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8月9日(木) 長崎原爆忌 旧暦6月28日
共にこの花を見ていた若き男子らは、世の中にこんな美しい花があるのかと息をのむようにして見つめていた。 ふっふ、きれいだろ…… と心のなかでつぶやき、 さしずめ、中国風美女っていうとこかな、 と思ったのだった。 今日のこと、いま本の製作をすすめている方の話題となった。 スタッフ曰く 「みさとづか闘争に関わった方らしいです」 「うん? なに? ………(しばし沈黙)」 「ひゃあー、それって三里塚(さんりづか)だよお」とわたしは叫んだ。 三里塚闘争、成田闘争ともよばれた成田空港建設反対運動である。 問題意識がどちらかというと希薄なyamaokaでさえ、この三里塚闘争のことは心のどこかに焼き付いている。(そういう世代なのかもしれないが) しかし、「みさとづか」には心底驚いた。 しばし唖然とし、むなしく笑ってしまったのだった。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 第一句集シリーズ。 著者の麻香田みあ(まかだ・みあ)さんは、昭和25年(1950)生まれ、東京・江戸川区在住、平成21年(2009)に高畑浩平について俳句を学び、俳誌「白露」を経て、平成24年(2012)「円座」(武藤紀子主宰)入会。平成25年(2013)「銀化」(中原道夫主宰)入会。現在は「円座」、「銀化」(中原道夫主宰)同人。俳人協会会員。平成28年(2016)第17回銀化奨励賞を受賞されている。平成22年(2010)から29年(2017)までの8年間の作品を収録。本句集には「円座」の武藤紀子主宰が序文を寄せている。 八月や胸をつらぬく放射線 二〇一七年「円座」第四十号に載った麻香田みあさんの特別作品「八月」十句の巻頭におかれた句である。 この句を見たとたんに私ははっとした。 なんと衝撃的な句だろう。 「つらぬく」という言葉が、文字通り読み手の胸をえぐる。 「八月」という季語と「放射線」という言葉から、この句は「ヒロシマ」の原子爆弾を詠んだ句なのかもしれない。 しかし私は、病院で繰り返し受けるレントゲン検査の放射線や、癌治療のために患部にあてる放射線照射を思い浮かべた。 十八年も前のことになるが、私自身子宮癌の手術の際、何度もレントゲン検査を受けた。手術の前の検査のときも、手術後の検査のときもその後も、何年か何度も繰り返しレントゲン検査で放射線を浴びた。こんなに放射線を浴びて大丈夫かと心配したものだ。 麻香田みあさんの「胸をつらぬく放射線」の句は、私の胸をつらぬき、せつなさや怒りや絶望などの強い感情が渦巻くように浮かんだのだ。 序文より抜粋した。 一読、ギョッとしドキッとする一句だ。「八月」の季語がゆるがない。 八月は残酷な季節だ。大きな痛手を負った八月。しかし癒しと鎮魂の季節でもありそして再生への祈りの季節でもあるのだ。 この句「八月」という季題以外には考えられないと思った。 本句集の担当はPさん。 大樹から一直線に夏つばめ 柏手の音身に添へり雪よもひ 誘惑はぶらさがるもの黒葡萄 赤き実の一粒づつの寒さかな 八月や胸を貫く放射線 白息となりて私を離れゆく 安らぎは反復にあり尺蠖虫 赤き実の一粒づつの寒さかな わたしも好きな一句である。寒気にはりつめた「赤き実」を思う。さえざえとした赤が、いっそうの寒さを呼び起こす。「一粒づつ」と詠むことによって、寒さがまず眼にとびこんできてそれがじわじわと身体をつらぬいていく、寒さが身体を侵食していくような思いに捕らわれる。 白息となりて私を離れゆく この句もはっとする一句だ。「白息」は生き物が吐くものであるが、まるで白息に何かの意志があるように、あるいはひとつの人格でもあるように作者の身体から離れてゆく。闘病をされている麻香田みあさんであることを念頭に読むと、みあさんは人は息をして生きることを実感しつつ、大きく息を吐いたときなにか大切なものが、魂の一部が「白息」となって離れて行ってしまうのではないか、そんなふうに思われた、その気持ちを「白息」に託して詠んでみせたように思った。 俳句など縁のない家庭に育ったが、高校一年の国語の授業で、「幼子の赤き帽子に冬来り」と作り、思いがけず先生方から誉められ校内誌に載せてもらった。以来俳句はもっとも気になる文芸になったが、なにやかやにまぎれ学ぶ機会を逸してきた。 還暦を目前にして、家の近くの俳句教室に参加させてもらうことになった。最初に持っていった句は、「尾を垂れて尾長鳴きゆく残暑かな」。講師の先生は、それを「尾を垂れて尾長一声残暑光」と直された。言葉の使い方ひとつで印象がこんなに変わるとは。心底驚いた。以後はご多分に漏れず俳句の虜、俳句第一の生活になった。 句集を出すのはまだ早いと思うが、人生何が起きるかわからないと思わせる出来事に遭遇した。そんなとき武藤紀子先生の温かいお心遣い、そして選と序文を頂戴して、未熟ながら第一句集を上梓できることになった。 「あとがき」を抜粋した。 ほかに、 消えてから匂ふ蝋燭走り梅雨 人日の林にさわぐ夕鴉 引き返すきつかけ欲しき大花野 白魚の溶けだしさうな命かな 囀をこぼれて二羽の飛びたてり 長き夜を宿の廊下に迷ひけり ひつそりと生きて終はりの火蛾狂ふ 輪に入りて踊ればいつかかの世にて 装丁は和兎さん。 白鳥の大きな羽音日暮来る よりの句集『羽音』である。 本句集の色は、VIGOGNE(ヴィゴーニュ色)フランスの伝統色。「羊毛特有の毛をしたアンデス山脈のラマ。この動物の毛で非常に繊細な生地を作る。色は赤っぽい黄色。」とある。落ち着いたあたたかさを持った色である。 「句集を刊行していろいろと反響があって日々とても忙しいです」とお元気なメールをいただいた。 句集刊行を機にさらなるご健勝をお祈りしたいと思う。 誘惑はぶらさがるもの黒葡萄 黒葡萄が不穏である。不気味な光をはなっている。一粒をつまんで口に含めば、深い甘さと食べたあとの舌にのこる渋みをともなった苦さ。心を許してはいけない。「葡萄」という果物は、イエス・キリストの「わたしはまことのぶどうの木」の喩えのように聖書にも登場する果物である。なにかを呼び込む力を持っている果物かもしれない。この一句、「黒」が不穏なのだ。夜を喚起し、悪魔の領域へと近づける。黒葡萄のかたちをして誘惑がぶら下がっている。 見るな! 見てはいけない。
by fragie777
| 2018-08-09 20:27
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