ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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どこでもドアを手にいれて。

6月4日(月)  旧暦4月21日

どこでもドアを手にいれて。_f0071480_18155230.jpg

国立・矢川に咲いていた額紫陽花。

この日たくさんの紫陽花を見たが、ブルーの色が好きかな……。






今日はさっそくに新刊紹介をしたい。

松下道臣句集『憤怒(ふんぬ)』。


どこでもドアを手にいれて。_f0071480_18140777.jpg

四六判ハードカバー装 178ページ。

著者の松下道臣(まつした・みちおみ)さんは、昭和16年(1941)年東京下谷稲荷町に生まれ、現在は台東区・元浅草に住んでおおられる。生粋の下町っ子である。昭和39年(1964)に「歯車「暖流」に入会して俳句を始められる。「暖流」同人を経て、昭和62年(1987)「雷魚」創刊同人、平成9年(1997)「萱」創刊同人。現在は「萱」同人、現代俳句協会会員である。句集に『まんまる』『足形』がある。この『足形』は、2013年にふらんす堂より上梓されたものである。そのご縁での第3句集である。2013年から2017年の作品を収録。

「あとがき」がなかなか面白い。前半を紹介したい。


『まんまる』『足形』につぐ小生の第三句集である。六十五歳のときの大腸癌は克服した積りであるが、病院で検査をするたびに何処かしら悪い処が見つかる。医師は加齢現象と言うが衰えるのは想っていたより早い。そこで予定を早めて句集を編むことにした。従って選句は甘い。幸に『足形』のときの資料が残っていて落とした句に愛着もあったので落穂拾いをして残すことにした。句集名は

  蘭鋳の憤怒のかたちしてをりぬ

から採った。何年経っても一向に上達しない自分自身に腹を立てて居るのだ。

「憤怒」という句集名と最初伺ったとき、なかなか激しいタイトルであると思い、きっとこの世の中に対して大いなる怒りをもたれているのだろうと、思った。本のデザインは君嶋真理子さんが担当したが、実はご本人のなかでおおかたのイメージが出来上がっており、それを君嶋さんが具体化したのであるが、デザインが決まって見せられたとき、(おお、コワイ、燃えるような怒りがご本人から出ていて、焼かれそう…)とわたしは思ったりしたのだった。だから、この「あとがき」を読んだとき、あらあら、そういうことだったのと、ちょっと肩すかしを食ったのだった。しかし、この著者のユーモラスな精神は、素敵である。


 背中とは遠い処や汗のシャツ

句集の前半にある句である。汗でびしょびしょになったシャツは背中にびったりとはりついている。どうにかして拭き取ってさっぱりしたいものだが、こう、手を後にまわして拭き取ろうにもなかなかそこまで達することができない。日頃は体操でもしない限り手をうしろにまわしてということもない。いや背中が痒いときにはそうすることもあるが、手がまわしにくいときなどは、壁にこすりつけたりして掻くこともできるが、汗の場合はそうはいかない。一刻も拭き取りたいのだが、なんとも思うように拭き取れない。このときばかりは背中が遙か彼方に存在するものとしてあるのだ。ここにも著者のユーモア精神が発揮されている。

本句集の担当は文己さん。
文己さんは、この句集が出来上がるまで何度も著者の松下さんの家を尋ねた。
ご病気でいつも奥さまがそばに付き添って対応されたのだった。
その文己さんの好きな句は、

 大泣をしてゐる方が合格子
 買ふ前に音を確かむ種袋
 寒卵産み偉さうな顔をせり
 踏切の閉まるとゆるる猫じやらし
 手始めに金魚掬いの水掬ふ
 思ひ出の濡れて着きたる星月夜
 初日の出妻の目尻の見えてくる
 風の盆目よりも耳の聡かりし
 おみやげの底撫でてゐる旅はじめ
 ハンモックちがふ自分に会ひにゆく

