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6月8日(金) 旧暦4月25日
通りがかりの家に生っていた枇杷の実。 美味しそうである。 鳥に食べられないかしら。 人知れず心配をしてしまう。 枇杷は大好きである。 季節にはかならず食べる。 今年は房総より採れたての枇杷を送ってもらったが、味が濃くて大変美味しかった。 今日はかえりがけにクイーンズ伊勢丹に寄って枇杷を買うつもり。 たくさん食べるとお腹こわしちゃうから、まずは2個のみ。 新刊書籍を紹介したい。 四六判ハードカバー装。184頁 私家版 著者の片山静江さんは、昭和3年(1928)東京府代々幡町幡ヶ谷(現東京都渋谷区幡ヶ谷)に生まれ、今年90歳になられる。昭和8年(1933)に千葉県木更津市に転居してより現在まで変わらずに木更津市にお住まいである。 「生涯歌集は作らぬつもりでおりましたが、子供たちの強い勧めで卒寿記念に一冊だけ作ることに致しました。この歌集には、『氷原』に入会した平成二年から現在の『鼓笛』まで二十八年間の作品の中から二百八十六首を選び収めました。」と「あとがき」にあるが、子供たちとは俳人の片山由美子さんとそのお姉さまの片山惠子さんである。お二人は本歌集に栞を寄せておられるが、栞をかくのみならず本歌集刊行にむけていろいろとご尽力をされた。 片山静江さんは、昭和の激動の時代を仕事をし子育てをし、平成の現在は生活を豊かに過ごしておられる方である。短歌は今は亡きご夫君の片山好實氏の影響で始められた。お二人でともに通信講座を受講されたりして熱心な実作者であった。 本歌集には、家族をよんだもの、旅をよんだもの、暮らしの日々を詠んだもの、とさまざまな短歌が収められている。 帯に片山由美子さんが抄出したものを紹介したい。 国後島の山肌までも見ゆる地に熱き思ひを抱きて立てり 山並みを右に左に伊勢志摩のスカイラインの緑に染まる 風に舞ふ紅葉の中を夫逝きぬ晩秋の山語ることなく 黄金の雨を降らする夜のあらむ目抜き通りのいてふ並木は 津軽海峡越えくる風のはげしくて最果ての地の寒さ身にしむ ゆつたりと泳ぐウミガメ垂直に上がりゆくとき息を継ぐらし 東京の幡ヶ谷が私の原点ですが、昭和初期の日本は不景気のどん底で、幼い私が「おじさん景気はどうですか」と挨拶するくらい大変な時代でした。やがて、関東大震災後の帝都復興計画が発表され、私たちはその犠牲となって千葉県の木更津に転居しました。 小学校に入学すると間もなく日支事変が始まり、戦地の兵隊さんに慰問文を書いたり慰問袋を作って送ったりしました。日の丸の小旗を振って出征兵士を送ることも頻繁になりました。さらに、女学校に入学した年に太平洋戦争が勃発。制服はスカートからモンペに変わり、防空頭巾と救急袋を肩に掛けて通学しました。最後は、学徒動員令により海軍航空廠(こうくうしょう)で飛行機の部品作りに関わることになりました。その時は何も知らされませんでしたが、戦後になってその機種が特攻機として使われたことを知りました。 「あとがき」である。こういう時代を生きてこられたのかと、戦争というものがわたしたちからどんどん遠くなる現在語られなければ知ることのない時代の記憶である。わたしの母も同じ時代を生きてきたのだ。わたしの母のこの時代の記憶は、わたしたちに多くを語られないまま封印されてしまった。もっともっと聞いておくべきだったと残念である。語らなければ残らないのである。 学徒動員より解き放たれて七十年いま若き日の甦りくる 特攻機の部品作りに関はりしことを戦後になりて知らさる ジュラルミンの板と格闘完成の部品揃へて検査室へと 技術将校の朝の訓示は「絶対に御釈迦を出すな」耳に焼き付く 解散する時にもらひし落下傘の白絹のちにワンピースとなる 「戦後七十年」と題した一連の短歌より、いくつかを紹介した。 父と母は、銀婚式記念に修善寺を訪れて以来、たびたび二人で旅行に出かけるようになりました。母の歌には旅先で見聞したこと感じたことなどを詠んだものが多く、いかに旅を楽しんだかがよくわかります。それゆえに、手術後わずか二週間で逝った父を詠んだ歌には深い悲しみがこめられているのです。 