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6月13日(水) 旧暦4月30日
深大寺にいた蝶々。 こちらは蜻蛉。 手は故郷(ふるさと)である。 ある作家の言葉である。 いい言葉だと思った。 先日観た映画「ファントム・スレッド」に登場する縫い子さんの手。 ひと針ひと針丹念に縫い上げていく美しい指の動き。 手はなんと多くのものを創り出してきたことか。 しかし、ボタンを押したりキイボードを叩くだけでことが済むようになりつつある現代、 わたしたちは故郷を失いつつある。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装。 160頁 著者の内野春月(うちの・しゅんげつ)さんは、昭和17年(1942)埼玉県所沢のお生まれで現在も所沢在住。平成2年(1990)に「ところ句会」に入会、平成5年(1993)に「桑海」に投句をはじめ、平成8年(1996)「桑海」同人。平成16年(2004)「ホトトギス」に投句し、平成29年(2017)「ホトトギス」同人となる。本句集は、第1句集『柚子日和』につづく第2句集である。平成17年(2005)から平成29年(2017)までの13年間の作品を収める。 第一句集を上梓してより早いもので二十年の月日が流れ、俳句を始めて三十年ほどになります。昨年は結婚五十年という節目を迎え、是を記念して、第二句集をつくる決心を致しました。 句集名「梅日和」は、樹齢二百年とも言われ、洞となりながらも毎年咲き誇り、私達家族を見守ってくれる白梅よりつけました。 ご結婚50年を迎えられたとはなんとも素晴らしい。そしてお家には樹齢200年(!)の白梅の木があるということ。 振り返る紅梅すでに暮れてをり 木登りの子に白梅の空展け 梅が香のありて遠くに梅林 梅の咲く窓辺に母の座を移す 日溜の紅梅に寄せ車椅子 白梅の傾き咲ける長屋門 梅の花を詠んだ句を紹介した。 振り返る紅梅すでに暮れてをり さきほど見た紅梅はまだ色鮮やかな色をしていたのに少し歩いて振り返った時には、すでに夕暮れが紅梅に達し鮮やかな紅色は黒ずんでしまった。「紅梅が暮れ」たというのが上手いと思う。「紅梅が暮れ」たと一点に絞ってみせることで、日暮れという万象をそこに集約させ暮れていく世界を確かなものとした。 本句集の担当は文己さん。 文己さんの好きな句は、 春の芝おりたがる児を抱き上げて 生けるもの宿し冬田の黙深し麗かや祝事ふたつ重なりて 薄氷のどこかが光り揺れはじむ 春の雨いささか地球ふくらみぬ 太陽へ南瓜の向きをかへてやる 押し合ひて喜び出でぬ貝割菜 春の雨いささか地球ふくらみぬ 面白い一句だ。地球をふくらませるようなそんな魔力をもった雨は、絶対春の雨でなくっちゃ。春の雨の心地よいぬるさは、地球だって油断させてしまう。緊張を強いられた(?)凍土から解放された地表は春の雨のぬくもりの水をたっぷり吸ってふわふわと膨らみはじめた。わかるわあ、実際にふくらんでいく様子は、きっと目を凝らして見た人にしかわかんないと思うけど。写生が大切! 太陽へ南瓜の向きをかへてやる 文己さんが選んだこの句、わたしも好きである。「南瓜」がこころから喜んでくれそうだ。南瓜も信頼してまかせっきっている感じ。人は汗してこのことを為しているのかもしれないが、南瓜と人間との幸福な関係がある。太陽だけがそのことを知っている。 ほかに、 長屋門くぐり彼岸の客来る 青空に緩びし辛夷風が摶つ 近き人とも遠き人とも虚子忌来る 大綿の数のふくらむ日和かな 父の日の教室中にパパの顔 笹鳴に上手も下手もなかりけり 風に蕊遊ばせてをり曼珠沙華 向う岸ばかり日のある都鳥 冬耕の動くともなく働ける 近き人とも遠き人とも虚子忌来る 著者の内野春月さんは、「ホトトギス」に所属しておられるから当然虚子を師とあおぐ方であろう。虚子はすでに亡くなってから50年以上経っている。