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5月1日(火) 旧暦3月16日
えごの花が咲くのと同時に、わが家の庭にはあおはだの木の花がさく。 これもまた山の木であり、花はたいへん地味である。 目を凝らしてみないとほぼ気がつかない。 このあおはだの木は、玄関のドアーの前に植えられてあり(株立ちで)、わたしのことをよく知っている「お母さん」のような木である。 日々のわたしをいつも見守っていてくれる、そんな木だ。 木はやや灰白に青みがかっていて、独特である。木の感じがわたしは好き。 濡れたようにみえる小さな細かい花。 今はまさにみどり色にわが家がおおわれる季節だ。 この木の向こうに山法師が一本あって、白の十字の花が夢見るように咲き始めている。 紹介したい新聞記事などもあるのだが、今日は新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装グラシン巻き。 204頁 著者の塙義子(はなわ・よしこ)さんは、大正9年(1920)の東京生まれ、現在は東京・世田谷区在住。昭和29年(1954)に「萬緑」に初投句、その後はやや中断され昭和46年(1971)に再開し、昭和53年萬緑新人賞を受賞されている。昭和54年「萬緑」同人、昭和56年萬緑賞を中村草田男の選によって受賞されている。句集はご主人の塙毅比古氏との共著による『鴛鴦双進』と『続鴛鴦双進』の二冊があるが、個人句集は今回の『実南天』が初めてである。平成4年から29年までの作品を自選して収録。 父母になき余生賜り実南天 の一句よりの句集名である。 大正生まれの塙義子さんは、ことし98歳となられる。まことにめでたいことであるが、句集を拝読していくと長生きをするということは多くの知人友人また家族に先立たれるということでもあり、長生きの時間はあながち幸せな時間のみではないことがわかる。いや、淋しさを積み重ねていくことなのかもしれにない。長く生きるということは親しい人との別れに耐えることなのだ。 遺影日々やさしくなるかに四温光 尽くせし人尽くされて逝く梅真白 春深し大正人の減るばかり 天国で歩みてをらん春の雲 (車椅子なりし次姉逝く) あと数日の白寿の柩寒の蘭 (長姉逝く) 秋冷の再会それが永別に (悼 成田千空氏) 白芙蓉倶に句と老い語りしに (悼 中村明子氏) 塙義子さんは、世田谷のふらんす堂のある仙川からそう遠くないところにお住まいであるので、本句集の制作にあたっては、担当の文己さんが二度ほどお宅をたずねて打ち合わせをした。いつもそばにはお嬢さんがいらしてあれこれと肌理細やかに対応していただいた。 句集を刊行されるにあたってはその「あとがき」に詳しく書かれておられるので、すこし紹介したい。 この句集は私の第三句集であるが『鴛鴦双進』『続鴛鴦双進』は夫の毅比古との共著であったから、個人としては初めての句集である。 夫の毅比古は学生時代に中村草田男先生の句集『長子』を読んで感銘し、草田男主宰の「萬緑」に創刊号から参加したのであった。夫の影響で私も昭和二十九年に初投句をしたが、子育てに追われて長続きしなかった。子供達が成長した昭和四十五年に初めて句会に出席して先生にお目にかかって、それから毎月投句をする様になり、私も夫と同様、先生の信奉者になったのである。悲しいことに先生は昭和五十八年にお亡くなりになり、夫も平成三年に亡くなったが、私は「萬緑」へ投句をし続けていた。 この句集は平成四年から「萬緑」終刊の平成二十九年まで投句をした約二千句の中から三五九句を選んだ句集である。「萬緑」の「森の座」への投句は自選だったので、句集にするのにためらいがあったが、自分史になるからと思い切って出版することに決めた。 2000句の中から自選をされたとあるが、たいへんな作業であったと思う。 しかし、読んでいけばまさに塙義子さんの自分史となっている。 