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8月2日(木) 大雨時行(たいうときどきにふる) 旧暦6月21日
狐の剃刀(きつねのかみそり)。 すでに7月末頃から咲いているが、歳時記では秋に分類されている。 この花が咲いているあたりに佇むとやはり秋の気配を濃厚に感じる。 きつねのかみそり一人前と思ふなよ 飯島晴子 俳誌「鷹」8月号で、南十二国さんが「魂の奇跡」というタイトルで俳句時評をされている。 長谷川櫂著『俳句の誕生』(筑摩書房)についてだ。 書評であるのだが、実作者として踏み込んだ書評だ。 「ぽーとするときに俳句は生まれる」 と長谷川櫂さんは芭蕉の「古池」の句生まれた瞬間をとおして論じ、それを南十二国さんが実作者としてそれがいかなるものであるのか、自身にひきつけて論じているのだ。 わたしはとても興味ふかく読んだ。 南十二国さんは記す。 ぽーっとするのはあくまで俳句のできる最終段階、いわば作句におけるクライマックスの話である。九九パーセントの努力ののちの一パーセントのひらめきの話である。 この本は入門書や指導書とは趣を異にするものだから、その部分については詳しく書かれていなくて当然だが、この放心(遊心)の状態に入るまでがどれだけ難儀であるか。心が我を離れて空白の時空に遊ぶというが、その夢見心地の数分数秒がいったいどれほどの精進の先に訪れるものであるか。どれほどの汗や涙、泥臭い地道な努力の集積のうえに賜るものであるかというところを決して見落としてはならないと思う。 (略) 俳句はぽーっとするときにできる。 しかし、俳句はぽーっとしているだけではできないのだ。 長谷川櫂さんが、これまでの著書において語り続けてきた「間(ま)」についても触れていて、わずか二頁の評であるが、読みごたえのあるものだ。この「間」と「ぽーっとする」は深い関わりがあるのだ。 『俳句の誕生』を是非読んでみたいと思わせる評である。 すごい余談(こんな言い方ある?) この「鷹」8月号で、髙柳克弘さんが息子さんをのせたベビーカーを押している写真がある。 なかなか見られないので見入ってしまった。 息子さん、大きくなったね! そしてよく似ている。
by fragie777
| 2018-08-02 19:30
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