カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
9月6日(木) 旧暦7月27日
野葡萄。 今朝は、北海道の地震に驚いた。 ブックデザイナーの君嶋真理子さんは、北海道の苫小牧の出身である。 実家にはご両親がおられる。 さっそく君嶋さんに電話をした。 ご家族は無事だとのこと、(良かった!)しかし、電気が止まっているということだ。 余震もありご不安のなかで過ごされているのではないだろうか。 このところの災害つづきに落ち着かない日々である。 新刊紹介をしたい。 四六判小口折表紙。212頁 著者の島野紀子(しまの・のりこ)さんは、昭和41年(1966)大阪生まれ、京都市在住。平成23年(2011)年「知音」入会、平成26年(2014)「知音」同人。俳人協会会員。本句集に行方克巳代表が帯文を、西村和子代表が序文を寄せている。 何と言っても最も大きな特色は、子供を詠んだ作品が多いことである。 若葉風いまだ素振りと球拾ひ 妹を下界に待たせ長刀鉾 やすらゐや放課後は囃子の稽古 引越して来た子も誘ひ地蔵盆 法然の御姿かかげ入学式 京都の町で生き生きと育つ子供たちの日常が、実にきめ細かく詠まれている。祇園祭、やすらい祭、地蔵盆、入学式にも京ならではの土地柄が見られる。(略) 七味もう一振り寒さ乗り切らん 気懸かりの患者診に行く二日かな 肩肘を張らざれば冬あたたかき 町医者に生きて迷はず根深汁 旺盛な生活力としなやかに生きる力とが感じられる句だ。家族を愛し、日常をきめ細かに生き、京都の四季の中で人生の今を大切に暮らし、今後も俳句を詠みつづけることだろう。その出発を記念する第一句集の充実を、共に喜びたい。 西村和子さんの序文を抜粋して紹介した。序文にあるように本句集は京都にくらす女性の日々の生活の日記と言っていいのではないだろうか。 行方克巳さんの帯文を紹介したい。 七味もう一振り寒さ乗り切らん きわめて意志的、積極的な姿勢を感じる。小さな日常の営為にもそれがうかがわれるのだ。 運動会カメラ向ければ背を向けて なかなか意のままにならない子供も、あるいは作者自身の一面でもあろうか。青龍の名に恥じぬ、自在の翼を広げて行って欲しい。 著者の島野紀子さんは、タイトルの「青龍」にこだわられた。「青龍」とは、平安京の造営にあたって風水の思想にもとづくももので、東西南北の四方向をまもる神として、東・青龍、西・白虎、南・朱雀、北・玄武がおり、その神のひとつである。ものすごく大雑把な言い方ではあるが。すなわち「青龍」は東山より京都を守っているのである。 青龍と向き合ふ白虎山笑ふ という句が収録されている。 本句集の担当はPさん。 すり傷の現れて子の更衣 妹に背中掻かせて日焼の子 走り書き夫に残して梅を見に 明易し弁当隙間なく詰めて 雨蛙大切に飼ひ晴れ男 青芝に子は靴を脱ぎ服を脱ぎ じつとりと子が家にをり春休 よく晴れて京都は秋になりきれず じつとりと子が家にをり春休 「じつとりと」に笑った。これは「冬休み」でも「夏休み」でもなくやっぱり「春休み」だからこそじっとりなんだろう。もうすでに無邪気な可愛らしさからは卒業してしまって反抗心もめばえ、やや生意気盛り。学年や学期もあらたまり子どもたちの心情もやや落ち着かない。母親としては冬の寒さからも解放されて気分一新陽気に過ごしたいところだが、いるのよ、子どもたちがじっとりとね。家事を手伝うわけでもなく、口だけはいっちょ前でのらりくらりと図体をもてあましている。はなはだめざわりではある、「ちょっとどっかに行ってよ」と言いたいところをぐっと呑み込む。しかし、心の中では叫ぶ。(どっかへ行け―)って。 立てられて案山子の鼓動打ち始む 案山子を設置(?)しようとしているところに出くわした。横たわっている案山子を人間がかつぎあげて田の中に据えた。生気のなかった案山子が位置がきまりところを得たとたん生気をとりもどし、生き返った。