう。/この橋の上で/砂糖をよけて/わたしたちは生えてきた。/ そのうち靴もだ。」(「約束」) この「わたしたち」がどういう人たちなのか謎で、愉快です。 砂糖をよけているのでアリではないのだろうと思いました。 「靴」もどういうものなのかわからないです。楽しい謎が多いです。 「小さなモリイさんを見かけた/モリイさんは花なのに歩いていた」 「だからさ/明日から/豆になるんだ」(「節分までは花」) 何がどうなっているのか、説明の不足が、軽いリズムになるのだと思いました。 体を動かす人の詩集なのだと思いました。私も最近は毎朝散歩をしています。 今日はお二人のお客さまがあった。 俳人の石寒太氏と山崎彩(あや)さん。 石寒太氏が主宰する「炎環」に所属する山崎彩さんがこの度句集を上梓されることになった。 そのご相談に見えられたのだ。 「炎環」で俳句を学ばれてすでに15年、昨年はご主人を亡くされた。 「寒太先生が出しなさいっておっしゃってくださったので、ここで一区切りとして出してみようかなって思いました」と山崎彩さん。 石寒太主宰(左)と山崎彩さん。 句集名は、「ペリドット」。 「ペリドットってなんですか?」思わず尋ねると、 「わたしは天体とか宇宙が好きで興味があるんですね。ペリドットというのは、いろんな隕石が太陽にぶつかって燃焼してしまうのですが、なかには燃焼しきれずに雫のようになって落ちてくるものがあるのです。それが美しい緑色の石となって地球に落ちてくるのです。その美しい緑色の石がペリドットというのです。」と夢見るようにスラスラとおっしゃった。 さっそくインターネットで「ペリドット」を調べてみる。 たしかに、美しい石があらわれた。 「宝石の一つで、夜間照明の下でも昼間と変わらない鮮やかな緑色を維持したため、ローマ人からは「夜会のエメラルド」と呼ばれている」という。そんな宝石があったとはちっとも知らなかった。 「ペリドット」という名前の句集。 さてどういう本にするか。 考えるだけで楽しい。 いろんな本をご覧になって担当のPさんと打ち合わせをされ、造本を決めてお帰りになられたのだった。
by fragie777
| 2018-09-28 19:06
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