 買ふ前に音を確かむ種袋

この一句はよくわかる一句である。種袋のなかの種は見えないで売られている。その花などが咲いた状態のもののきれいな写真が印刷されているのが通常である。種は小さくて軽い。いったいどのくらいの種が入っているのだろう。種袋を揺すってたしかめて見る。種袋を手にしたほとんどの人がしそうな行為である。あるいは同じ花の種袋でもこっちとあっちの種袋では振ってみると音がかすかに違う。こっちの方がすこし多く入っているのかしらん。数えるわけにはいかないから音が頼りである。一粒でおおくの種がほしいから、袋を振って音をたしかめてみる。


俳句を趣味にしている人は「ドラえもん」のどこでもドアを手に入れたような物だ。歩くのが少し不自由になってからはどこでもドアにすっかりお世話になっている。俳句は眼前の景を如何に切り取って如何に表現するかが大切と教えられたが、それもままならぬ現在、気分転換にはなる。しかし初めての感激、生の感動にはおよばない。けれど二十三歳のとき俳句と出会って以来愉しんで来たのだから
「まあ!いいか」


「あとがき」の後半もふるっている。
「どこでもドア」ね。
そう思うと、俳人とは最強である。
紙と鉛筆さえあれば、イヤ今ではスマートフォンさえあればかな、句づくりができるのである。
50数年俳句づくりをしてきた方だからこそ言えるのだろうか。
なんとも柔らかな精神の持ち主である。



装丁の君嶋真理子さんは、松下道臣さんのご希望をとてもスマートに実現してくれた。


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赤が主体の本はなかなか難しいのだが、しかもタイトルが「憤怒」。
雁字搦めになってしまうところをすっきりとデザイン化した。

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タイトルは黒メタル箔。


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帯のレモン色は著者のたってのご希望。


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表紙はぐっと渋く。
限りなく黒に近いグレー、消炭色(けしずみいろ)がいい。

タイトルも黒メタル箔である。


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見返しは赤。


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扉も赤。

表紙の消炭色によって、赤がさらにひきたつ。

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赤が差し色となっている。


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花布は、赤と白のツートンカラー。


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栞紐は濃いグレー。



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前句集『足形』同様、今回の出来上がりもたいへん満足していただいた。

お身体を大切にされてご健吟に励んでいただきたいと願っております。


 雑巾をかたく絞りて春を待つ

著者も自選句にあげておられた一句である。春待つこころが伝わってくる一句だ。やはり昭和世代の気持かなあ、雑巾掛けとかって若い世代はやるのかなあ、わたしだってほとんどやらない。モップをかけたりしてすませてしまう。しかしわたしの手は雑巾掛けを覚えている。小学校のお掃除の時間を思い出す。水をはったバケツ(それもブリキのバケツ)に雑巾をいれて汚れを洗って再び拭き掃除をはじめる。その時かたく絞ることが大切なのだが、結構これがろくに縛らないでべちゃべちゃで拭いちゃう男子などいて、ダメよもっと絞らなきゃなんて言ったり、でもわたしもそんなに勤勉ではなく適当だったかもしれない。寒いときは水を使うのはツライけれどもうすぐ暖かくなると思うと、自然に身体にも力がはいって雑巾もギュッと絞ったりしてしまう。そんな春をまつ心が雑巾の絞り方にだって出てくるのだ。


 




今日のブログは少し長くなってしまうけど、
(実はさっき友人から「殻付きウニ」を食べに行かないかってお誘いが入ったのだけど、泣く泣く断ったのね。今日のことは今日すませなければならないのよ)

去る6月2日に行われた松平盟子氏主宰の「プチ★モンド 創刊100号記念」の「第15回短歌のつどい」を紹介したい。
午前中の10時半よりはじまって午後の5時半まで行われた会である。
スタッフのPさんが出席した。
松平盟子さんは、いまふらんす堂のホームページの「短歌日記」の連載をやっていただいている。

記念会は内容が豊富で、「平成短歌の振り幅」という松平盟子さんの講演にはじまって、第1部の「作品評」が、歌人の小島ゆかりさんと笹公人さん、第2部の「作品評」が、遠藤由季さん、松村正直さん、その後シンポジウム「歌の架け橋~世代を超えて理解氏合えるか」があり、「懇親会」その間に「短歌朗読会」というぎっしりと予定が組まれた内容である。


