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9月27日(木) 居待月 旧暦8月18日
蔵王に落とした影。 帽子の影は鷹羽狩行先生かもしれない。。。。 岡本眸先生が亡くなられた。 享年90。 心よりご冥福をお祈り申しあげます。 ご生前最後の句集『午後の椅子』をお作りしたときは、何度もお会いした。 そこでいろいろなことをお話くださったことを思い出す。 岡本眸さんには、身辺座臥の間にある不思議なものに驚き、その微妙なものを捉える感覚の冴えがある。明治の国木田独歩も「驚きたい」と言ったが、岡本さんは常凡な俳人の見過ごす日常にはっと驚き、その驚きをモチーフにしているようだ。(略) 秋深むひと日ひと日を飯炊いて という句があるが、人生は「ひと日ひと日を飯炊いて」いる中にあるに相違ない。秋も深まり一日一日と衰えてゆく季節の哀感をひしと身に感じながら、毎日毎日同じように飯を炊き老いてゆく自分を顧みている。人間の深い「あわれ」が、自然の哀感と一体化している句だ。 ふらんす堂文庫の岡本眸自選句集『自愛』によせた井本農一氏の栞より抜粋した。 日常の些事に心をとめ、それを大事な宝石のように掬い上げ俳句にする。かつてお目にかかったときに、 「yamaokaさん、俳句をつくるのは苦しいんですのよ、それこそ畳の目をかぞえるようにしてのたうち回って作るのよ」 とおっしゃっていたことを岡本先生とともに思い出す。 秋深き音生むために歩き出す 明日より昨日は遠し芒穂に 膝抱いて顔もてあます秋の暮 あやまちか否かわが生鵙たける 秋澄むはさみしからむを水すまし 花野来て夜は純白の夜具の中 柿照るや母系に享けて肥り肉 水澄めり酔へばかなしき軍歌(いくさうた) 繕ひつ使ふ身一つそぞろ寒 秋風や柱拭くとき柱見て 晩年へ踏み込んでゐる菌山 句集『自愛』より秋の句を選んでいくつか紹介した。 日向ぼこあの世さみしきかも知れぬ そんなことは決してありませぬように。 岡本眸先生。。。 新刊句集を紹介したい。 著者の志摩角美(しま・かくみ)さんは、大正7年(1918)2月のお生まれである。今年100歳となられた。現在は所沢にお住まいで、奥さまを亡くされひとり暮らしをされている。ふらんす堂へも2度ほどご来社くださったが、まことにお元気で矍鑠としておられとても100歳とは思えなかった。俳句をつくるようになられた経緯は「あとがき」に詳しく書かれておられるのでその部分を紹介したい。 私は昭和十六年の夏に召集解除となり、勤めていた外地銀行に復職するも、同年十二月八日の太平洋戦争勃発により同行を退職、郷里の北海道小樽市に帰り職を探しました。幸い東京に本社のある日本製粉株式会社に採用され、小樽工場勤務となりました。 これにより鉄道員の叔父の世話になっていた、母と父亡き我が弟妹、他に両親亡き従弟妹という大家族の生活にもゆとりができ、ほっとした思いがありました。 それから間もなく叔父の紹介により「小樽ホトトギス会」に入り、三ツ谷謡村氏の指導を受けたことが私の俳句人生の始まりでした。 ずいぶん若くして俳句をはじめられたのだが、戦後の復興期は会社の業務に専念しなくてはならず、俳句を断念することになる。戦後のめざましい経済復興の担い手として働きつづけて来られたのである。 転勤につぐ転勤を経て、ようやく所沢の地に落ち着くことができて、ふたたび俳句を始めるようになられたのである。 志摩さんは、現在は「ホトトギス」同人、「桑海」同人、日本伝統俳句協会会員、本句集は、昭和53年より平成28年までの作品を収録、深見けん二氏が序文を、稲畑廣太郎主宰が序句を寄せている。 深見けん二氏はたくさんの句をとりあげて丁寧な鑑賞をほどこされている。そのうちより、 初電車二つ乗継ぎ浅草へ 滝氷柱水音蔵し太りけり おのが音に憑かるるごとく囀れる 黄河沿ひ麦笛吹きし日の遠く 雨あとの一揺れもなき花菖蒲 一羽来て動き出したる浮寝鴨 嚏して踏ん切り一つつけにけり どの句も、季題が活き活きとした、ゆるぎない客観写生の句である。