近づけばなにやらトクトクと心音がする?ええ、ほんと?と思わず耳をすまして聴き入ってしまった。著者の島野紀子さんは、案山子にたいへんな親近感を持たれている。ほかに、「あふ向けに倒れし案山子まだ笑ふ」もあり、倒れた案山子にも切ない笑いを見取ることができる人だ。 暮しの中に季語があふれていることに気付いた。二時間あれば何かを見に行くという楽しみを覚えた。俳句では、慣れない京都を慣れないと詠む。自分の中で不平も、他人を妬む気持ちも減った。私には俳句があるからだ。ちっぽけな自分史を刻んでいくのが、十七年経ってもまだ京都での暮しに慣れていない自分への応援になっているのだ。(略) 京都東山は今日も青龍に見守られ穏やかに晴れている。二時間ができた。何を見に行こう? 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「十七年経ってもまだ京都の暮しに慣れていない」という一節にすこし驚く。京都の暮しに慣れるということは、それほどの歳月を要するのか。恐るべし、京都である。でも、大丈夫ですよ、島野さん。「青龍」が見守ってくれますもの。 ほかに、 夜店の子何に機嫌を損ねしか 秋冷や抱きしめて子を起こしけり 御門から御門へ抜ける春の風 黒帯が先に来てゐる寒稽古 扇子ちよと上げてタクシー呼び停める 流行の大きな袖に春の風 シスターと一つ日傘に立ち話 御所森森同志社深深寒昴 役一つ終へ二つ増え春の雲 先生もふと外を見る祭笛 本句集の装丁は和兎さん。 著者の島野紀子さんは、句集名である「青龍」にこだわられた。 そして、装画を用意された。 作者は平川功氏。 迫力のある龍である。 「きわめて意志的」と行方克巳代表が帯に書かれたように、島野さんの姿勢を伺い知ることのできるような「青龍」である。 裏にもつづく。 見返し。 扉。(金色の用紙にみえるが……) このように透きとおったパイルに印刷したもの。 和兎さんはこの材質を選んで神秘性を出した。 手に取ってみても美しい。 タイトルは金箔押し。 島野紀子さんの守護神であろうか。 きっぱりと美しい龍が現れた。 向日葵をかすめて一輛列車かな 町中をはなれて山里にでかけたときの景色か。たった一輛で走る列車に乗った。あるいはその列車をどこかから眺めているのか。向日葵畑のある長閑な田園風景だ。きっと一日に数本しか通らない単線の列車だ。そんな列車だから線路のぎりぎりまでに向日葵が植えられている。丈高い向日葵ゆえに列車が通るたびにその向日葵をかすめていく。その一瞬の景を詠んだ。「かすめて」がリアルだ。乗客たちは窓から手をだせば向日葵に触れそうになるくらいだ。向日葵を去ったあとも乗客の目にはその鮮やかな黄色が残像として残る。そして向日葵はふたたび青空の下に姿勢を正す。そこには明るい静けさだけがある。 今日は午後に、お客さまがふたり。 詩人のかべるみさんと、写真作家の佐中由紀枝さん。 目下かべるみさんの詩集制作をおすすめしているのだが、この詩集の装画を佐中由紀枝さんが担当される。 今日はその作品を持ってきて下さった。 かべるみさん(右)と佐中由紀枝さん。 佐中さんの作品は、ご自身で撮影した写真映像をエッチングして加工し、あらたなる映像をつくりあげるもの。 人間の手による極めて繊細な作業によってつくりあげるものだ。 その作品はこれまでいろいろな書籍に用いられてそれを装ってきた。 かべるみさんの前詩集『羽』もそうである。 こんどの詩集は「ながれぼし」という集名である。 どんな作品が選ばれたのか、それは出来上がったときのお楽しみに。 私たち編集者が想像する以上のものがこうして作家と作家の作品の出会いによって作りあげられていく、 それもまた本づくりの喜びのひとつである。
by fragie777
| 2018-09-06 21:16
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||