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7月10日(火) 旧暦5月28日
![]() 蜘蛛の巣がしっかりと張られていて、まるで花嫁のヴェールのよう。。。 樹皮の内皮をはいで水につけて粘液を出させてそれを和紙を漉(す)くとき糊として使ったことから。糊空木というらしい。 8日付けの朝日新聞の「風信」に西村和子俳句日記『自由切符』が紹介されている。 季節の移りゆきとともに、365日1日1句に短文を添えた2017年の俳句日記。 蝶放つのうぜんかつら揺るる時 本日の毎日新聞の新刊紹介にも、西村和子俳句日記『自由切符』が紹介されている。 昨年1年間の歩みを記した俳句日記が一冊になったもの。知りたかった俳人の日常を階間見ることが可能で、一頁、一日ごとの展開が楽しい。 白靴や乗り降り自由切符得て 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クータ―バインディング製本 150ページ。 俳人・大関靖博(おおぜき・やすひろ)氏の第6句集である。 前句集『大夢』 に次ぐもの。平成27年(2015)年より平成30年(2018)までを収録。 タイトルは「大楽」は「だいらく」と読ませ、仏教用語であるらしい。広辞苑や明鏡国語辞典には載っていなかった。 「あとがき」を紹介したい。 今回のタイトルの「大楽(だいらく)」は〈人生大いに楽しむ〉と読むことも可能である。日本語の名字ともなっている。しかし大楽は極楽往生ほどにはポピュラーになっていない。事実〈大楽〉は広辞苑にも掲載されていない熟語である。 この「大楽」の言葉が使われている俳句が一句のみ収録されている。 大楽の櫻は空を溢れだす この句の前におかれたのが〈散るためのただ散るための櫻かな〉であり、どうやら「大楽」という言葉の意味するものは、それほど能天気なものではないらしい。「大楽の櫻」である。すでに無常をその内に宿している櫻である。本句集を一読すれば、「大楽」と名付けた著者の、無常感を明るさの境地へと止揚しようとする精神の運動を感じるのだ。 この四年間は超多忙であった。しかしなんとか本句集に収めることのできた四百句ほどの俳句を作ることができて安堵している。時間は私の体を通り過ぎてゆき二度と帰ることはないが、四百句の中にその時々の私の心が収められているのだ。俳句を始めて五十八年になるがやっと肩の力が少し抜けてきたのかなと思う。作為的に肩の力の抜けたような俳句を散見してその都度鼻持ちならない気持ちにさせられてきた。そのようなものも余り気にならなくなってきた。とにかく今は四百句ほどの俳句に感謝している。 「あとがき」の一節を抜粋した。 「俳句を始めて五十八年になるがやっと肩の力が少し抜けてきた」という言葉に驚いてしまう。 本句集の担当は、Pさん。 Pさんの好きな句を紹介したい。 春耕はむかし都の大地かな 幾たびも落花の海の庭を掃く 虹を見し夜は天然色の夢 初雀宝石の目の命かな 寒天の底にこころが落ちてゆく 大佛の沈黙華厳世界春 晩春のジャムトーストに広げけり 螢籠とは全世界全宇宙 花氷水の時間に戻りけり 干大根時間が置いてゆきにけり セーターの首出すまでを息止めて 白雲をくぐり白鳥ひかりだす 更衣昨日の我に飽きにけり 春霞食べ仙人になりしかな 幾たびも落花の海の庭を掃く 「落花の海」がいい。掃いても掃いてもとめどなく桜は散る。すべての周りの景色は消え、落花のなかに箒をもってそれを掃いている人だけがいる。そのことがまるで幸福であるかのように。未来永劫そうし続けていたいがごくとである。散る桜へのかぎりない親和性を感じる一句だ。 更衣昨日の我に飽きにけり わたしもチェックをした一句。「昨日の我に飽きる」ってよく分かるようで分からない。物事や他者には飽きても、なかなか自分に飽きるっていう感覚はないな、わたしなど。けっこう自己愛がつよいのかもしれない。しかし、「更衣」をしたことによってなにかそれまでの自分が色あせて見えてきたのだ。これはわかる。具体的な見える形の変化によって、変わらないと思っていた自身に纏わることが陳腐にありきたりに思えてきた。新しい衣をつけたんだから、自身ももうすこし進展させてみようじゃないのっていう心境かなあ。 ほかに、 銀紙の皺の波打つ夏の海 全身を風に預けて浴衣かな 白桃といふ掌のユートピア 若葉風奈良の佛を吹き渡る 雛あられ人動くたび空気揺れ 一匹は確かに我や蟻の道 新豆腐舌の上にて力抜く 本句集の装丁は和兎さん。 「派手にしたい」というのが大関靖博さんのご希望だった。 だから、思い切って和兎さん。 ふらんす堂の本としては珍しいカラー印刷である。 しかも、和兎さん。大関氏のご要望にさらに応えて、 「鳥の羽と鶏冠の赤い部分は明度をあげました」ということ。 表紙は金色の用紙。 見返しも同じ用紙。 扉の用紙には金銀の箔が漉き込まれている。 カバーの裏の折り返しにも鳥がいる。 虹立ちて虚空に菩薩ゐるごとし のごとく、極楽浄土のような世界が出現した。 英語屋に徹する我や漱石忌 楪やわが強情は越後の血 転職を知らぬ生涯蜷の道 この三句は、大関さんの自画像である。英文学を専門に大学で長い間教えて来られたのであるが、「英語屋」という言い方がいい。なかなか頑固で一徹。ご自身のこれまでの生涯を「蜷の道」の季題に託した。 淋しさの長さは葱の長さかな 葱好きのyamaokaにはぐっときた一句である。永田耕衣のあの有名句がふっと頭にうかんだが、こちらはもっと具体的だ。いや、これはあの句への挨拶か。この一句、読むとしみじみそうかもしれないって思う。野菜のなかでもとりわけ葱が好きなyamaokaは、ひょっとすると淋しい人間なのか。 ふ~む。 葱でも買って帰るか。。。 実は昨夜、ものすごくショックな体験をした。 今朝ミーティングのあと、スタッフたちにそのことを話すと、みな青ざめて「ここ最近聞いた話のなかで一番ショックなこと」とか、「ちょっと考えただけでもおぞましい」とか、思った以上の反応だった。 この話、 もう少し、 心が立ち直ってから書きますね。 ああ、ブルブル、、、、 しかし、聞きようによっては笑える。
by fragie777
| 2018-07-10 20:11
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