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5月15日(火) 竹笋生(たけのこしょうず) 京都葵祭
国立・矢川緑地。 藺の花(別名燈心草)。 今日は午前中と午後と出かけて、仕事場に戻ったのは夕方となってしまった。 午前中は、俳人の高橋悦男氏にお目にかかる。 いますすめている句集の赤字ゲラをいただくために、下高井戸までおもむく。 下高井戸は高橋悦男氏が学生の頃より住んでおられた街ということで、お目にかかると懐かしさもあってか、学生時代のたいへん面白い思い出話を聞かせてくださる。 そこからさらに、伊豆の下田出身の氏は、幼少から高校までを戦時下の下田で過ごされたのだが、色あせぬ記憶をたどって語られる少年時代の話は今の日本ではおよそ考えられないようなことばかり。 すこし時代はさかのぼるが、まるで井上靖の「しろばんば」のような牧歌的な大らかな世界だ。 ゲラを受け取って、急いで昼をすまして、今度は国立に向かう。 鍵和田秞子氏にお目にかかるためだ。 3年ほどかけて「鍵和田秞子俳句集成」を刊行されるご予定があり、ふらんす堂でお手伝いをさせていただくことになった。 そのまず最初の打ち合わせを、国立駅のすぐそばのマンションの一室で行う。 このマンションの部屋は鍵和田秞子氏の仕事場である。 「鍵和田秞子俳句集成」については一切の窓口となって、中心的に関わってくださるのが、同人の遠藤由樹子さんである。 今日は鍵和田秞子氏と遠藤由樹子さんにお目にかかって、今後のおおよその予定と判型、造本などを決めていただいた。 鍵和田先生は、とてもお元気のご様子で明るく気さくにいろいろとお話下さったのである。 おふたりの写真をと思いながら、打ち合わせが終わった後、ホッとしてしまったためか、写真を撮らせていただくことをすっかりと忘れてしまい、気づいたときには既に帰りの電車に乗っていた時だった。 「俳句集成」や全句集は、力仕事になる。 たっぷりの時間を頂ければ、たいへん有難い。 すこしづつ、すすめてゆくつもりである。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装。 230頁。 著者のなかでみちこさんは、昭和8年(1933)石川県生まれ、東京都世田谷区在住。昭和58年(1983)に俳誌「鶴」に入会し、平成元年(1989)「鶴」同人、石塚友二、星野麦丘人、鈴木しげをに師事。本句集は昭和58年(1983)から平成29年(2017)までの34年間の作品を収録した第1句集である。序文を鈴木しげを主宰が寄せている。 この句集『手鑑』の著者なかでみちこさんとは毎月の「鶴」の東京例会、渋谷冬蝶会、世田谷句会と句座を共にしている。著者の俳句との出会いは昭和五十八年にさかのぼる。以来現在に至る三十五年の歳月を「鶴」一筋に励んで来られた。石田波郷のいう「鶴でやると決めたら真向ひた押しに鶴でやりたまへ」をまさに実践している作者である。 著者が「鶴」に投じた昭和五十八年は石田波郷は既に亡く、後を継いだ石塚友二主宰の晩年ということになる。短い間ながら冬蝶会の句座に直接来て指導してくださっていた友二先生に接し得たことはかけがえのない時間であったろう。そしてその後、星野麥丘人主宰によってなかでみちこの俳句は花開くことになる。 鈴木しげを主宰の序文を紹介した。 まさに「鶴ひとすじにやってきた」著者である。 著者は今で言うところのキャリアウーマンの走りではないかと思う。お父上が亡くなったとき「自立しなければ」とブティックをはじめられ、長い間にわたってそのお店を営んでこられたようである。 珈琲の愉しき刻や小鳥来る モード誌の膝に重たき夜寒かな 八ッ手咲き今年の仕入れ終りけり 短日やマネキンに着す赤い服 商ひの二十三年葛湯吹く 今ここに挙げた句を読むと一人の働く女性の生きる姿が見えてきて俳句のもつ力強さや奥深さを改めて感じるのである。 珈琲の愉しき刻も膝に重たいモード誌もブティックを生業として明日のために懸命であるからこそ生まれた諸句なのである。この句集の一特長を示すものといっていいのではないか。 寒ざらひ墨たつぷりと磨りにけり 貫之の歌そらんじる吉書かな 紙ばかり買うてゐるなり養花天 手鑑の紀貫之を筆はじめ 重陽の紙屋に紙を選びけり みちこさんは俳句と同じ重さで書道に力を注いでいる。かな文字であろうか紀貫之となれば「古今集」の撰者。書家としても名高い。みちこさんの貫之の筆跡を臨書する姿勢が清々しい。ぼくは句集名を「手鑑」がいいのではないかと著者に呈示した次第。とくに紀貫之にこだわるものではない。