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5月16日(水) 旧暦4月2日
矢川緑地の湿原に咲いていた狐のぼたん。 別名コンペイトウグサとも呼ばれるという。 今日は真夏の暑さとなった。 と言っても、わたしが外に出たのはお昼を買いにほんの10数分ほどのこと。 お昼はクイーンズ伊勢丹のパンコーナーで、パストラミビーフ&ポテトサラダの小さなサンドイッチとベーコンとオニオンのキッシュでしめて583円、それと家から持ってきた大地の会で購入した有機野菜のジュース。 ここんとこ体重がいい感じで減っていてちょっと気をよくしているyamaokaである。 ここで油断してはならぬ。のだ。 いまちょっと悩ましいのは、頂き物のおいしいシラスがあること。それを炊きたてのご飯にたんまりのせてその上に青紫蘇の千切りをかけ焼きのりで巻いて食べるの、それはもう最高の美味さである。 一口食べるたびにわたしは、「うま~い!」と叫ぶ。 シラスが甘いのだ。 ついご飯をたべすぎちゃうのよ。 ここんとこ、その欲望との闘いである。 今日は午前中と午後にお客さまがお見えになった。 午前中にご来社くださったのは、東久留米市にお住まいの松本裕子さん。 詩の原稿をもってのご来社である。 松本裕子さんは、もの心ついた時から言葉が好きで、詩を書きはじめていたということである。 かつて福武書店が文芸に力をいれていたときに、文芸雑誌「海燕」で何回かにわたり詩の作品が取り上げられ掲載された経験をもつ方である。 その時松本さんは、まだ高校生だったということ。 今回はいままで書きためた作品を編集してはじめての詩集を上梓すべくご相談に見えられたのだった。 松本裕子さん。 お電話でお話していた時に、東久留米市にお住まいと聞いて、「ああ、九州ではふらんす堂にいらっしゃるのはご無理ですねえ」と申しあげたところ、「いえいえ、東久留米市は、東京ですよ。よく久留米市と間違えられるんですけど」と、おっしゃってご来社下さったのだった。 「ずっと詩を書きつづけてきて、どうしようかなあと思いながらようやく詩集にすることを思い立ちました」と松本裕子さん。 ふらんす堂を選ばれて理由は、「ホームページを見ると、本づくりに力を注いでいることが伝わってきたので。わたしも本づくりにとても興味があります」と。 お姉さまがグラフィックデザインをされるということで、今回の詩集にもお姉さまもの作品をお入れになりたいということだった。 詩集のおおよそのイメージはおありで、判型と造本はすでに決めておられたのだった。 いろいろな本の見本をご覧になりながら、担当の文己さんとじっくりと相談をして 「ああ、今日はとても楽しかったです。」と言ってお帰りになられたのだった。 午後は、俳人の佐怒賀正美さん。 佐怒賀さんは、俳誌「秋」の主宰者である。 第7句集のご相談に見えられたのだった。 おおよその原稿は整っておられて、「あと少しつめたい」ということ。 句集名は、「無二」。 クータバインディング製本をお選びなられた。 20代の前半で詩人・三好達治に興味を持ったがきっかけで、三好達治の研究者でもあった俳人の石原八束に出会う。石原八束に師事した年月はおよそ20年になるという。 石原八束という俳人はわたしにとってなつかしい方である。 石原八束さんとはかつて勤めていた出版社の編集者時代にいろいろと原稿をいただいた。 一番印象的だったのは、「俳句とエッセイ」という総合誌で「西脇順三郎」について特集のようなものをやったときに、西脇順三郎の研究者であった鍵谷幸信と石原八束の対談をやったことである。この時は鍵谷幸信氏の熱意にひっぱられて石原氏をその場に呼び出した、そんな対談であったかもしれない。俳人からみた「西脇順三郎」ということだったか。 佐怒賀正美さん。 「いい色に日灼けしておられますね」と申しあげたところ、 「実は先日マブソン青眼さんが住む長野の上田市に行ってきたんです。その日、すごく暑い日ですっかり日灼けしてしまいました。」 「マブソンさんが、力をつくされた「昭和俳句弾圧の記念碑の会」による「檻の俳句館」に是非に行ってみたかったんです。「俳句弾圧不忘の碑」は金子兜太さん揮毫によるもので、兜太さんの最後の揮毫となるものですね」 「マブソンさんは、わたしたち日本人がやらなくてはいけないことをされたんですよね。すばらしいと思います」と佐怒賀正美さん。
by fragie777
| 2018-05-16 19:56
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