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7月16日(月) 海の日 藪入り 旧暦6月4日
海の日の今日を記念して、近所の公園に誰かが忘れていった団扇。 ちょっと不思議な風景。 そこから波音が聞こえてきそうである。 午前中は植木に水まきをして、テレビでワールドカップの決勝戦のフランス対クロアチア戦の再放送を見る。 昨夜ライブ中継をベッドのなかで見始めたのだが、いつの間にか寝てしまったのである。 やはり疲れていたのだろうか、再放送を見ながらも寝てしまった。 午後から、仕事場にて仕事をする。 一通りの仕事を終えて、こうやってブログを書き始めたのだが、「田中裕明賞」の授賞式の余韻がまださめやらぬまま、何を書こうかなあっておもって、ああ、そうだ、これを書こう。決めた。 先日俳句文学館で田中裕明さんの書いた文章をいくつかコピーしてきたその一つ、短いものを紹介したいと思った。 「俳句研究」2002年2月号掲載のものである。 ということは田中裕明さんが42歳あるいは43歳のときか、なくなる2年前のものだ。 一頁の記事である。 タイトルは「秋螢」とあり、「一句*ワンポイント」と添えてある。 一句の楽屋裏というのは、あまり話したくないものだ。べつにそれを説明すると作品が安っぽくなるというわけではない。自分でも分析できない、俳句の生まれる瞬間を勝手に裁断してしまうことへの異和感がある。 雪舟は多くのこらず秋螢 ずいぶん前の句である。二十年以上前になろうか。 もちろん、まだ学生じぶんである。小林秀雄のエッセーをよく読んだなあ。雪舟についても小林の「真贋」という文章で読んだ印象がつよかったのではなかったか。 「青」という俳誌の編集部員だった。三重県の石鏡(いじか)というところで鍛錬会があって、いろいろな使い走りをした。海辺の村での句作りは、めずらしくてそこここに腰をおろして時間をすごした。 その鍛錬会の句会に出した作品は、季語が法師蝉だった。 雪舟は多くのこらず法師蝉 岬で海を眺めていたとき、しきりにつくつくぼうしが聞こえていたのかもしれない。もちろん、海辺の村の寺に贋作の雪舟の画があったというようなこともない。いまの日本に、雪舟の作品が数えるほどしか残っていないということ、藝術家とその作品の運命というようなことを考えていた。 作家はその作品に対して責任を持たねばならないけれども、それと作品がのちの世に残るかどうかは、べつの話だろう。 俳句の生まれる機縁としては、あまりないことだったようにも思われる。句会に出してそれが波多野爽波先生の選となった。大きな句会で爽波選に入ることは、それまでになかったので単純によろこんだ。 鍛錬会が終わって家に帰ると興奮もさめてくる。一度句会に投じた作品を推敲することは、当時はほとんどなかったが、句帖をながめているうちに、どうも自分の気持ちになじめないものを感じた。 視覚的な季語と、聴覚的な季語がある。法師蝉は耳で、秋螢は目で感じる季語だろう。秋螢は現実の視覚というより、幻を見るような季語である。 雪舟は多くのこらず秋螢 爽波選に入った作品をさらに推敲したのはこの句がはじめてだった。のちにこの秋螢の句を爽波先生にその年の注目句にとりあげていただいた。 田中裕明さんの静かに自身の句と向き合うその姿勢が見えてくる文章である。 こういう短文を読んだだけでも、ああいいなあって思う。 何がいいんだろう。 師・波多野爽波への信頼が声高でなく語られ、師と弟子との細やかな交流がそこはかとなくにじみでている。 田中裕明さんは、ご自身にかかわるものや人との関係をすごく大切にした人だ。 それがとても自然体で語られているのだ。 さて、今日は、俳誌「海」の35周年のお祝いの会が、早稲田のリーガロイヤルホテルで。5時半より行われる。 ふらんす堂からはスタッフのPさんが出席。 会の様子については、明日ブログで紹介致します。 ふらんす堂では、目下「海」主宰の高橋悦男先生の第7句集『月の兎』の刊行にむけて、鋭意編集中である。 8月上旬には出来上がる予定である。
by fragie777
| 2018-07-16 18:15
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