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6月12日(火) 旧暦4月29日
神代植物園の河骨のとなりに咲いていた水金梅(みずきんばい)。 水辺の黄色の花では、ほかに狐の牡丹(キツネノボタン)が咲いていた。 このところ、朝、郭公の声を聞く。 どうやらお隣の造園所有の雑木林にいるらしい。 今朝はかなりはっきりした声で鳴いていた。 ベランダに出て雑木林の方をみてみたが、姿は見えない。 郭公がこんな風に東京の住宅街の一角の林にやってくるなんてあるのかしら、その辺はちょっとわかんないけれど、いるのよね。 郭公の声が聴けるなんてなかなか嬉しい。 実は鶯もいるらしく昨日の朝は素晴らしい声を発していた。 目撃したら写真に撮りたいな。。。 今日の毎日新聞の新刊紹介では、金山桜子句集『水辺のスケッチ』が取り上げられている。 あしかびに水あたたかき日なりけり 金山桜子 波のたりのたりと岸へ蓮の花 〃 第1句集とは思えぬ技術の高さと同時に、清潔としかいいようのない作品が並ぶ。宇多喜代子による序文の「水の近江との親和」がことのほかまぶしい。 本日の「ねんてんの今日の一句」は、稲畑廣太郎『俳句日記2016 閏』より。 梅雨茸一瞥投げて総会へ 稲畑廣太郎 6月は株式会社の総会が多い。株主の眼が梅雨の茸に向けられているのか。自解によると、日本伝統俳句協会の総会らしい。それでは面白くないが、この句の『一瞥投げて』というやや奇妙な言い方は大荒れの予想される〇〇株式会社の総会の方がよい。瞬間の視線のきびしさ、それが「一瞥投げて」だと思う。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 192頁 著者の稲垣いつを(いながき・いつお)さんは、昭和19年(1944)三重県北牟婁郡生まれ、現在は三重県鈴鹿市にお住まいである。昭和57年(1982)「狩」に入会し、鷹羽狩行に師事、平成9年(1997)「狩」同人。本句集は主として「狩」入会から平成28年(2016)までの作品333句を収録した第1句集である。序句、帯文、鑑賞4句を鷹羽狩行主宰が寄せている。 樏の第一歩より確かなり 狩行 「序句」である。 句集名「樏」は、〈樏(かんじき)を履けば自信のやうなもの〉による。序句はその句集名への挨拶である。 稲垣いつをさんの心に通わせた師の心である。 突き抜けて寂しからずや今年竹 ぬきん出ているものに、誇らしさではなく孤立の姿を見てとった。人間界を思わせる。 善処とはなにもせぬこと万愚節 現状のままが一番、とはよく言ったものだ。それが通用するのは四月一日ゆえか。 美しきものより順に柿落葉 柿の葉の紅葉は、とりわけ多彩で絵のように美しい。霜が降るころになると、その木の葉が遊ぶがごとくにゆらゆらと舞い落ちるが、そこに順番があると見た。美しいものが他のものより早く亡びるというところに〝佳人薄命〟とか、西洋の〝詩人は夭折する〟などの成句を思わせる。 採点の背より肩より隙間風 二学期末のテストが終わると、教師は採点におおわらわ。自宅にまで持って帰っての採点ということもあるのだろう。すると、背中あたりから、あるいは肩のあたりから、うすうすと寒い隙間風。点数のかんばしくない生徒のことをおもんぱかっての心理的な揺れもあろうか。 帯文と「鑑賞四句」より抜粋して紹介した。 美しきものより順に柿落葉 否というふこと多き日や芋嵐 踊りの輪徐々に育てて口説き唄 闇の襞よりつぎつぎと螢の火 かなかなの山を揺すぶる夜明けかな きじ鳩のよく鳴く日なり放哉忌 一葉落ち一葉落ちして空の透く 捻子巻くやうな声もゐて遠蛙 まだ無疵なる落椿ふまずゆく 担当のPさんの好きな句をとりあげてみた。 かなかなの山を揺すぶる夜明けかな かなかなの声は、腸(はらわた)をつきあげてくるような、あるいは肉体に撃ち込んでくるようなひときわの迫力がある。