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8月26日(日) 旧藪入り 旧暦7月16日
下名栗の杉木立に咲いていた盗人萩(ぬすびとはぎ)。 「ぬすっとはぎ、だよ」って教えられた。 「ぬすびとはぎ」よりも「ぬすっとはぎ」の方が勢いがあっていい。 なかなか不穏なる名前に反して姿はとても可憐。 一見「水引」ににているが、花はやはり「萩」である。 杉林では足元をようく目を凝らさないとわからない。 ヌスットハギ いい名前だ。 今日は昼前から仕事場で過ごす。 昨夜はあろうことか真夜中に二人の来訪者があり、夜中の2時過ぎまで話し込んでしまった。 一人は夜中に帰り、ひとりは明け方帰っていった。 だからわたしは寝不足である。 昼前に珈琲を飲んだせいか少しも眠くならない。 昨日いろいろと話した結果、 人生は安易に答えを求めてはいけない、ということ。 答えがあれば安心するが、 そうやすやすと答えは見つからないのだ。 不可解の海のなかで溺れそうになりながらもなんとか耐えて浮かんでいくしかない。 生きていくことはなかなか困難な仕事である。 まっ、やっていくしかないけど。。。。 そんな時は久保田万太郎を読もう。 新涼の身にそふ灯(ほ)かげありにけり 『道芝』所収 大正十五年作 「祭のあとのさびしさは」と前書がある。安住敦によれば、「祭」は当時、万太郎が住んでいた日暮里の諏訪神社の祭礼。万太郎は小説にも句にも祭を多く取り上げ、そのいずれにも哀愁が深いことも敦は指摘している。自分の身に「灯かげ」を見出したところで「孤心」を捉えた。「涼し」は「快」とともに「哀」を感じさせる季語。「新涼」も同様である。万太郎はどちらかといえば、「哀」をつよく打ち出すように用いている。季語=新涼(秋) この一句、好きな一句だ。 さびしい句が、それこそ身にそうてくることがあるのだ。 石田郷子さんの家のねこ「こゆきちゃん」 我が家の猫たちとおなじく老猫である。 ご飯をたべなくなったと言っていたので心配をしていたのだが、すっかり食欲をとりもどしたということ。 相変わらず大きくてきれいな猫である。 ひさしぶりに撫でて抱っこさせてもらった。
by fragie777
| 2018-08-26 18:22
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