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9月13日(木) 鶺鴒鳴(せきれいなく) 旧暦8月4日
破れ始めた芭蕉。 「タッキー&翼」が解散になった。 朝のニュースはどのチャンネルでもこのことをけっこう派手に報道していた。 (そうか……、タキツバはとうとう解散か。) タキツバに関しては、一度しかコンサートには行ったことがないが、彼等がまだちびっ子の時からみてきてそれなりに応援してきたyamaokaであるので、なんともさびしいものがある。 病気とたたかってきた今井翼は、退所。滝沢秀明は今年いっぱいで引退(!)し、裏方に徹するというではないか。 年末恒例のジャニーズ事務所による「ジャニーズカウントダウンコンサート」にも行ったyamaokaであるので、(眼の前で生タッキーを見た(!)。彼はほかの誰よりもひときわ美しく薔薇を背負っていた。 ![]() 美しいタッキーの姿はいまもなお古びていない。わたしの記憶の宝石箱からすぐにでも取り出しちゃうことができるのである、そのタッキーの姿を見られなくなると思うと悲しい。 ジャニーズに詳しい知り合いによると、「タッキーはプロデュース能力がすばらしいのよ」ということである。 そうなのか。。。 今井翼の大ファンだった若き友人の星子ちゃん、涙をながしているだろうなあ。。。 気持ちをきりかえて、新刊紹介をしたい。 四六判フランス装帯有り。184頁。 著者の高橋香帆(たかはし・かほ)さんは、昭和23年(1948)福島県須賀川市生まれ、現在は神奈川県小田原市在住。平成2年(1990)に安原葉に師事して俳句をはじめる。その後ご主人の転勤の都合によって、星野椿、深見けん二、長谷川櫂、小澤實、斎藤夏風に師事。平成28年(2016)「屋根」新人賞受賞を受賞。現在は岸本尚毅、染谷秀雄に師事。「秀」(染谷秀雄主宰)所属。俳人協会会員。鎌倉虚子立子記念館会員。本句集は平成2年(1990)から平成29年(2017)までの作品463句を収録。序句を安原葉氏、序文を岸本尚毅氏が寄せている。 諷詠にいそしむ日日や縁小春 葉 序文の冒頭に岸本尚毅さんは、 本書の著者高橋香帆さんとは斎藤夏風主宰の「屋根」さらに染谷秀雄主宰の「秀」でご一緒している。 このような師系からも察せられる通り、高橋さんは、子規、虚子、青邨という近代俳句の流れを汲み、実直な写実を旨とする句風を磨いて来られた。 今の俳句の世界で「写生」という言葉がどう受け止められているかはこころもとないが、高橋さんの句に関するかぎり、「写生」という言葉を念頭に置いて鑑賞することが適切だろうと思う。 と書き、たくさんの句をあげて鑑賞をしている。ここではその鑑賞のなかからいくつかとりあげて紹介したい。 「まずは明暗や光の加減を詠んだ句」として、 柿若葉なる照り翳りありにけり 「照り翳り」には時の経過がある。柿若葉を終始見ているわけではないけれども、そこに若葉をした柿の木があるということが作者の心にあるため、あたりの光の加減までもが、柿若葉の色つやを反映したものであるかのごとく感じられるのである。 つぎに「音を詠んだ句」。 飛行機は見えず音のみ稲の花 飛行機とおぼしき音がするが、飛行機は見えない。稲の花の頃の、あまり風のない、薄ぼんやりとした空が想像される。田んぼのある空間の広がりも、飛行機の音とよく合っている。 そして、「目の利いた句。」 蒲公英や影といふもの流れにも 小川の水の底に、流水の泡や水紋が影として映っている。蒲公英は水辺の景。流れてゆく水そのものに「影」がある、というのである。 ほかに、人物を写生した句や、「自由に心を遊ばせた句」など、たくさんある。すべて「「写生」という言葉を念頭に置きつつ、いくつかの佳句を鑑賞した」と書かれている。 本句集の担当は、文己さん。 彼女の好きな句は、 朝顔の蕾数へて明日を待つ 片陰に入りて風あることを知る 初蝶と言ひて明るき心かな 庭石の一つを好み赤とんぼ 移り来てまづは雛を飾りけり 蜘蛛の囲のけふまたここに光りをり 秋の川水にも影のありにけり 水枕取れたる人に小春かな 今年また同じ日記を買ひにけり 春の雪その明るさに目覚めけり 牡丹焚くみちのくの闇深めては 湯煙の仄かに揺らぐ春の闇 片陰に入りて風あることを知る この一句は岸本さんも序文にとりあげておられる句である。端的な名鑑賞なので紹介したい。 夏の日、ふと片陰に入ったらかすかに風が通っているのを肌で感じたのである。逆に、強い日差しの下ではかすかな風は無きに等しい状態だったのだ。 なにか書こうとおもったが、十全な鑑賞なのでこれ以上なにを書こうか。と思いながら、以下は蛇足。 片陰のひんやりとした冷たさと暗さ、そこにふっと風を感じた。頬に感じたのだろうか、ノースリーブの二の腕に感じたのだろうか、夏だから肌を露出しているその汗ばんだ肌に風の動きを感じたのだ。そんな片陰にはいってホッとしている女性の姿が見えてくる。 転居して雛の間すぐに決まりけり 本句集には「雛」を詠んだ句が多い。そのなかでとりわけこれはわたしの好きな句である。高橋香帆さんは、「あとがき」で書かれているようにご夫君の仕事の都合で転居を繰り返してきた。