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4月26日(木) 旧暦3月11日
谷保に咲いていた卯の花。 夏の花である。 この季節に咲く夏の白い花はおしなべて好きである。 今日はすっかり遅くなってしまった。 今日は御茶ノ水の湯島ガーデンパレスにて、俳誌「森の座」(横澤放川代表)の一周年のお祝いの会があり、今戻ったところである。 来賓の俳句を中心に語りあうという、工夫を凝らした良い会であった。 この会のことは明日のブログで改めて紹介しようと思う。 よし、 書けた。 今日はこれでブログはおしまいだぜー とEnterキーを景気よく押そうとおもったところ、 いやいや、 もう一つ記事の紹介があった。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、小倉京佳句集『水のかたち』よりの紹介である。 げんげ田に囲まれトタン屋根二軒 小倉京佳 ゲンゲ(紫雲英)はレンゲとも言う。奈良県斑鳩町の法隆寺の見える田んぼに「れんげ小屋」がある。俳人の西谷剛周が自分の農作業の小屋にこの看板をかけている。先日、その小屋であった私たちの句会は盛り上った。ゲンゲ田に転がって句を詠み、窯にまきをくべてピザを焼いたのだ。今日の句は「水のかたち」(ふらんす堂) ゲンゲが咲いている草原があったりすると、そこに寝転がったりして青空を楽しんだり草の匂いをかいだり、土の温かさを感じたり、そういうことを楽しむことができる人とそうでない人がいると思う。 実は、わたしは後者。 草にじかに坐ったりするのって大の苦手。 秩父という田舎の子なんだけど、少女時代は外で遊ぶというより家のなかでそこでは寝転がって、もっぱら本などを読んでいた根暗の人間だったせいか、どうも土とか草に対して素直になれないのだ。 おかしいよね。 だから今でもちょっとそういうことに屈折している。 大勢の人たちと野遊びをしたりするときは、そういう思いをできるだけ出さないように、そりゃ、これでも〇十年という長い歳月を生きてきた大人だからさ、周りの人たちに和することはおおむねできるけど、わたしのなかの少女のわたしが、すこしだけ嫌がっているのである。 こういうことって歳月は消化してくれるかっていうと決してそんなことはなくて、あるいはある年月をへてよりふっとその違和感があらためて認識される、最近そんな風に思う。 開高健だったかしらん、人の一生は25歳までの経験と思考がその人間を決定するみたいなことを言っていて、なるほどなあって思ったことがあるのだけど、すごく分かる。 ランドセルをほっぱり出して外に飛び出してゆくような溌剌とした子どもだったら、いまのわたしは、もっと違う味の人間になっていたような気がする。 まっ、 こんなこと言ったってはじまらないけど。。。。 じゃ、 今日のブログをアップしまーす。。。
by fragie777
| 2018-04-26 22:30
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