時間的には遠い過去の人である、しかし、俳句を学ぶものの多くにとって虚子は眼前にそびえる巌のような存在でありその教えは少しも古くなっていない、ましてや内野さんにとっては日々新しい人であるかもしれない。俳人虚子への思いを率直に虚子忌に託して詠んだ。私にもよく分かる一句である。俳句に関わる仕事をしていると虚子は、やはり遠き人でありながら近き人でもあるのだ。 義父母も、多くの俳句仲間を呼んでは、よく句会をしておりました。私が俳句を始めた切っ掛けもそんな父母を見ての事です。大家族でしたが、温かい家族に恵まれ、この五十年恙なく過す事が出来ました。そんな家族に感謝の気持をこめて贈りたいと思います。 ふたたび「あとがき」を紹介した。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 著者の内野春月さんのご希望はただひとつ。 タイトルの「梅日和」を書き文字風にして欲しいということだった。 あとはすべてお任せということで、滞りなく本づくりが進んだ一冊である。 この書体が気に入られた。 用紙はツムギ風に。 カバーをとった表紙。 表紙の用紙もツムギ風のおなじもの。 見返し。 この用紙も色変えで材質のもの。 扉のみ用紙を変えて、キラが織り込んであるもの。(写真では分からないのだけど) 馥郁として梅の香りがただよってくるような一冊である。 内野春月さんは、ことのほか喜んでくださった。 エプロンに手を拭ひつつ虹に佇つ この句とても好きな一句だ。いいなあって思った。家事にいそしんでいて、虹が出たよーって誰かの声がして、いそいで虹をみるために飛び出していく。その急く心の弾みが「エプロンに手を拭ひつつ」によく出ている。しかし、この句の素晴らしさは、「虹に立つ」だと思う。「虹を見る」ではなく「虹に立つ」のである。全存在を虹にむけて虹と拮抗しているのだ。つまり「虹」という季題に対する著者の姿勢がはっきりと出ているのだ。季題への親和性、とも言うべきか。「虹に立つ」と詠んだことでこの句に一本背筋が通った。 以下は余談であるが、 句集『梅日和』のタイトルは、「あとがき」に書かれているようにお家にある樹齢200年の白梅にちなんでのものである。 樹齢200年。頭がクラクラしてくる。 樹齢200年とはいったい、いつまで遡ったらよろしいのか。 2018年-200年=1818年 となる。 1818年が、日本史においていかなる時代となるのか。 江戸時代年表で調べてみた。 1818年とは文政元年にあたり、この年伊能忠敬死去。とある。 ひえーである。 ほぼこの年に庭に植えられ寿命を保ってきたであるか。「洞となりながらも毎年咲き誇り」と「あとがき」にある。 俳句史的にいうとこの1818年とは、いかなる年代だったのだろうか。 まず思い浮かべるのは小林一茶である。(わたしはすぐ思いうかばず、調べたのだけど) 小林一茶は、1763年から1828年であるから、一茶の時にすでに植えられたいたのだ。 ほかにどんな俳人がいるかさらに調べると、岩間乙二は1755年から1823年、井上重厚は1723年から1804年、桜井梅室は1769年から1852年、画家でもあった酒井抱一は1781年から1828年、鈴木道彦は1757年から1819年、ざっとこんな感じである。 何でしらべたかというと、これから刊行になる矢島渚男氏の「歳華片々ー古典俳句評釈」に拠る。本書には登場する俳人たちの索引がついているのだ。 彼等がどんな句をつくっていたかも一目瞭然にわかる。 しかし、目下ちょっと事情があって刊行が遅れている。 と横道にそれたが、樹齢200年から始まったことを調べるのに重宝した。(宣伝も兼ねて、いささか。) 200年は遠い昔であるが、200年の樹齢を保って咲き続けている白梅。 その白梅は、内野春月さんにとって、まさに虚子のように「近くて遠い存在」なのだろう。
by fragie777
| 2018-06-13 19:55
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