「移り住み初めて枇杷の生りにけり」という句もある。この句は、著者の高橋さんが日々の暮らしのなかで何を大切にして来られたか、その心の有り様がみえてくる一句である。「雛の間」は床の間のあるひろびろとした座敷でなくとも(現実はそうだったかもしれないが)、それはそのまま生活の部屋であるのでもいいのだ。まず大切なお雛さまをどこに飾ろうかと思案し、そこを「雛の間」とする、そういう心ばえが素敵なのである。日常の雑事に追われる暮らしの日々であっても一点なにものにも侵されない晴の領域を心に持つ。そういう思いがその人をどれだけ豊かにしてくれるか。 「移り来てまづは雛を飾りけり」もまた、高橋香帆さんの心ばえである。 『小春日』は私の第一句集。平成二年から二十九年までの、俳誌に掲載された句の中から、四百六十三句を収めた。 俳句は、雪国の新潟県長岡市で始めた。気が付くといつしか三十年近く経っていた。度々の転居に少しの間中断しながらも、今に続いている私の俳句は、日々の些細な感動を書き留めたに過ぎない。 今年、私は古稀を迎える。そして来年は改元の年。いろいろな意味で区切りの年、句集を編むのによい機会と思えた。(略) 句集名『小春日』は、私が「一年中で小春の時期が一番好き」ということに由る。寒さへ向かう前の穏やかな暖かい日。そう言えば、母は晩年のある日、縫物をしながらこんなことを言っていた。「お母さんが小さい頃はね、山門に続く参道の両側は、お茶の垣根だったの」と。明治の末期、禅宗の末寺に生まれた母である。お茶の花が咲く小春日には母のことが思われる。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 30年の俳句生活の集大成としての第一句集の刊行である。 本句集は三句組で句数が多めであるが、写生句に徹した句集ゆえに、感情や観念の押しつけがましさがなく、すっきりと読みすすむことができる一冊である。 そして繰り返して読むことによって、読み過ごしてしまった一句にあたらしく出会うという写生句の不思議に充ちている句集であると思う。 ほかに、 降りやまぬ雪と終日語りをり 春風に吹かれて少し淋しかり 移り住み早や木犀の薫りかな 近づきて実梅の数に驚きぬ 梨の花夜風に傷むことなかれ 空蟬を風のをしへてくれにけり 春泥をつけて庭師の帰りけり 銀箔の如く海あり秋暑し 刃を入れて西瓜弾ける音したる 春の雪その明るさに目覚めけり 花びらの花びら零す薔薇の昼 沢の音して早梅の白さかな 照り翳りしていつしかに雪催 本句集の装丁は和兎さん。 扉。 天アンカット。 栞紐はテーマカラーの紫。 潮騒を仄かに聞きて西瓜畑 俳句の基本は「見ること」だと一般に考えられているようだが、耳を澄まして聞く、ということも同じくらい大切である。 岸本尚毅氏の序文より。 十三夜濡るるがごとき屋根瓦 この句最初に目をとおしたときは通りすぎてしまい、二度目に読んだときにはっとした句である。「十三夜」は「後の月」の傍題で、ほかに「豆名月」「栗名月」「名残の月」「女名月」などなどの傍題がある。しかし、「十三夜」としたのがいいと思った。「ぬるるがごとき屋根瓦」は、月の光にまるで濡れているように光っている屋根瓦を言っているのだろうが、「月」の語がついてしまえば平凡な一句となってしまう。「十三夜」で「濡るるがごとき」になにか夜の得体のしれないリアルさがあり、ちょっと気味がわるいような気がしてくるのだから不思議である。 今日は、『福田甲子雄全句集』の見本が出来てきた。 ドキドキして待って、午前中にそれを感慨深く手にしたのだった。 何度もさわって感触をたしかめ、頁をめくり、あっちからこっちからと眺めて、机の上におき、ふたたび手にとって眺め、そんなことを繰り返した一日だった。 刊行委員である保坂敏子さんのところにも一冊お送りした。 ほんのいまさっき、わたしの携帯に電話があった。 「いいのができました。有り難うございます」と保坂さんの喜びの声である。 (ああ、良かった!!) 今日は「今」の初校ゲラの校正の日ということで、刊行委員が全員そろっているということ。 瀧澤和治さん、齋藤史子さんがそれぞれ電話に出られて、喜びの声を聞くことができた。 お二人ともたいへん感激をしておられた。 三人の方の意志と尽力が無かったら、到底刊行することは適わなかった全句集である。 かつて福田甲子雄氏の「蛇笏賞」受賞のお祝いの席で、氏にお目にかかってご挨拶をしたときに、 「yamaokaさん(ふらんす堂)とはご縁がなかったから、今度ボクのエッセイ集でも出してもらおうかなあ」ってニコニコとおっしゃってくださった。 しかし、そのままお目にかかることも叶わずに亡くなってしまわれたのだった。 こうして全句集をつくらせていただくことができたなんて、ああ、きっとどこかで福田甲子雄先生の意志が働いていたのかもしれない。 そう思いたい。 (すみません、ちょっとハイテンションになっております) かなりに時間がかかってしまったが、本当に嬉しい。 嗚呼、うれしい。
by fragie777
| 2018-09-13 20:37
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