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9月12日(水) 旧暦8月3日
9月の水辺。 秋は水が美しい季節である。 昨日、今日とずいぶん涼しい。 昨夜など帰るときにコートが欲しかったくらい。 8日の日に「冬野虹素描展」とそのイベントのことを、ブログに書いたのであるが、それについて俳人の竹岡一郎さんから、メールをいただいた。 開催されていたミルクホールのことである。 ふらんす堂日記に出て来たミルクホール、とても懐かしいです 確か寺山修司の映画にも出て来たように思います 80年代半ば、学生の頃、よく行きました 当時、大学が立教で 東池袋に住んでいましたが 鎌倉には良く行きました 七里ケ浜のパブロワ・バレエ学校の廃墟に寄って それから鎌倉まで出て 県立美術館、帰りに 小町通から道を一本外れたミルクホールに行くのが定番でした ミルクホールの近くの古本屋で 久保田万太郎の「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」の色紙が 500円で売っていて 当時は俳句に興味がなかったので、買わずに帰ったのが 今になって悔やまれます 良き学生時代を過ごされたんですね。 竹岡さん。 大学生であられたときに、鎌倉が好きでよく行かれたなんてなんと趣味がいいのでしょう。 わたしが学生であったときは、一度も行ったことがなかった。 鎌倉のかの字も頭ん中に発生しなかった。 いくらでも自由な時間はあったのに。 いま行けばいいじゃないって言うかもしれないが、そういうもんじゃなくってよ。 若き日に鎌倉で過ごした時間、それはどんなことをしてもわたしには得られないものなのだ。 つくづくと羨ましいぞ。 鎌倉のわたしの思い出は、 あったかなあ。 ああ、ある、ある。 思い出した。 編集者時代にあこがれの詩人・田村隆一さんに原稿をもらいに何度か訪ねたこと。(原稿をもらいたいがためにせっせと依頼した) 桜のさく季節に稲村ヶ崎に最初に伺い、あるいは二階堂にと、全部で3,4度訪ねている。 お葬式も鎌倉のお寺だった。 鎌倉をこよなく愛した詩人・田村隆一さん。 いろいろとエピソードはあるのだが、二度目に伺ったとき、 二階の寝室兼書斎兼客室に招かれたわたしは、パジャマ姿の田村隆一さんから、(黄色のパジャマだった) 「あなたは幾つですか?」と年齢を尋ねられたのだった。 わたしは一瞬ひるんで、 「27歳です」と答えたのだった。 (なぜか27歳というのがとても歳をとっているように思えて、一瞬サバをよもうかと思ったことをよく覚えている) なにゆえに27歳という歳がそれほど歳をとっているように思えたのか、いまでは不思議でならないのだが、その時は(もう若くないんだ)と思い歳を言うことが嫌だったのだ。 わたしにさらりと歳をきいたパジャマ姿の田村隆一さんは、そのあとどんな話をしたかはもう覚えていないのだが、なにか冗談を言っては「ふふふ」ってひとりで笑っていた印象ばかりが残っている。 のっぽの少年がそのまま老人となった そんな田村隆一さんだった。 田村隆一ついて、埴谷雄高がエッセイで書いていたのをわたしはむかし古本屋で立ち読みしたことがある。 それを読みたい読みたいと思いながらそのままになっていたが、 印象的なその文章を手にいれることができた。 田村隆一は、背を真直ぐに立てたその長身のせいもあるけれども、何時も、或る種の姿勢を私に感じさせる。それは、嘗て多くの青年のあいだにあり、いまはなくつた姿勢、甲板の上に立つている海軍士官の姿勢である。青い海の遠い水平線を眺めている習性がすでに本性となつてしまつたので、海面に垂直に立つたままするすると沈没してゆく船の鑑橋にたつていてもなお軀を真直ぐにたもつて海底まで行きつこうとする姿勢のように、それは見える。 「田村隆一の姿勢」より抜粋。 この文章にふれたあとは、田村隆一さんにお目にかかるたびにこの埴谷雄高の文章を思い出したのだった。
by fragie777
| 2018-09-12 18:41
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