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ご挨拶をする松平盟子氏。

花菖蒲の柄であろうか、季節のお着物である。


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長時間にわたりまして、朝から講演そして歌評会、極めつけはシンポジウムと続きました。
皆さま、お疲れが残っているかもしれないけれど、充実したお時間が過ごせたのではないかなと思っておりますし、そうであって欲しいと願っております。
「プチ★モンド」では毎年、「短歌の集い」という全国大会に似たような会をしておりますけれども、今年は創刊100号に当たります。
100号と聞いて、「ちっぽけ」と思われるかもしれませんけれども、「プチ★モンド」は四季、春夏秋冬に1号ずつしか出しておりませんので、100号まで続くというのはそれなりの年月なんですね。今私が××歳なので(笑)、2×年前までは、××歳だったわけですね(笑)。その××歳分だけ年は重ねましたけれども、それを差し引きしても気持ちだけやっぱり新鮮な思いでいつも短歌に臨んでいきたいなと思って参りました。
その気持ちのひとつの形として、今回は「100号の記念になることをしてみたい」と思っておりました。

「プチ★モンド」100号の雑誌の中でもそれなりに特集を組みました。そして、今日できあがったばかりの101号では、「未来短歌会」の有望な歌人、服部真里子さんと私との対談が載っております。その対談も「メール対談」といいまして、お互いにメールで意見を交換するというスタイルをとっております。今回のシンポジウムにあたる内容をあらかじめ私と服部さんとの間で議論を交わしました。皆さまのお手元に届きましたら、読んで頂いて、今回のシンポジウム、服部さんと私とのメール対談を通してひとつの問題の定義、およびその解決まではいかないにして、どうしたらこれからの短歌、若い世代との間で相互のよい理解が叶うものか。叶ったうえでどういった形で短歌という長い長い時間をかけて熟成してきたこの詩が継承されるのか、そんなことを考える手立て、よすがとできたらいいなと思っております。

小島ゆかりさん(コスモス)、松村正直さん(塔)、遠藤由季さん(かりん)、笹公人さん(未来)、朝からお力をお借りいたしまして、今回の歌評会、シンポジウムと前々からご準備をして頂きまして、臨んで頂きました。ありがとうございました。心より御礼を申し上げます。
皆さま、本当に今日はありがとうございました。


松平盟子さま
「プチ★モンド創刊100号」おめでとうございます。
心よりお祝いを申しあげます。




そして以下は、Pさんの報告である。

松平盟子先生の講演では「平成短歌の振り幅」と題して、昭和から平成にかけての短歌の表現においての変遷を探り、またその変遷の中から浮かび上がる世代間のズレや作品理解の深度について考察されていました。最近の作品を見ていると、結社に属さない若者が増えたり、歌歴が浅くてもすぐに歌集を出したりと、昔はよく見えていた「短歌の地図」が分からなくなっているという問題定義がされました。
それを受けて、午後からのシンポジウムでは、小島ゆかり先生(コスモス)、松村正直先生(塔)、遠藤由季先生(かりん)、笹公人先生(未来)という各結社の代表歌人の方々が、「世代を超えて理解し合えるか」ということを作品から読み解いていかれました。シンポジウムの間には各先生方のプチ★モンド会員の方の作品評(64首!)の歌評会も行われ、歌人の方々の勉強ぶりに驚かされました。
昼食を挟んで、5時間にわたる贅沢な時間だったように思います。
懇親会では、菖蒲柄のお着物からお色直しをされた松平先生が、楽団に混ざってご自身の短歌を織り込んだ「短歌朗読会」も。
ゲストの幅の広さにも、松平先生のバイタリティとお人柄、パワフルさを存分に感じることが出来ました。


そしてこれは、「短歌朗読会」の朗読劇をされた松平盟子氏である。


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着物からドレスにお召し替えをされた松平さん。
まさにパワフルにして、かつエレガントな歌人である。




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by fragie777 | 2018-06-04 20:09 | Comments(0)


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