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4月25日(火) 霜止出苗(しもやんでなえいずる) 旧暦3月10日
かつて友人がこの葉を一枚ちぎってスラスラと文字を書いてみせてくれたことがある。 葉の裏面に傷をつけるとその部分のみが黒く変色し、長期にわたって残るため、字を書いておくことができる。ここから、ジカキシバ、又はエカキシバともいわれる。戦国時代にこの葉の裏に文字を書いて情報のやりとりをした[要出典]という話もあり、これがはがき(「葉書」)の語源になったといわれ[要出典]、葉書の木、郵便局の木と呼ばれることもある。(ウィキペディアに拠る。) 昨今、メールがわたしたちの日常に浸透し、便利なので手紙や葉書を出すこと回数がぐんと減った。 それでも、わたしはできるだけ葉書や手紙を出すように心掛けている。 メールのようにすぐに相手に届かず、まる一日以上はかかるわけだが、その相手にとどくまでの時間を思うことによって自分の書いた文字がこの地球上の一点から一点にむかってゆるやかに通過しているのだというそういう感触が好きである。 手紙や葉書を書き終えてさっと読み直したりして、これがいつごろどんな風に相手の人のところにとどくのか、そんなことを想像するのも楽しい。 わたしは粗忽者であるので、一枚の葉書を出すのでも間違えたりしてダメにしてしまい、もう一度書き直すなんてことも少なくない。 絵はがきを用意しておいてそれを相手の人のことを思いながら選ぶ。それもまた楽しいし、本当はそういう時間が一番好きかもしれない。 今日もさきほど葉書を一枚書きあげた。(失敗しないように結構緊張するのである。インクをこすってしまわぬようティッシュでふきとり、集中しながら一枚の葉書を書く。一通のメールをおくるよりも5倍くらい集中力が必要かもしれない) 今日書いた一枚の葉書が無事に届きますように。。。 新刊紹介をしたい。 四六判変型上製本。388頁 ふらんす堂のホームページの毎日更新サイトで2016年に「俳句日記」連載したものを一冊にまとめたもの。著者の稲畑廣太郎(いなはた・こうたろう)氏は、俳誌「ホトトギス」の主宰である。忙しい日々の時間をやりくりして取り組んでくださった。 今日の日付のものをさっそく紹介したい。 四月二十五日(月) 時々、知らない間に軒下等に蜂が巣を作って、びっくりぽんなことがある。去年の今頃、自宅でも蜂の巣を見付けて、駆除をした。蜂にとって 都会は住み易くなってきたのだろうか。 蜂の巣を見付けしことも月曜日 タイトルの「閏」は、2016年が閏年だったことによる。そして稲畑廣太郎氏には、じつは平成12年(2000年)にやはりこのホームページの連載サイトで「虚子の一句」をお願いしていたのであり、ちょうどその年も閏年だったのである。この「虚子の一句」は、その後、『曽祖父(ひじいさん) 虚子の一句』という書名となって刊行された。かなりの長文を日々かいていただいたのであるが、たいへん熱心に取り組んでくださったのだった。 話は平成十二年まで遡るが、ふらんす堂のホームページで一年間、「虚子の一句」と言う虚子がその日に詠んだ句を毎日鑑賞する連載を担当し、その後『曽祖父(ひいじいさん) 虚子の一句』と言うタイトルで単行本にして頂いた。私の記憶ではこの時がふらんす堂とのお付き合いの始まりであったように思う。(略)そして平成二十八年「俳句日記」と言う同社のホームページで、一年間今度は私の俳句と、日記形式の短文を毎日アップすると言う連載をさせて頂いた。それを一冊に纏めたのが本書である。「虚子の一句」の時は毎日結構長文であったが、今回はほんの数行で、しかも自分の句であることから、比較的楽しんで毎日書けた。一冊にするにあたり、同じような発想の句や、文章のフレーズもよく似ていたりするところがあるのに気付いたが、これも一興と、極力直すことはしなかった。 