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6月27日(水) 旧暦5月14日
花屋さんからいただいた紫陽花。 こんな淡いピンク色の紫陽花ははじめて。 なかなか美しい。 じつは先日の土、日と水やりができずすっかり萎れてしまい、その萎れ方たるや、まさに強度のパンチを何発も食らってノックアウトされ身体が伸びきっておきあがることもできずない哀れなボクサーのごとく再起不能と思われたのであるが、なんということかスタッフたちのあたたかにしてかいがいしい世話(水やりと処置)によって、見事生き返ったのである。 素晴らしい甦生を間にあたりにしたyamaokaは、「こいつぁ凄い!」と賛嘆するばかり。 死に絶えそうになっていたときは「可哀想、可哀想」と言うばかりでつまりはちっとも役に立たないyamaokaである・ テーブルの上に置かれた金魚鉢。 こちらは深見先生の奥さまの龍子夫人から何年か前にいただいたもの。 スタッフの文己さんが、石をみがいて水を入れ直して金魚たちを生き返らせた。 一挙に涼感を呼ぶ。 「いいわねえ」とこれまたyamaokaは、感想を言うばかりで、ちっとは己の手を動かせよ、って思うのだが、この我が手、役に立たない手なのよねえ。 さて、新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クーターバインディング製本。192ページ 著者の古賀しぐれさんは、昭和25年(1950)滋賀県大津市生まれ、現在は奈良市在住。昭和63年(1988)に「ホトトギス」「未央」入会、稲畑汀子、吉年虹二に師事。平成6年(1994)「ホトトギス」同人、平成22年(2010)「未央」主宰となる。日本伝統俳句協会参与、大阪俳人クラブ理事。本句集は前句集『淡海』につぐ第2句集となる。平成23年(2011)から平成29年(2017)の作品を収録してある。 すこし前におなじ「ホトトギス」同人で、「円虹」主宰の山田佳乃さんが句集『波音』を上梓されたが、この句集をご覧になって「きれいな句集ねえ、わたしもこういう句集をつくってほしいわ」とお電話をくださったことによりこの度の刊行となったのである。句集『波音』と同じようにクーターバインディング製本となった。 私の住まいでもあります奈良。月に二回は必ず奈良公園をめぐり句会を続けて、かれこれ三十年にもなるでしょうか。季節のめぐり変りに心を浮き浮きさせながら、悠久の古都での句会を重ね、今日に至っております。 今回の句集名はその大和の地に感謝をこめて、「大和しうるはし神杉より初日」の一句より《大和しうるはし》といたしました。 と「あとがき」に書かれているように、在住の奈良・大和への讃仰の句集である。と同時に、ふるさと近江を詠んだ俳句も随所にみられる。あるいは京都もまた。つまりは古都周辺が句の足場となっている。 はぐれ鹿老の歩みでありにけり 鴟尾の秋水ゆくやうに雲のゆく 掃く音の踏む音の暮れ落葉道 春雨や墨の匂へる奈良格子 朧よりおぼろへ走り京の水 さざなみは光を紡ぎ合歓の花 秋天を断ち天平の深庇 百幹の闇に潜んでゐる余寒 朝ざくら淡海の空は水のやう 句集をひらくやわたしたちは日常の騒音から切り離されて、奈良、京都、近江という古き霊力にみちた磁場に引き込まれるようだ。しかし、著者の古賀しぐれさんにとっては、その景はもっとも親しく身近なものであり、自身のこころがやすらう場所でもある。〈三分の一の胃の腑に屠蘇しむる〉〈試歩誘ふ土のにほひのあたたかし〉という集中の句もあるように、胃の三分の一を切るという大病もされた。しかし、大和という風土の滋養をいただきながら病いよりめざましく快復された。「俳句のある暮らしのお蔭で心身ともにすばやく快復出来たのかもしれません」と「あとがき」に書いておられる。 本句集の担当は、pさん。pさんの好きな句は、 一本の光の通る黄葉道 琴坂を奏でて菖蒲の水となる 蝉死して春日原生林に帰す かなかなや耳の底より夕暮るる 冬銀河行シースルーエレベーター ビーチボーイ七月一日の闊歩 わが影の前へ前へ春遠からじ 千年の幹を巻込み花吹雪 さざなみのさざなみのまま春氷 万緑の山とは水を生むところ 春雨や墨の匂へる奈良格子 わたしも好きな句である。