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9月7日(金) 旧暦7月29日
なんきんはぜの木。 この近くには胡桃の木などもあって緑が美しい。 最近は夢をみることがすくなくなったなあ、と思いながら今朝も目覚めた。 狭庭に四十雀のつがいがチラチラと影をみせている。 カーテンをそおっと開けたのだが、さっと飛び立ってしまった。 (ふふふ……、かわいいヤツめ)ってわたしは呟いた。 さて、新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル。72頁 第1句集シリーズ。 著者の白戸麻奈(しらと・まな)さんは、1969年東京生まれ、現在は東京・調布市在住。2012年に「紫」に入会、2014年「紫」同人、2017年に「紫賞新鋭賞受賞」を受賞されている。現代俳句協会会員。本句集に「紫」主宰の山崎十生氏が序文を寄せている。 山崎十生主宰は、「私が唯一声を大にして言えるのは、白戸麻奈の句集は、本シリーズ参加の他の句集とは異質と云うことである。」とその序文に書く。確かに句集名「東京(ばびろん)の地下鉄」も異色である。「東京」を「バビロン」と読ませるその思いを直接には白戸さんに伺っていない。 「バビロン」は「イラク中部にあった、メソポタミアの古代都市。」であり、「世界都市として栄えたが後代に荒廃した」とある。「バビロンの捕囚」は有名で、「起源前6世紀ユダヤ人が新バビロニア軍に捕らえられ、バビロンに強制移動させられたのであるが、そのことは旧約聖書などを読むと頻繁に登場してくる。「さらにイザヤ書とエレミヤ書の預言と新約聖書のヨハネの黙示録(ヨハネへの啓示、啓示の書)の故事から、ヨーロッパなどのキリスト教文化圏においては、退廃した都市の象徴(大淫婦バビロン、大娼婦バビロン)、さらには、富と悪徳で栄える資本主義の象徴、として扱われることが多い。」とウイキペディアにある。本句集において、白戸さんは、なにゆえ「東京」を「バビロン」と読ませたか、あるいは「退廃した都市」のイメージなどをそこに籠めたのかもしれない。いずれにしても、「東京(バビロン)」であることを念頭に本句集は読まれることを要求されているように思える。 目次もユニークである。第1章ーユングとブランチ、第2章ーフロイトと外食、第3章、東京(バビロン)のネズミ達の3章立てで、第3章に収録された106句にはすべて「ネズミ」が詠み込まれている。 山崎主宰は、第1章から第3章までそれぞれ句を挙げながら鑑賞をしているが、ここでは第3章のところを紹介したい。 ネズミの目犬のふぐりと空映す 風車じっと見つめているネズミ 名月を見るもネズミは命がけ 一匹のネズミを肩に雪女 どの「ネズミ」も作者の分身とか化身であるかのようである。「ネズミ」に固執することで自らを慰撫している。それだからこそ、「ネズミ」の語から離れられないのである。作者自身が、「ネズミ」に縋って生きて行くしかない環境を、どう処したらよいのか迷うところである。しかし、貪欲なまでに自己に、詩に執着することで、宇宙の中の小さな一生命体である自己の鎮魂の叫びを聞くしかないであろう。オンリーワンの詩を、世界で一番短い詩形式である俳句で表現することに白戸麻奈は身を削っているのである。俳句は、たった十七音であるけれども、言語宇宙を構築するには、これ以上にないエネルギーを内蔵している形式である。言葉が長くなれば長くなるほど、反比例して減ってゆくのである。そういう矛盾が、俳句の核であり、諧謔を生み出すのに適しているのである。 本書の担当はPさん。 虫の音に夜の深さを測りたる 孕み猫シャーと全身発光す 秋の声つまりはパイを切り取る音 春立つや赤子の髪のふわふわす 木瓜の花ガンガン放つ口答え フルフルと震えるネズミ春浅し 木瓜の花ガンガン放つ口答え 「木瓜の花」は、バラ科の落葉低木であるが、バラの洋風な雰囲気よりもどちらかというと古風な趣がある。この一句「口ごたへすまじと思ふ木瓜の花」という星野立子の有名句へ挑戦か。星野立子のつつましい佇まいの一句に、過激に挑んでみせる。