臓器ひとつ失ひし夫は覚めぬまま点滴と共に運ばれてきぬ 風に舞ふ紅葉の中を夫逝きぬ晩秋の山語ることなく ひと夏を犬のヤマトのダニ取りに傾けし愛残して去りぬ これらの歌を読むと、私たちはいまだに「あの日」を思い出します。 片山惠子さんの「栞」より、抜粋して紹介した。お父さまを亡くされたことについて、片山由美子さんも「栞」でこのように書いている。 何度も入院をして、健康といえる日がないような母でしたので、正直なところ、九十歳を迎える日がこようとは思ってもいませんでした。逆に、不死身だと信じていた父は六十八歳であっさりこの世を去ってしまいました。父は、自分が生きるはずだった時間を母に与えてくれたのかもしれません。 本句集の担当は文己さん。文己さんの好きな歌を紹介したい。 道端に出できし夏毛のキタキツネかすてら拾ふ姿のあはれ 飴細工の屋台に群がる子供らは恐竜生まるる瞬間を待つ 君とわれの歌刻まれし碑のおもて陰をつくりて木漏れ日映る この「君とわれの歌刻まれし碑」とは、千葉県君津市の久留里城趾公園内に建てられたご夫婦の句碑のことである。 本句集の口絵にその写真が収録されている。写真は孫の片山健太郎さんの撮ったものである。 それぞれ三首ずつ刻まれている。一首ずつ紹介したい。 朝まだき荒磯に立てば犬吠の海と空とを分かつかがやき 片山好實 まんばうの形の雲はわが心乗せてゆつくり大空をゆく 片山静江 終戦後まもなく結婚しましたが、日本中が貧しく、私たちも極貧の結婚生活でした。しかし、戦時中に鍛えた忍耐力のお陰で何とか乗り切ることができました。 その頃に比べれば、今の平和で豊かな暮らしは夢のようです。そこで、過去の苦しみは幻、今の夢のような幸せを大切にと考え、歌集の題を『夢幻』としました。 私を短歌の道に導いてくれたのは亡夫であり、今、心配なく暮らせるのも亡夫のお陰なので、感謝を込めて、二人の旅の思い出を詠んだ歌を多く取り上げました。また、色々応援してくれる子供たちにも感謝しつつ歌を選びました。 ふたたび「あとがき」を紹介。 本歌集は、一人の女性の歌集ではあるが、その背後に家族のあたたかな眼差しがあり、その思いによって一冊となったものである。 祝福されて刊行されたまことに幸せな歌集『夢幻』である。 本歌集の装丁は君嶋真理子さん。 お母さまとの間にたっていろいろとパイプ役をしてくださったのは片山由美子さんである。 色は紫がお好きとうかがい、 紫をテーマカラーに艶やかな一冊となった。 タイトルは金箔。 用紙は光沢のあるもの。 表紙のクロスはやや目の粗い白。 見返しは薄紫色。 栞はオフホワイトのもの。 今回は遊び紙をいれてみた。 和紙に金銀の箔がちりばめられている。 こんな風にめくると、 扉が現れる。 花布は、紫と白。 栞紐は、紫。 はんなりとした優美な一冊である。 戦後の困難な時代を乗り越え、現代の高齢化社会を心豊かに生きる母は、理想的な人生を送っているのではないかと思っています。 二人してふたりの子らが弾くを聴く琴とピアノのそれぞれの音 という父の歌があります。仲の良い夫婦でした。母と暮らして本当に楽しかったと、ある日父が言ったそうです。この歌集の刊行を、父は誰よりも喜んでくれることでしょう。 片山由美子さんの「栞」はこのように結ばれている。 「二人して」のふたりとは片山惠子さんと片山由美子さんである。 幸せな家族の姿がある。 私は、歌碑は点、歌集は線だと思います。母の人生九十年分の線です。この線がさらに延びて「白寿記念」の歌集まで続くことを願っています。 こちらは片山惠子さん。 わたしたちも「白寿記念」の歌集を是非に刊行させていただきたいと願っております。 今週もあれよあれよと過ぎてしまった。 この一週間なんだったの、っていうくらい慌ただしい。 ここんとことのわたしの日課は、愛猫のヤマトを一日二回は胸に抱きしめることである。 やわらかであたたかな肉体をやさしくそっと腕に抱え込んで抱きしめる。 「宝物だよ」「大好き」などと声をかけながら抱きしめる。 すごくいい匂いがして、やわらかで、わたしはもう充分に幸せになる。 ヤマトもうっとりとわたしを見上げる。 その時だけは時間が止まる。 いいもんわだよお。。。。
by fragie777
| 2018-06-08 19:32
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