奈良の街を何度かあるいたことがあるが、落ち着いていてそれほど賑やかでなく、古い家並みがあったりして、そういえば和紙のお店に入って和紙をいくつか選んだり、奈良格子と呼ばれる格子戸のある路地を行ったり来たりして布ふきんなんかも買って、楽しかったけれど、わたしたちが行ったのは秋と夏だったような気がする。春雨の降る頃は墨の匂いもはっきりと奈良格子の間から匂ってくるんだろうなあ。って、この句へたな解釈を必要としないほどすっきりと身体に入ってくる一句だ。墨が匂ってくる街、どこかしんとしていて、空気がきれいで、そう今度は春雨の降る季節に奈良街を歩いてみたい。そう思った。 さざなみのさざなみのまま春氷 この句も面白い。こまやかなさざなみをみせながら凍ってしまった氷。そんな芸当ができるのは春の女神の仕業だ。「さざなみのさざなみのまま」という措辞が氷に春を呼びよせている。 句集『淡海』にも書きましたが、虚子の説く《古壺新酒》をモットーに、伝統を重んじつつも革新的な俳句を目指します。毎回新たなる心意気で句会に望んでゆきたく思います。そのことが私自身の元気の源となってくれることを確信しております。 至らぬながら主宰を務めさせていただき八年目となります。これも一重に沢山の方々のサポートのお蔭と感謝申し上げます。まだまだ道半ば。真剣にそして楽しく俳句人生を歩んでゆきたく思います。 「あとがき」を再び紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 古賀しぐれさんのご希望は赤をベースにということだった。 しかも、赤い鹿。 この鹿の上にはパール箔が押されている。だからよく見ると輝いている。 これなら分かるでしょ。 カバーととった表紙。 見返しはメインカラーの赤。 扉。 クーター部分も赤。 「大和しうるはし」というやや古風なタイトルを、現代的にデザイン化した仕上がりとなった。 この鹿、古(いにしえ)から未来へと駆け抜けていく鹿なのだ。 今日、古賀しぐれさんからお葉書をいただいた。 表には一句したためられていて、 「いろいろとお世話になり、有り難うございました。君嶋真理子さんの装丁好評で、素敵ですというお便り、沢山いただいております」 とあった。 ヤッタネ! 君嶋さん。 法起寺の月の芒を刈り残し 法起寺にも二度ほど行った。あの法隆寺がある斑鳩の里である。もちろん中宮寺、法輪寺にも行った。あのへんは良きところである。しかし、奈良の仏たちをたずねた理由は、「イケメン仏像を訪ねる旅」というなんとも、信仰篤い仏教徒からは叱られそうな不謹慎な奈良旅行であった。しかし、イケメン仏はいろいろいる。と書き出すと歯止めと聞かなくなりそうで、古賀しぐれさんの素敵な世界を汚してしまう不謹慎なヤカラとなってしまう。だから口をつぐもう。 この句、「月の芒を刈り残し」があの斑鳩の里の鄙びた景にふさわしい。イケメン仏(ぶつ)を求める散文的な人間にもこの韻文の世界が放つ美しさは分かるのよねえ。。。。 さて、 ワールド・カップである。 さっきゲラをもっていらした詩人の小松宏佳さんも、「寝不足でふらふらしてます」っておっしゃってた。 ふらんす堂の仕事場ももっぱらその話題。 野球一辺倒だった文己さんにいろいろとルールを教えているのはPさん。 わたしは、ともかくアルゼンチンが勝ってホッとした。 マラドーナが血圧があがって倒れたということだが、ほんと血圧あがっちゃうわ。 ヨーロッパびいきのyamaokaであるが、サッカーに関してはといってもそれほど詳しくないが、ワールド・カップのサッカーに関しては、南米びいきである。 自分でもよくわかんないんだけど、アルゼンチンやブラジルを応援してしまう。 もっちろん日本も応援してますけど。。。。
by fragie777
| 2018-06-27 21:06
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