それは「木瓜の花」の持つ情趣への挑戦でもある。意識的な挑戦でもあり、あるいはなにかそう表現せざるを得ないような内的な必然があるのか。威勢のいい句だ、が、少し切ない。 マネキンの陽炎に濡れ並び立つ わたしの好きな一句である。「陽炎」は春の季語だ。「うららかな情趣のため春の季語となった」と歳時記にある。「陽炎に濡れ」の措辞がいい。しかし、濡れているのは並びたつマネキンである。人の形をしているが命なきものだ。「物のすべてのゆらぎに古人が畏敬の念をいだき人間の命の姿を感じ取ってきた」陽炎であるが、しかし、ここには人間はいない。この一句において生の息吹は疎外されている風景だ。人間も植物も動物も生きているものはみえず、陽炎に濡れたマネキンだけが並び立っている。不思議な都市空間であり、死の静けさが支配している。こんな絵をどこかで見たかも知れない、と記憶の底をたどってみる。ふっとポール・デルヴォーの絵などを思い起こしたりするが、デルヴォーだと「月光に濡れ」だよな。。。 家には、体長一・五メートルで翼のある虹色のネズミがいます。 噓です。冗談です。ただ、この広い大きな宇宙には、そうした生き物が存在するかもしれません。 私は動物番組が大好きなのですが、それにしても、ネズミが登場するとなると獲物として食べられるシーンばかり。とても悲しい。 ネズミは可愛いんです。 「あとがき」の最初の部分を紹介した。 第3章を読んでいくと、山崎主宰も書いておられうようにネズミは白戸麻奈さんの「分身」かもしれない。 ほかに、 馬酔木の花生きるに重い五臓六腑 頭上には無数の金魚泳いでる 鰯雲見上げる無数の目玉たち ふるさとは東京なりし寒雀 ミモザ咲く原宿というおもちゃ箱 ふるえてるゼリーへネズミ歯を入れる 雌鶏の下にネズミと寒卵 本句集の色は紫色。 CF0451番。 ダンディでノーブルな色とある。 本句集との取り合わせが面白い。 落ち着いて読める色である。 装丁は和兎さん。 白戸麻奈にとって、俳句は決して身から離せない詩形である。そのことを充分に理解しているからこそ、白戸麻奈は、命あるもの全てに愛情を注ぎ、真面目に俳句と向き合っているのである。 白戸麻奈の四十代の締め括りの句集として意義ある刊行となった。輝かしい第一歩を踏み出した作者の将来に期待するものである。これから先、どんな作品を披瀝してくれるのか楽しみな作家である。 山崎十生主宰の序文の言葉である。 見つめあうネズミとネズミ網戸越し この句も好き。だって可愛らしいじゃないの。想像しただけでウルウルしてきてしまう。可愛いなあ。「網戸越し」っていうのがいい。相手の姿がみえ、その息づかいを感じることもできるし、わずかに触れ合うこともできる。しかし、隔てられているのだ。切ないなあ。。しかし、わたしはこういう切なさはかなり好きである。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、 麻香田みあ句集『羽音』より。この句集も第1句集シリーズである。 ぐつしよりと濡れて芒の獣めく 麻香田みあ 濡れたススキが獣みたい、という見方がおもしろい。植物だって生物、その身の内には獣性を持っていても不思議はないかも。句集「羽音」(ふらんす堂)より引いた。そういえば、夏目漱石の小説「二百十日」では、阿蘇山へ登山する若者がススキの中で苦闘する。ススキに飛び込んだり、ススキの中を泳いだりする。ススキは手ごわい。 今日のおやつはゴージャスだった。 先日、わたしが失せ物をして大騒ぎになってスタッフに見つけて貰ったという事件(?)があったのだが、スタッフたちへの御礼として今日はケーキのモンブランをふるまった。 仙川駅に一ヶ月だけお店を開いている京都の店のモンブランである。 三種類のなかで甘味をおさえたものを購入。 これ。 ゴージャスでしょ! な、なんと値段は一個につき540円! 大盤振る舞いでございました。 ![]()
by fragie777
| 2018-09-07 20:04
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