俳句という文芸は先師の精神を受け継ぐものと思う故にぼくは「手鑑」がなかでみちこの俳句に適うと思ったのである。 序文を抜粋して紹介した。 ブティック経営をなさりながら俳句をつくり、書道を学ぶ。 充実した人生であると思う。 本句集の担当は文己さん。 文己さんの好きな句を紹介したい。 啓蟄の鼠ころころ走りけり 豆柿や朝を歩いて坂の町ほうたるを見に行く電車混みにけり コスモスは頷く花や人寄せて 一日に佳きことひとつ髪洗ふ 衣被酒は手酌と決めてをり 紙ばかり買うてゐるなり養花天 この句が一番好きであるということ。鬼灯を鳴らしたことはわたしもかつて少女時代にあるが、大人になってからはやったことがない。鳴らしたことのある人はわかると思うけど、下唇をすこし前に突きだして鬼灯を軽くのせ、上の歯で下唇にのせた鬼灯をしごくようにゆっくりとやさしく押すと、ヴーってなる。その時顔が前にしぼんだようになり誰でもやや不細工になる。少女時代はそんなことはおかまいなしに得意そうになって友だち同士で鳴らしあったけれど、大人になってからはどうしたって自意識というものが芽生えて、その顔を意識することになる。「あら、わたし鳴らせるわよ」なんて言って、鳴らそうと顔をゆがめたとき、周囲の人間の目が自分の顔に集中することになって、(あらヤバイ)なんてふっと思ったそのことを一句にしたのだ。ってわたしの説明長くない?この一句、そんな心情などどこにも詠んでいないが、その人間の心理を十全に語っている。やはり、俳句は端的である。 本句集は、「鶴」でみっちり学んで来られた人らしく、けり、かなの切れ字が効果的である俳句が多いと思った。 百日紅古き女と云はれけり 花冷えの眉描き足して出でにけり 濁流のぶつかり合ひし木の芽かな 花種を蒔いて一日籠りけり 波郷忌の京の外れを歩きけり 虞美人草われに恋の句なかりけり 天牛の外湯へ闇の深きかな 『手鑑』は、私の初めての句集です。 昭和五十八年から平成二十九年迄の三十四年間の「鶴」掲載作品を集約しました。私の半生の記録です。 俳句を始めましたのは、父が逝き、自立しなければと思い、目黒区に小さなブティックを開店したのがきっかけです。その店がなんとか軌道に乗り、気持ちも落ち着きました頃、何か趣味を持ちたくなり、試行錯誤を繰り返しておりましたが、若い頃に従兄弟に俳句を勧められたことを思い出し、俳句だったら店でも出来るのではと、始めました。勧められる儘に「鶴」誌を読み、中目黒にありました「冬蝶会」へ。そこで石塚友二先生のご指導を受けました。当時は和室で、友二先生に膝詰の教えを仰ぐことが出来ました。貴重な時間でした。 友二先生ご逝去のあと、星野麥丘人先生には長期に亘り御指導いただきました。各地への吟行、鍛錬会にも出席し、連衆とも触れ合い、俳句の楽しさも知りました。現在は、鈴木しげを先生の下で俳句に励んでおります。伝統ある「鶴」俳句会で、お三人の師の教えを受けられましたことは、この上もなき幸せでした。『手鑑』は、周りの方の後押しもありまして、何時の間にか上梓する運びとなりました。後押しをして下さいました方々に御礼を申し上げます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 句集名の「手鑑」は序文にもあるように〈手鑑の紀貫之を筆はじめ〉による。「手鑑」とは、お手本のこと。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 ご本人のご希望は、どちらかというとやや古風に、そして紫を基調としてということであった。 赤紫をベースにした明るめの華やかなな一冊である。 用紙は和紙風のもの。 タイトルは金箔押し。 クロスも落ち着いた赤紫。 見返しは淡い紫に白の斑が飛んだもの。 扉。 花布は金色、栞紐は白。 帯の紫がなんとも深い色である。 華やぎと格調のある一冊となった。 春めけりカナリアに遣るカスティーラ カステラを詠んだ句はたくさんあるが、この「カスティーラ」が印象をあたらしくする。エキゾティシズムの香りがする。カ行とラ行が響き合って、春のまったりとした長閑さを感じさせて好きな一句である。 青空に通草の裂けてゐたりけり この句もけり止めの句であるが、シンプルでいい句だと思う。多くを語らないこういうシンプルな句の力強さは、やはりけり、かな、の切れ字を信頼する韻文精神が生み出すものなのではないだろうか。 すっかり遅くなってしまった。 これからメールをチェックして、返事を書いて、それから帰る予定。
by fragie777
| 2018-05-15 21:11
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