ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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俳誌「海」35周年お祝いの会

7月17日(火) 鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす) 京都祇園祭山鉾巡行 旧暦6月5日


朝から暑い。

仕事場へ向かうわたしの前をセキレイがひょこひょこと歩いていく。

セキレイも暑そうである。

そして足をとめたところが、


俳誌「海」35周年お祝いの会_f0071480_19052079.jpg
スーパー西友の扉の前。


俳誌「海」35周年お祝いの会_f0071480_19052470.jpg
開店を待って、涼しい中へ入ろうというもの。

「開店まであと少しだね」と言ってわたしは通りすぎる。







夕方、詩人の小松宏佳さんがちょっとお寄りになる。
いますすめている詩集の「栞」の原稿を受け取りにいらっしゃったのだ。

なんとお連れさんがいた。


俳誌「海」35周年お祝いの会_f0071480_19053267.jpg
蜻蛉(とんぼ)である。

「仙川の駅をおりたら、道路にいたんです。死んでいるかと思って拾い上げたらまだ生きているのよ。わたしの指にしがみついて離れないんです。」

と言って、目の前にさしだされた蜻蛉。


俳誌「海」35周年お祝いの会_f0071480_19053687.jpg

たしかにヒシと小松さんの指にしがみついている。
手や脚が動いたりするからきっと生きている。

「この暑さでやられてしまったのかも……」

話をしている間もずっと指から離れない。

「仙川って川がありましたよね。そこまで行って放してきます」と言いながら、帰られたのだった。

帰りがけに、小松さんが、

「この子になんか名前をつけてください」って言う。

「じゃ、福ちゃん。小松さんに拾われて幸福な福ちゃん」

とわたしは思わず言ってしまったのだけど、
「福ちゃん」って呼ばれる時間はほんの僅かかもしれないな。って思ったのだった。


人間も、鳥も、虫も、この暑さで参っている。









昨日行われた俳誌「海」の35周年のお祝いの会を紹介したい。

早稲田のリーガロイヤルホテルにて開催された。


ふらんす堂からスタッフのPさんが出席。


ご挨拶をする高橋悦男主宰。

俳誌「海」35周年お祝いの会_f0071480_19054944.jpg
本日は「海」35周年祝賀会にお忙しい中、また遠路はるばるおいで下さいまして誠にありがとうございます。
ささやかな祝賀会ではございますけれども、しばらくの間お付き合い願います。
「海」を創刊して35年が経ち、まさかこんなところでこんな大きな祝賀会をするというのは創刊当時は思いもしませんでした。
私は大学を出るまでは、私は小説家になりたかったんです。芥川賞も本気でとれると思っていて、2・3回チャレンジしたんですけれどもかすりもしなかった(笑)。小説家を諦めて、学校の成績は良かったから学校の先生になろうと方向転換をして大学院に進学したんです。そして、大学の教師になったんですけが、もともと作家志望で勉強があまり好きではないものですから、小説家になれず、なんとなく暇つぶしみたいに作っていた俳句の方で、いまここに立っているのです。「海」は昭和58年7月に創刊いたしました。なぜ7月かと申しますと、7月が私の誕生日だからです。
生まれ変わったつもりでもう一度自分の人生をやり直そうというつもりで創刊いたしました。
今の私にとって俳句は「すべて」というと言い過ぎかもしれませんが、それに近い存在であります。
35年が経って、これだけの方々に集まって頂いてお祝いして頂くことを本当に有難いと思っております。本日はどうもありがとうございました。


俳誌「海」35周年お祝いの会_f0071480_19054055.jpg
司会は日下野由季さん。


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高橋悦男、日下野仁美ご夫妻。


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「海」記念号は、2センチ以上の厚さである。

いろいろな俳人の方が寄稿しておられるが、そのなかのお一人髙柳克弘さんの「俳句の格」と題した文章の一節を紹介したい。
英米文学者らしい高橋悦男氏の一面がよくでた文章だ。
髙柳さんがまだ学生時代の頃のこと、「早稲田大学俳句研究会」の思い出の一節である。そこで指導されていたのが高橋悦男氏であった。

句会の前のお話が、私は好きでした。先生の話題は多岐にわたっていました。学生時代に傾倒したヘミングウェイの乾いた文体について、俳句と似ているんだとおっしゃっていたので、さっそく『武器よさらば』を手に取った覚えがあります。ラストシーン、妻も子も失った主人公のフレデリックが雨の中を去っていく、そのときに一切の心理描写がないと指摘されていたことを確かめて、静かな感動に浸ったものです。俳句は悲しいとか寂しいとかいうものではないとはよく言われることですが、ヘミングウェイを通して教えてくださる先生は、他にいないでしょう。おかげで、俳句の特性が、すっと胸に入ってきました。




俳誌「海」35周年おめでとうございます。
高橋悦男主宰をはじめ、海のみなさまに心からお祝いを申し上げます。
更なる「海」の充実をお祈り申しあげております。








これは余談であるが、最近いろんな会に顔をだすことの多いPさんに、yamaoka のことを聞かれる方が多いという。

「どうしたのyamaokaさん、仕事から撤退しちゃったの」とか、
「yamaokaさん、お元気なの」とか、
「引退するの」とか、とか。


冗談じゃないわよ!

とわたしは怒りながら、Pさんに言う、

「で、何と答えたの?」

「ボールペンを握って机につっぷして死にたいそうです」(つまり生涯現役ってことよ)

「ああ、それでいいわよ」

「でも、ブログしか書いてない、って思っている人もいるようですよ」

「なにい!! 失敬な!! ブログは書くけどさ、いつも仕事が終わってからじゃない。」

こんなに仕事してんのに、人前にいくことをサボると言われちゃうんだよなあ。

そのうち「生きてんの?」なんて言われちゃったりしてさ。。

言っときますけど、

yamaokaはしぶとく仕事をしております。










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by fragie777 | 2018-07-17 20:03 | Comments(0)


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