以上は「あとがき」から。 本著の担当はPさん。毎日原稿をいただきそれをアップするのもPさんだった。 Pさんの本著のなかでのおすすめの「日記」をひとつだけ教えてもらった。 五月二十二日 私は基本的にはペットボトルの冷たいお茶を愛飲しているが、この頃はやはり淹れた新茶が美味しいと思えるようになってきた。やはり熱いお茶は何かほっとするものである。 新茶汲み新たな気持句座にあり Pさん曰く、 「読んで頂ければ分かりますが、とにかく句会、句会。句会をたくさんなさっています。 ここまで句会をたくさんおやりになる主宰もなかなかいないのではないでしょうか。 一日に二度の句会なんていうのも毎月やっていらっしゃいます。 それに加えてホトトギスの選句、や誌面作り。超多忙のホトトギス主宰の一年が覗けます。」 では、いくつかの日記を紹介したい。 一月七日(木) 昔熱心にピアノを練習していた時代がある。当時、冬の寒い日に速いパッセージを弾くのには結構苦労した。その練習方法の一つとして、ゴム手袋をはめて弾くと、何か指が鍛えられるような気がしたもので、実行していた時代を懐かしく思い出した。 寒復習エチュードに指固まりて 五月二十三日(月) 炊き込みご飯の類では、私は豆飯が一番好きである。勿論自分で炊いたりすることも出来る。グリーンピースがスーパーに並ぶ季節になると、真っ先に豆飯を想像して、その微妙な塩加減が恋しくなるのである。 豆飯を炊いて月曜てふ騒き 16年も前に「虚子の一句」をお願いしたときの廣太郎さん(そんな風にその時は呼んでいた)と、いまの廣太郎主宰とでは、ずいぶん面構えがかわったように思える。「虚子の一句」の時は、まだぼんぼんのおっとり感があって、どこか呑気(失礼)でいらしたような感じがあったが、いまや「ホトトギス」を背負っておられる主宰だ。多くの方々に支えられながらも、やはり大任であると思う。その緊張感が良い感じで静かに漲っていてお目にかかるとシャンとした空気が廣太郎主宰からこちらに伝わってくるのだ。すごく頑張っておられると思う。 十二月三十一日(土) 今日からは芦屋の生家で正月を過ごすが、この生家へは仕事で毎月のように泊まっているので、里帰り気分と言うものは希薄である。それでも大晦日から新年になった瞬間、神戸港の汽笛が遠く聞こえるのは風情がある。 日記果つ港の汽笛遠くして もう一度「あとがき」を紹介したい。 タイトルの『閏』は、前述の「虚子の一句」の時も、そして今回の「俳句日記」も、奇しくも閏年で、三百六十六日書き続けたことによる。例年より一日多いことが、私にとっても、そして読者にとっても得した気分をもたらしてくれれば幸いである。 そうだったのか。2000年も閏年だったとは。。。。 なにか不思議なものを感じる。 本句集の装丁は和兎さん。 シリーズなので、決まったパターンがあるが。。 厚さはかなりあるが、小さめなので威圧感はない。 手になじむ大きさ。 今回は茶色。 これは、和兎さんが稲畑廣太郎という俳人のイメージで選んだ色である・ 革装のような味わい。 そして角丸。(これは製本に異常に手間ひまがかかる) 扉。 丸背が美しい。 スピンは栗梅色。 落ち着いた一冊である。 稲畑廣太郎夫人が、この一冊をご覧になって「まるで聖書みたい」と喜ばれていたということ。 稲畑夫妻は、カトリック信者であられる。 日記のなかでわたしが好きな日をひとつだけ紹介したい。 三月十四日(月) 今年のバレンタインデーは日曜日であった。色々な考えはあるが、人間関係は大切である。 春の川ホワイトデーは対岸に なんだか、クスリと笑ってしまった。。。
by fragie777
| 2018-04-25 19:42
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