カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
5月17日(木) 旧暦4月3日
ご近所ではなく、矢川緑地のちかくに咲いていた薔薇。 昨夕は仕事をすこし早めに切り上げて、顔に魔法をかけに行った。 どんな魔法かって。。。 たわいもない魔法よ。 で、 魔法は効果があったかって。 それは、 もう、 ほとんどない。 ふらんす堂スタッフたちが、「ああ…よく見れば」というくらい。 実はわたしも昨夜から何遍も鏡を見てるのだけど、よくわかんないのよ。 だから、どんな魔法か教えない。 わたしを知っている人が会っても絶対わかんないと思うよ。 実は、今週末にとても大事な人の結婚式があって、参列してふらんす堂を代表してご挨拶をするのである。(いまからドキドキ。) で、少しでも女前をあげておこうと、 ちょっと魔法をかけて見たのだけど、 いやはや、悪あがきに過ぎなかったみたい。。。。(きわめて無念!) 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装。164ページ。 著者の菊地正弘(きくち・まさひろ)さんは、昭和19年(1944)仙台市生まれで、仙台市在住である。お家は明治4年創業の石材店で、それを引き継いでおられる。俳句は平成14年(2002)に鈴木明主宰の「実の会」に入会し、平成15年(2003)に「野の会」に入会、現在は「野の会」の同人で、現代俳句協会会員である。本句集は平成14年(2002)より平成26年(2014)までの作品を収録した第1句集である。序文は「野の会」主宰の鈴木明主宰が寄せている。 初鞴老いた石工の赤き貌 掲句の「初鞴」、「赤き貌」は永年勤続された老石工と理解していたが、作者より後便にて、人物は菊平(菊地石材店)の従業員であり、「小生の中学時代、一月六日が仕事始めで、鞴の脇壁の神棚を礼拝しお神酒を頂き鞴をおこして、鑿を加工しその後新年会となりますが、石工たちは必ず腕自慢を始め、最後は取っ組み合いになるのが常でした。」この一便により、氏の仕事と家族史を想い、改めて気持ちの良い思いがした。 序文を紹介したが、この「初鞴」の一句は、俳句をはじめて僅か1年で鈴木主宰の特選となったもので、この度の句集名となった一句である。著者にとっては、自身の生活から生まれてきた一句でもある故に忘れられないものである。このことを菊地正弘さんは、「あとがき」に次のように書いておられる。 題名の「初鞴」は、勧められて生まれて初めて作った句「初鞴老いた石工の赤き貌」から選びました。小生は、創業明治四年の石材店に生まれました。昭和三五~六年頃までは従業員数は住み込みの弟子達を含めて二十人ほど居りました。掲句は当時を思い出して作った句ですが、思いがけなく平成十四年の新年句会で特選を頂きました。これで俳句の世界から抜け出すことが出来なくなりました。以来十六年、毎月の出句締め切りに恐々としながらも、楽しんでまいりました。これも鈴木明主宰と野の会の諸先輩方の御指導の賜物と感謝の気持ちで一杯です。 ふたたび序文より抜粋して紹介したい。 また次の句は、現代のいま現在も日本の郷村に残る、村民による私的制裁、仲間はずし「村八分」である。 青葉闇現在に繫がる村八分 私がよく口にする故鈴木六林男のことば「憂鬱な時代には憂鬱を、不安な時代には不安を書かない作家は信用できない」。句集『初鞴』に本当の意味での言葉を、私の希望することばをこれらの句によって得ることができたのは最たる至福といえる。時代の社会的事象を俳句にする力は、著者の勇気と知性、その見識の高さである。 最後に序を飾るにふさわしい秀句を置く。 もう一歩踏み出しかねつ蛍沢 わが城はわれ立つ処青嵐 藤袴をとこは香気放つべし 桔梗の角帯きりっと締めにけり 躁のまま夜の新樹となりにけり 初山河此の地に骨を埋むべし ご出版を心よりお祝い申し上げます。 本句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句を紹介させていただく。 秋旻や晩節というつらい坂 啓蟄やみなそれぞれの死の歩幅 幻に牙むく犬や罌粟の花 風歇みぬ金木犀にある死臭 とまれともあれ収支合わせむ除夜の鐘 手庇の二の腕眩し薄暑光 抜け道の空高々と花常山木 去年今年綻び繕う鼻眼鏡 御籤売る巫女の手に見る淑気かな 口下手で一徹でいかつくて鬼蕨 葱洗指先白く透けるまで 藤袴をとこは香気放つべし Pさんが選んだ一句より。