カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
7月31日(火) 旧暦6月19日
![]() 夏休みの小学校。 7月も今日で終わり、明日からいよいよ8月である。 明るい日差しに充ちていた7月が終わり、8月の声をきくと物影がいちだんと濃密さを増すように思える。 死者をいちばん身近に感じる月かもしれない。 小学生から中学性くらいにかけて夏休みが苦手だった。 ありあまる得体のしれない時間のなかにほうりだされて、いてもたってもいられないようなそんな気分になって、「人間はやがて死ぬ」という観念が頭からはなれずに息苦しくなることがよくあった。ああ、いま思い出しても胸が苦しくなる。 子どもの心って不思議だ。 「死」に充ちていることもある。 新聞の記事を紹介したい。 28日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、西村和子句集『俳句日記2017 自由切符』より。 対酌といふも久々新生姜 西村和子 対酌は二人で酒を酌み交わすこと。李白に「両人対酌すれば山花開く 一盃一盃復(ま)た一盃」という詩があった。古い仲とはいえ久々に眺める友の顔が「新生姜」にぴったり。ひね生姜ではダメなのだ。俳句日記『自由切符』から。 30日のおなじく長谷川櫂さんの「四季」は、『シリーズ自句自解II ベスト100 仁平勝』より。 暗くなるまで夕焼を見てゐたり 仁平 勝 刻々と変わる夕焼けの空。太陽が西の空に傾くと、あたりが黄金に染まり、赤々と燃え上がり、やがて闇に沈んでゆく。その一部始終も見飽きないが、夜に包まれるまで眺め尽くす人の意志に思い及ぶべきだろうか。自解句集『仁平勝』から。 おなじく30日の讀賣新聞の「枝折」は、西村和子句集『俳句日記2017 自由切符』を紹介している。 白靴や乗り降り自由切符得て 西村和子 2017年の俳句日記。夏の句会は市営バスの一日乗車券を利用して吟行した。家族のぬくもりが伝わる句も多い。 30日づけの毎日新聞では、伊藤一彦歌集『短歌日記2017 光の庭』を紹介している。 牧水の何を語らむ希望なく博多訪れしころにもふれむ 伊藤一彦 歌人であり若山牧水記念文学館館長である著者の第15歌集。2017年の1年間の「ふらんす堂」ホームページに掲載の作品を収録。短歌と短文が互いに魅力を放つ。 「ふらんす堂通信157号」が出来上がってきた。 「こわい俳句」第一回は宇多喜代子さん。 受賞特集は、第33回詩歌文学館賞受賞の岩淵喜代子句集『穀象』と、第9回田中裕明賞受賞の 小野あらた句集『毫』。 小野あらたさんの「俳句について思うこと」はたいへん面白く拝読した。(思わず笑ってしまったのだけど、スゴいなって思う) ある意味恐るべき新人の出現かもしれない。 「小野あらたさんに会った時、20代の岸本尚毅さんにはじめて会った時に感じたのと同じ何かを感じたのね」って何人かの人に言うと、ほとんどの人が怪訝な顔するのだけど、おかしいかなあ。なんなのだろう。違うのかなあ。でも今回の授賞式でその思いをさらに強くしたのだった。岸本さんがご挨拶をしているときに、そばでニコニコ笑っている小野あらたさんも◯十年経ったら、きっとこんな風になられるのではないかしら、ちょっとそんな風にも思ったのだった。 お二人に失礼かなあ。ぜんぜん違うのに似てるなんて、勝手に言ったりしちゃってさ。 でもお二人を見ていると俳句が好きで好きでたまらない、という感じがあって、そこは共通している。 わたしが似ているというのはそこだけではもちろんない。不遜であっていじらしいという面白さ、ぶれない何かとか、実践を通して学んでいくやり方とか、いろいろと考えればそんな風にも言えるのだけど、それよりもまず会ったときにふっと感じた印象なのだ。たとえば、映画なんかの一シーンで、武士同士がすれちがったとき、「おぬしやるな」って直感する、そんな感触といったらいいのだろうか、どうだろう、わたしの直感。 あはっ。 責任はとらないから、聞き流してくださいませ。
by fragie777
| 2018-07-31 20:02
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||