それだけに一読して情景が鮮明に読み手に伝わり、その中に、作者の心が読みとれ、愛誦すべき、平明にして余韻ある句である。 百年の花守として寿(いのちなが) 稲畑廣太郎 稲畑廣太郎主宰の序句である。 本句集の担当は文己さん。 文己さんが、好きな句を書いて志摩さんに送ったところ、 「アンタはセンスがある。是非ホトトギスに入りなさい」と「志摩さんに勧誘されてしまいました」と文己さん。 その文己さんが選んだ句は、 芝に敷くハンカチ二人に小さくも 浮く落葉沈む落葉と影重ね 流れ来るものの影にも水温む 動くもの風ばかりなる麦の秋 向日葵のこぞりこち向く怖さかな 鶯や障子開けるをためらはれ おのが音に憑かるるごとく囀れる 降るにつけ晴るるにつけて梅雨の愚痴 明日山を目指す星空バンガロー 老象の足踏むリズム春めける 浮く落葉沈む落葉と影重ね この句わたしも選んでた、良かった! 写生の目が効いた句である。〈影重ね〉でぐっと焦点がしぼられる。つぎの〈流れ来るものの影にも水温む〉も影を詠んでいる。冬から春になった影である。ただそれだけを詠んでいるのだけれど、物の気配が濃厚でその影の違いもよく見えてくる。深見けん二氏は序文でこの句をとりあげて、「池の岸近いところの実景であろうが、心象も深くこもっている。」と。 向日葵のこぞりこち向く怖さかな この句、わたしも面白いとおもった。向日葵って集団で立っていると、威圧感がありしかもちょっと気味が悪い時がある。絶対ひとりではみたくない花である。「こぞりこち向く」という叙法がとても向日葵らしい。無表情の顔がそろってこちらを向いているのである。それはやはりコワイわ。 昨年春、私が白寿になったことにつき、一人息子である長男が亡母には油彩の画集を贈ったので、私には句集との話になり上梓の運びとなった次第であります。 句集名は〈臥す妻に見せたき秩父芝桜〉よりとりました。 「あとがき」の言葉である。 ほかに、 就職に旅立つ吾子の弥生かな 初めての転勤にして出水とは 職を辞す梅雨の机も拭き終へて 白服の皺に馴染みて退職す 芝に敷くハンカチ二人に小さくも 愚痴言へず本音を言へずただ暑し 明日知らず今日ひたすらの猫の恋 老妻と言葉の要らぬ月見かな 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 タイトルの「芝桜」を図案化したものを配した。 表紙は落ち着いた淡緑色。 扉。 花布は、芝桜とおなじ淡桃色。 栞紐は、白。 健やかに耳のみ遠く年明くる 仏徒とし聖夜を祝ふ暮しかな 角美さんは、今も一人暮しで、廣太郎主宰の句会には、お仲間が一緒といえ、歩いて、電車に乗り出掛けておられる。知らぬ人は、誰も百歳とは思わない姿である。 よく口にされる「俳句で頭と体を鍛えて来た思い」には、敬意を表するのみである。 序文の深見けん二氏の言葉である。 ご本が出来上がって、志摩角美さんは日頃かよっておられる体操教室のお仲間にも本を差し上げた。 「手でもって運ぶんだよ」って文己さんにお話しされたという。 「今日は9冊持っていくんだ」ということなので、「重くありませんか、大丈夫ですか」心配したところ、 「大丈夫、わけて持っていくから」とお元気に言われたということ。 本当にお元気な志摩角美さんである。 虫の音に夕べの米を研ぎにけり 今日もまたきっと虫の声を聞きながらひとりのためのご飯を炊いておられると思う。 本句集はご子息の志摩哲生さんがお仕事の合間をぬって父親の元に通い、膨大な句稿を整理しながらパソコンに句を打ち込んで出来上がったものである。 百歳の第一句集は、一人息子さんからの志摩さんへ心からのプレゼントである。 4月19日にご来社くださったときの志摩角美さん(右)と哲生さん。 志摩角美さま、第一句集のご上梓おめでとうございます。 ますますのご健吟をお祈りもうしあげます。
by fragie777
| 2018-09-27 20:04
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