本句集の担当の文己さんの好きな句を紹介したい。 轆轤操る手元に秋陽引き寄せて 象老いて足踏みばかり入彼岸一福で足る老いの身の福詣 墓洗ふ刻字の中は指先で 語るほど老に茶目つ気ソーダ水 命あり百日紅は真つ盛り 短夜や捨つると決めし本読みて いまもなほ泳ぐ夢みて卒寿なり 懐に鯛焼二つ大正人 静謐に混み合ふ医院五日はや この句が一番好きということ。季語は「五日」である。「静かに混み合ふ」のではなくて、「静謐に混み合ふ」といったところにどこか新年の改まった粛々とした感じがうかがわれる。開院をまちわびていた人たちがきっとたくさん押し寄せてきたのだろうとおもうけれど、正月を迎えて掃除の行き届いた医院に、病者もやや端然と集っている、そんな気配にみちた医院の風景だ。 墓洗ふ刻字の中は指先で 「墓洗ふ」が季語。「刻字」とは暮石に彫られた文字である。それを指先でゴシゴシと洗っているというのだ。ふつうそこまでするか。ってバチアタリなわたしなどは思ってしまうが、塙さんはきっと愛情をこめて指先で洗っておられるのだろう。墓を洗うその状況がリアルに見えてくる一句である。 夫が亡くなってから四半世紀が過ぎて、その間に成田千空氏をはじめ沢山の句友が亡くなられ、多くの友人や姉妹も逝ってしまって淋しくなった。その間私自身は難病(膠原病)のお薬を飲み続け乍ら、全身麻酔の手術を三回も受けたり、五十年近く住み馴れた住居の建替の為に仮り住いと引越の経験もした。又夫の転勤で暮した土地(佐賀関・対馬・山形・安中)を子供達と訪ねることが出来たのは、幸せでもあり作句の助けにもなった。 百歳近くなって句集を上梓するのはとても無理だと思ったが、句友の方々、特に中村弘氏のお励ましやご助言と、娘の協力によって上梓出来たのは大きな喜びである。それも草田男先生から俳句を学ばせて頂き、「萬緑」に長い間お世話になったからだと、先生をはじめ多くの方々のご恩を思って感謝の念でいっぱいになり心より御礼申し上げたい。 「萬緑」は終刊になったけれど、少人数の句会を楽しみ乍ら、残り少ない余生であるが、作句を続けて過したいと思う。 句集名の『実南天』は「父母になき余生賜り実南天」から選んだ。父母共に老いを知らずに逝ったので、私がこの歳まで長生き出来たのであろうか。父母からの贈り物と思い父母にも感謝したい。 この句集を、私を俳句の道へと導き共に歩んだ亡き夫毅比古に捧げる。 ご病気もいろいろとされた塙義子さんであるが、いまはお元気なご様子である。本句集の上梓を機にさらなるご健吟をお祈り申しあげたい。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 実南天の赤を生かした一冊となった。 華やかな色合いであるが、グラシン(薄紙)で覆っているのでとても上品である。 カバ-をとった表紙。 見返しは実南天の朱色。表面に白の華をちらして和紙風なおもむき。 扉。 緑と赤という補色を用いたが、すっきりと品格のある一冊となった。 塙義子さんはとても喜んで下さった。 ほかに、 ががんぼのひとり遊びや吾もひとり 十二月八日や釦かけ違ふ 熱帯魚の静かな浮沈手術待ち 芍薬の一本で足る仮住居 耳うちの後のはにかみさくらんぼ 捨てきれぬものみほとりに寒ゆるぶ 「舶来よ」と言へば笑はる文化の日 存へてなほ生かされて雛の日 懐に鯛焼二つ大正人 文己さんもあげていたが、わたしも好きな一句である。 大正生まれの塙義子さん。鯛焼きの温もりはまた格別であったにちがいない。 しみじみとあったかい一句だ。 (ほんとに余談なのだけど、これが「昭和人」であったとしたら「鯛焼き」もすこし冷え冷えとしているんじゃないかって思ってしまう。なんでだろう。わたしだけかな……) 明日は新聞の記事などを紹介します。
by fragie777
| 2018-05-01 20:16
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