この句は鈴木明主宰もあげておられたが、わたしもチェックした一句。こんな男に会ってみたいものだわ。この「香気」は、辞書をひけば「よいにおい。香り」とあるだけだけど、これはもっと精神性のようなものが加味された存在が放つ「香気」とでも呼ぶような、なかなか芳しい選ばれた人間のみが放つ香りである。菊地さんは、「放つべし」と言って、自身がその香気を手に入れたとは言っていない。そのようなでありたいという精神の方向付けをしているのだ。とても良いではないですか。しかも「藤袴」の季語が効果的である。秋の七草のひとつで、なんども渋い紫の色の花。「袴」という語が「袴」をつけた男の姿勢のよろしさを思わせて,シャンと背筋のとおった男から香気が放たれる。ぐっと来ちゃうわ。波郷の「桔梗や男も汚れてはならず」を連想する人が多いかもしれない。 烏瓜男点前の黒茶碗 これもPさんの好きな一句である。句集の3句目におかれている。男のダンディズムたっぷりの一句だ。隙のないしまった一句である。本句集はこの句やさきほどの「藤袴」の句のように、かなり「男性(おとこせい)」というものが意識されている句集である。「老いていく男の我」を自己対象化しながら、その感慨を俳句の定型に籠めている。 放埒の日々遥かなり秋刀魚焼く 冬座敷一人言葉を探しおり 花栗や良くも悪くも昭和の男 青空の奥に鬱あり今日我鬼忌 口下手で一徹でいかつくて鬼蕨 でで虫やなんで彼奴が俺の前 秋思とは墓まで持ちてゆく秘密 袱紗さばく男に釣瓶落としかな 極月や斜めにかぶるソフト帽 鴉にも鬱はあるらし木の実降る 日向ぼこ程よく塩気抜けにけり 身の底に燻る種火月凍てる 鏡の彼奴に指鉄砲撃つ初鏡 絹マフラー七十の腰伸ばさねば 七十歳を区切りに句集をという気持ちは前から有り、主宰からも勧めて頂きながら、なかなか踏ん切りがつかず延び延びになっておりました。拙く青臭い句も多々ありますが、笑いとばしていただければ幸いです。 「あとがき」の言葉である。 装丁は君嶋真理子さん。 句集名の赤メタル箔が印象的な仕上がりとなった。 黒メタル箔のものと赤メタル箔のものを提案したのだが、赤メタル箔のものを選ばれたのだった。 表紙のクロスは、素鼠(すねず)色ともいうべき、渋いグレー。 表紙の箔も赤メタル箔。 見返しはグレーの石の感触を思わせるもの。 花布は赤。 栞紐は赤。 扉。 赤とグレーの二色にして石と火を連想させる。 美意識のある菊地正弘さんの心にかなった一冊となったであろうか。 週末には仙台市にて、句集『初鞴』のお祝いの会が行われる。 担当のPさんがお招きをいただいており出席の予定である。 菊地正弘さま。 第1句集のご上梓、おめでとうございます。 仙台の青葉はきっと美しいことでしょう。 ますますのご健吟をお祈り申しあげます。 蕨餅食うて市井の隅に生き 句集の掉尾におかれた一句である。 午後にお客さまが見えられた。 はじめての句集を上梓されたいという方である。 岡部隆志さん。 岡部さんは、現在大学で教鞭をとっておられる。 いただいた「略歴」には、「日本古代文学、近現代文学、民俗学を専門とするが、1997年から中国雲南省の招集民俗文化調査に赴く。他に現代短歌評論も手がける」とあり、かなりの著書をお持ちである。主に文学論、短歌論などを中心に「中国雲南省」に関わる書物もある。 俳句はまったくお一人で作って来られたということ。 すでに、本のイメージや組方なども決められていて、担当の文己さんにその旨をきっちり伝えておられた。 岡部隆志さん。 調布市入間町という仙川のすぐおとなりの町に住んでおられる。 「ふらんす堂をどうしてお知りになったのですか?」と伺うと、 「もと同僚だった西山春文さんを知ってるんです。彼から句集『銀』を送ってもらって、この出版社はどこだろうと思ったら、すぐ近くだったので」と。 「まあ、そうなんですか。それではご近所のよしみで、良きご本にさせていただきます」 とわたしはお答えしたのだった。
by fragie777
| 2018-05-17 19:49
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||