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8月3日(金) 旧暦6月22日
夏草。 このところ冷奴に心を奪われている。 銘柄とか品種(?)とかは問わない。 近くのスーパーで売っているもので気に入っているものがありもっぱらそれのみ。 それにいろんなものをかけて食する。 茗荷の山盛り、紫蘇と茗荷に七味からし、オクラと七味唐辛子、茗荷と山椒のこな、芽山椒を醤油漬けにしたもの、などなど手元にある薬味になりそうなものを片っ端からかけているという感じであるが、どういうわけかすり下ろした生姜はまだ一度も添えていない。生姜に食指が動かないのである。 目下冷奴のない夕飯なんて考えられない。 人生始まって以来、冷奴にこんなに執するのってはじめて。 ひんやりと冷たいお豆腐がやさしくのど元をとおり過ぎていくとき、もはや怨みも憎しみも消え去り、世界中の生きているものに優しくなっている自分を感じるのだ。 今だったら何だって言うこと聞いちゃうぞ。 冷奴、ブラボー! て叫びたい。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クーターバインディング製本 182頁 著者の柘植史子(つげ・ふみこ)さんは、昭和27年(1952)神奈川・横浜市生まれ、現在は金沢市にお住まいである。平成9年(1997)に俳誌「風」に入会し、俳誌「田」、俳誌「風港」を経て、俳句同人誌「ふう」創刊に参加。現在は「ふう」の編集同人である。俳人協会会員。平成26年(2014)に第60回角川俳句賞を受賞されている。本句集は『レノンの忌』につぐ第2句集となる。 『雨の梯子』は『レノンの忌』に次ぐ第二句集です。平成二十二年以降に発表した作品の中から三百二十七句を自選し、収録しました。 句集を編むにあたり、「とにかくシンプルに」を心掛けました。句だけで勝負、というような気負いはありませんが、歳を重ねるにつれ、シンプルということが以前にも増して心に適うようになってきたのです。 「あとがき」に書かれているように本句集はとてもシンプルなたたずまいをしている。 帯もなし、自選の句もなくつつましくそこにある。 柘植史子さんが当初より希望されていた明るい緑を基調にとてもさりげなく媚びる風もなく、しかもあたたかな明るさでこの世に現れた、そんな感じの句集である。 装丁は和兎さん。 ふらんす堂のファンよ、とおっしゃっていただき、和兎さんの装丁を希望された。 ちょっと不思議な装画である。 担当の文己さんは、好きな句がたくさんある。 蚕豆の転がりさうもなき形 蜜豆や話す前から笑ひをる 風薫る虫の翅音のこがねいろ 水打つて戻れば一人消えてをり 汗の引くまで葉のそよぎ聞いてゐる 冷蔵庫開けてプリンを驚かす 百本もあれば鶏頭には見えず 爽やかにドレスの裾を持つ役目 セロリ嚙むさうかさういふことなのか 町ぢゆうの仮名拾ひ読む春着の子 粽ほどくにテーブルの大騒ぎ ががんぼを見し夜の腓返りかな ゴールデンウィーク留守電に雨の音 マスクしてほのぼのとある眉間かな 梅雨寒し鏡に見られ鏡拭く 集金の人と見てゐる秋夕焼 草もみぢ息をするたび人古び 向日葵を照らす夜汽車の長さかな 一番好きな句がこの句であると。ああ、この句、わたしも心惹かれた一句である。季語は「向日葵」。夜の向日葵を詠んだ句だ。とても不思議な一句である。向日葵畑をとおり過ぎていく夜汽車、その夜汽車の明るさによって向日葵が暗闇のなかに浮かびあがったのだ。浮かび上がるその時間は夜汽車の長さであるという。「時間」が「空間」に置き換えられて表現されたのである。わたしたちの脳裏にはその一瞬の景があざやかに浮かびあがる。夜汽車が去ったあとの暗闇、しかしその暗闇に咲きつづけている向日葵の群。向日葵の黄色、夜汽車の明かりの黄色、いったい作者の視座はどこにあるのだろうか。作者は夜汽車には乗らず、どこかその景色を俯瞰できるところにいるのだろうか。作者の立ち位置が現場をはなれてちょっと宙に浮いているような感じがこの句を不思議なものにしているのだろうか。夜汽車が去ったあとの夜にしずむ向日葵の静けさと余韻。映画のワンシーンのように展開される。 ゴールデンウィーク留守電に雨の音 文己さんが選んだこの句、わたしもマークした。激しい雨だったのだろうか。留守電に残った雨の音は。季語は「ゴールデンウィーク」。ゴールデンウイークという豪勢な休暇に雨の音である。しかも「留守電」から聞こえてくるという。その雨の音に作者は心が止まったのである。雨の音をしずかに聞いている作者がいる。そこに心を止めるその作者のありようがいい。本句集のタイトルは「雨の梯子」。「冬めくや雨に梯子の残されて」に拠る。著者がすむ金沢は雨の多い町であると聞く。だからなのだろうか、本句集には「雨」という文字が良く出てくる。「雨脚の吹かれてそよぐ端午かな」「雨音は脳(なづき)に染みて毛糸玉」「かたまつて雨を見てゐる春の鹿」「焼茄子を裂く雨音を聞きながら」「鶏頭の四五本とゐる雨宿り」「コスモスや雨を堪へてゐる夜空」などなど、作者の心は雨に親しい。 句集名は集中の一句に拠りますが、こうしてみると、あの時出合った梯子がまた違った貌でこちらを見ているような気持ちになります。気付かなければそのまま忘れ去られてゆくもの。この世はそのようなもので溢れています。 その、忘れ去られてゆくもの、に目をとめる柘植史子さんだ。 ほかに、 ふくらはぎ固く風鈴吊りにけり 蜩のこゑ止んで耳戻りけり 綿虫を払ひたる手の残りけり 唇にバターの光る梅雨入かな 人間で終る一生立泳ぎ 八月の畳の上の水の影 水飲んで眼の渇く鶏頭花 雪原やこゑひとつづつ影を持ち 瀧音に敗者のごとく打たれをり 声をまだ憶えてゐたり籘寝椅子 句集『雨の梯子』のカバーはトレーシングペーパーを用いて、表紙の緑と装画がうっすらと映るようになっている。 見返しはあざやかな黄緑色。 扉。 クーターバインディング製本。 テーマカラーは黄緑。 装画がややシュール。 蜘蛛の子の草にまぎれず草の色 この句好き。シンプルにしてものがよく見えてくる一句だ。蜘蛛の子がとても愛らしく思えてくる。すぐに覚えてしまいそうな一句である。 豆腐屋の昼しづかなり牽牛花 これはわが愛する冷奴に心から敬意を表して。「牽牛花」がいいですね。 今日の「冷奴」。 なにをそえて食べようかな……。 そう考えるだけでもしあわせ。
by fragie777
| 2018-08-03 20:35
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