ましてやそれらが夜明け頃に一斉に鳴き出したら大音響である。そのすさまじさを「山を揺すぶる」と表現した。これはもう寝てなんていられない。 一葉落ち一葉落ちして空の透く 落葉のありようを「一葉落ち一葉落ち」とまさに目前の景として詠んだ。「空の透く」が清々しい。空を見上げる作者の呼吸まで透きとおってくるようだ。裸木となるつつある先にひろがる冬の硬質な青空とそれに対峙する著者。気持のいい一句だ。 題名の「樏」は、昭和六二年作の“樏を履けば自信のやうなもの”によります。雪山での拠り所の一つである樏は、俳句に対するときの歳時記に相当するものと思います。 山との関わりは二十代の初め、俳句との関わりは三十代の半ば、狩行先生に師事したのもこの頃からです。 振り返れば、失敗の上に失敗を重ねた傷だらけの人生ながら、それなりに幸せな来し方だったと思います。よき師、よき輩に支えられてきましたが、行く末もまたかくあれかしと願っています。 「あとがき」を抜粋した。このあとがきの後半の部分は、さきほどの「一葉落ち」の一句の清々しさと響き合っている、と私は思う。「行く末もまたかくあれかし」には「空の透く」と天空をみあげる著者の心が見えてくる。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 「樏」という一語のタイトルを面白くデザイン化した。 タイトルは黒メタル箔。 表紙のクロスは、文人茶(ぶんじんちゃ)。 タイトルと名前は黒メタル箔。 見返しラシャ紙をもちい、色は素色(しろいろ)。明るい渋さをもった色だ。 扉。ここにのみ光沢のある用紙を使った。 花布は、クロスとほぼ同じ色。 花布は白。 質朴な風合いである。 背後に雪山をひかえた感のある「樏」である。 落ち着いた一冊となった。 ほかに、 薄氷の底にて息を凝らすもの 冬ざれを来て鍵穴に鍵を差す 手返しを母の手にかへ餅を搗く 春浅し木地師の指の絆創膏 雪隠へつづく回廊十三夜 まだ無疵なる落椿ふまずゆく Pさんもあげていた一句である。花が散る場合はおおかた傷みがひどくなって花の盛りをかなり過ぎたころ散ってゆくが、椿の場合は椿という花の個体がそのまますとんと落ちるわけで、しかも花の盛りのときに落ちる。無残なほどに生々しい。生気を充分保って疵ひとつない落椿、いったい誰がそれを踏むことができるだろうか。出した足をおもわずすくめてしまう。踏めば悲鳴をあげそうである。踏むなんて金輪際あり得ない。そのわたしたちが日頃無意識に行っていることをこの一句は意識化させた。そして無傷なる落ち椿はこの世にあまた存在するのであって、そのことについて、椿は他の花の追随を許していない。 パンダのシャンシャンは今日で一歳を迎えた。 「yamaokaさん、そのことブログに書かないとダメですよ」ってスタッフに言われた。 「ああ、書く、書く」とyamaoka。 というのは、ここ数ヶ月わたしたちは上野動物園が発信するパンダのライブ映像を日々みて、シャンシャンの監視員のひとりとなっていたのである。 シャンシャンが林檎を食べたこともいち早く知り、シャンシャンが烏と追いかけっこをしている様子に目を細め、シャンシャンが水飲み場の栓を抜いてしまって飼育員さんたちを慌てさせたことには笑い、昨日のハンモックなんてシャンシャン以上にわたしたちが喜んだ。 日々どんどん大きくなって、お母さんに突進していくシャンシャンであるが、まだ母乳を飲んでいて充分な甘えん坊である。 一歳になったのねえ、と感慨深い。 仕事で気持がヒリヒリすると、シャンシャンをみて和む。 で、仕事を開始する。 (おかげでパンダの生態にはけっこう詳しくなったかもしれない……) シャンシャン、一歳、おめでとう。 ![]() わたしたちも仕事頑張りまーす。
by fragie777
| 2018-06-12 20:16
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