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9月24日(月) 十五夜 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) 旧暦8月15日
昨日のブログで白い花の名前がわからないと書いたが、さっそくふけとしこさんがメールをくださった。(実はすごく頼りにしているyamaokaである) 「ヤマハハコ」ではないかと。 さっそく調べたところどうやらそうらしい。 「山母子」と書き、山に咲く花だ。 「ヤマハハコはとても好きな花で、一度山の窪地で群生してしているのを見て以来、見てないです。残念です。」とふけとしこさん。 そして、赤い実はナナカマドとも。 さて、昨日の「狩」40周年記念大会は、山形国際ホテルにて午後四時より行われた。 わたしは、道に迷ってしまい、時間に遅れてしまった。 特別記念講演は、毎日新聞者編集委員の井上卓弥氏。 「私の見た21世紀の世界」 と題して、特派員記者時代の経験をたくさんの写真とともにお話くださった。2000年10月から4年間、ローマ特派員を務め、バチカン、パレスチナ紛争などを取材され、03年のイラク戦争では米海軍に従軍。紛争多発地域に寝起きをしながらの日々、米海軍の大型船に乗りこんでの日々、淡々とお話をされていたが、いやはや尋常でない体験談であった。 印象的だったのは、いまの世界はいつ大きな戦争がおきても不思議はないという緊張関係にあるということ。 まさに戦前という状況にわたしたちはいるのかもしれない。 しかしながら、危機意識が希薄であることを否定しえない。わたしは。。。 もうひとつ、井上氏は山形市の出身であられ、山形は齋藤茂吉のふるさとでもある。 「わたしは、世界各地の紛争の地でこうしてその現場を写真をとってきたのですが、せめて短歌や俳句をつくることを学んでいたら、写真のみならずそれを歌や俳句にとどめることができたのではないか、今となってそれが残念です」と。 井上卓弥氏(写真がピンぼけでごめんなさい) その後は、「狩」の方々による鷹羽狩行主宰へのインタビューである。 興味ふかいものであるので、すこし紹介したい。 司会は佐藤博美さん。(真ん中) まず伊藤トキノさんから。 伊藤トキノさんは、「氷海」時代からの同人である。 ー―88歳を迎えられたわけですが、ここまでの時間は長かったですか。 「長いようで短いようです。わたしはあまり自分の歳を気にしないでここまできました。還暦とか古稀とか喜寿とか言われてもピンと来なかったですね。しかし、この度米寿で88歳。こんなに歳をとったのかって思いました」 ――今まで大変だったことは。 「毎日が大変だった。「狩」を主宰し、編集もした。これは大変だった。しかし、編集を自分でやることによって、会員の力がわかる。結果良かったと思います。」 杉良介さんから。 ――「鷹羽狩行」という名前を山口誓子につけてもらったわけですが、その名前についてどう思いますか。 「一投句者が誓子先生に手紙をかいて、俳号をつけてほしいと頼んだわけですが、今思うとなんとも大変なことを頼んだものだと。そして「鷹羽狩行」という俳号をいただいた。これはもういままでのように「高橋行雄」というわけにはいかない。一句組というわけにはいかない。そこで頑張りました。 ――「よく鷹羽先生のことを、タカバさん、という方がおられますが」 「そういう人には返事をしないことにしております」(会場・笑) 鶴岡加苗さんから、 ――40年間で一番うれしかったことは。 「句会で点がはいることです。いい俳句が句会で高点をとること、いつだったか〈信玄か謙信側(がは)か威し銃〉という句が句会でたくさん点が入った、なんと句会の9割がこの句に点をいれた。信濃に吟行したときの句ですが。この時は嬉しかった。ほかには、句集が受賞したりしたことも嬉しいですが、やはり句会で点が入ること、が一番嬉しいですね。」(この〈信玄か〉の句は句集『十一面』に収録されている) 牛田修嗣さんから、 ――吟行で心掛けていることは。下調べとかされるのですか。 「します。下調べしてイメージが沸いてくる。下調べは当然です。吟行に行くまでに1.2句はできていなくてはいけないでしょう」 そして、「わたしは枕元に手帳をおいて夜中にできると書きつけておきます」とも語られたのだった。 記念大会のあとは、祝賀会。 そこで鷹羽狩行先生のご挨拶は、まずわたしたち来賓へのねぎらいと御礼の言葉があってその後は「狩」の皆さんに向けられたものだった。 「狩行の句」と題して1から10の番号がふられた句が10句印刷してある。読むと鷹羽先生の代表句10句というのでもないらしい。 その10句を紹介したい。 ①父とわかりて子の呼べる秋の暮 ②村々のその寺々の秋の暮 ③ゆく年のゆくさきのあるごとくゆく ④海からの風山からの風薫る ⑤一対か一対一か枯野人 ⑥昼は日を夜は月をあげ大花野 ⑦船よりも白き航跡夏はじまる ⑧枯淡などまつぴら色を変へぬ松 ⑨鶯のこゑ前方に後円に ⑩人の世に花を絶やさず返り花 これらの句をあげて、「わたしが俳句をつくる上でもっとも課題としたことは、古典と現代ということ、いかに古典を踏まえながら新しい句をつくっていくか」と語られて、この一句一句を詳細に解説しながらいかに作句に創意工夫を凝らしたか、を語られたのだった。 弟子に自身の志したものを句によって語り実証していくという、お祝いの会でありながら、そこには俳句をつくる一人の俳人としての前向きな姿勢のみをわたしは感じたのだった。お祝いだからといって鏡割りがあるわけでもなく、ひたすら作句姿勢について先生は語ったのだった。 来賓も極めて少なく、毎日新聞者の井上卓弥氏、酒井佐忠氏、角川書店の石井隆司氏、「俳句」の新しい編集長の立木成芳氏、そしてyamaokaである。わたし以外はみな立派なご挨拶をされた。わたしもしたけど、紙をみながらやっとこね。(鷹羽先生とのご縁は40年以上、先生が「氷海」同人時代からである) 主宰をかこんで、来賓の方々、「狩」の方々。 鷹羽狩行主宰、片山由美子副主宰、「狩」の皆さま、40周年まことにおめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 ここからは昨日のつづき。 これはお昼の食事。 山形の地の心づくしのものである。 右上のお皿にあるのは、アケビをあげてミソであえたもの。 こんな風にアケビを食したのははじめてでたいへん美味しかった。 レストランから見える風景。 食事をおえて外にでれば、コスモスが揺れている。 腹ごしらえをしていよいよ「お釜」へと出発。 わたしは蔵王ははじめてである。 すごく楽しみ。 バスはすばらしいスピードである。 草紅葉を過ぎ、 芒を過ぎ、 石ころを過ぎ、 「お釜」は宮城県と山形県の境目にある。 宮城県側から入る。 バスがとまった。 この向こうに「お釜」があるらしい。 見えた! グリーンの深い色である。 その日の天気や太陽光線によって色が変化するということ。 もっとそば迄行けるらしい。 お「釜」の右手は「五色岳」とある。 遠くからもよき眺め。 「お釜」を背に、 雲が近い。 「狩」の方々。 鷹羽狩行、片山由美子のお二人のツウショットを撮らせてもらう。 師と弟子。。。 火口湖は碧色をたたえてしずかだ。 雲がすばらしい。 絵画のようである。 角川書店の石井隆司さんが笑わせている。 石井さんの向こうに立木成芳さんもおられる。 石井隆司さんも鷹羽先生とのご縁は深い。 「お釜」を背に引き揚げる。 ずんずんと先頭を行く片山さん。 「若い者にはまけぬ」と鷹羽先生もずんずんと行く。 すこし遅れがちになった鷹羽先生としばらくご一緒して歩く。 「あなた、『狩』10月号読んだ?」 「ええ、見ました。びっくりして思わず閉じました」 実は、かつて「ふらんす堂通信」で掲載した「鷹羽狩行インタビュー」がそのまま再録されているのである。 鷹羽先生から再録をしたいと御電話があったとき「いいですよ」と気軽に応じたのである。 で、10月号は「40周年記念号」で、驚いたことには、わたしのインタビューがなんと恥じらいもなく目立つところにある!のである。 はじめてそれを開いた時、「いやあ、何よこれ」ってわたしは赤面して閉じた。 再録といっても、巻末におまけみたいにつくのかと思っていたのだ。 「深見先生が見ましたよ、ってさっそくお電話をくださいました。わたしは見ちゃったのですかあって申し上げてしまいました」 「実は評判がいいんだよ、面白いって」 それはそのはずである。(?!) だって、「先生、ほんとに句帳をもたないんですかあ」などとまるでよく知っているおじさまにインタビューをする、そんなノリなのだから。 そして気軽にいろいろなことにシャレを言いながら鷹羽先生は答えてくださっているのだ。 日頃はお目にかかれないラフな鷹羽狩行が見えてくると思う。 実はもっともっと面白かったのだが、かなりを削ったのである。 「先生、もっと面白いところがありましたよね。読みたかったという人が多かったんですよ」と申し上げると、 「いやあ、ボクの品位にかかわるからね」と笑っておっしゃる鷹羽先生。 そんなお話をしながら、わたしたちは集合場所に向かったのだった。 昨日はことのほか雲が印象的だった。 鱗雲である。 うつくしき世をとりもどすうろこ雲 鷹羽狩行 この句がふっと思い浮かんだのだった。
by fragie777
| 2018-09-24 17:15
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