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4月19日(木) 旧暦3月4日
ご近所の公園で。 この公園には近くに小学校があるせいかいろんな遊具が設置されていて子どもたちがよく遊んでいる。 いわゆるアスレチック公園である。 わたしはいつもここを素通りするのみ。 いちど誰もいないときに、遊んでみたい遊具がある。 「ねえ、アスレチック公園あるあの、綱につかまってヤッホーって言っておりるヤツ、何だっけ?」とスタッフに聞いた。 「ああ、あれですね、わたし、ターザンって呼んでました」と文己さん。 調べたところ、どうやらターザンロープって言うらしい。 そう、そのターザンロープにしがみついて、ヒエーって叫びながら降りてみたいのよ。 しかし、 誰もいないときである。 それは、 だから、 この地球上に誰もいなくなった時であるので、 その機会は永遠に来ないと思う。 さて、新刊紹介をしたい。 四六判変型カバー装 154頁 3句組 著者の鈴木節子(すずき・せつこ)氏は、俳誌「門」主宰の俳人である。本句集は、昭和57年(1982)に牧羊社より刊行された第1句集『夏のゆくへ』の新装復刻版である。鈴木節子主宰より、すでに在庫はなくお弟子さん達に読んで欲しいのでというご希望があり、この度新装版として復刻した。牧羊社の女流シリーズの一環として刊行されたもので、実はこの担当は不肖yamaokaであった。序文を能村登四郎、跋文を林翔が寄せている。お二人ともすでに故人である。鈴木節子氏は、俳人・鈴木鷹夫の奥さまである。鈴木鷹夫氏もすでに故人となられた。第1句集『夏のゆくへ』が刊行されてより30数年の歳月が流れた。多くの時間の積み重ねがある。しかし、本句集の作品やそこに寄せられた言葉は少しも古びていないことに驚かされるのである。 能村登四郎の序文より抜粋して紹介したい。 (略)節子さんの句風は一言でいうと庶民派である。東京も下町で長く生活していて、苦労も知りつくしたものと思うが、ふしぎと生活の脆さがない。むしろ天衣無縫で伸び伸びとして明るく屈託がない。「沖」のお母さん的存在というのはこのことで、母親は太陽でなくてはならない。(略) 句集をまとめたいと言って八百句ぐらいを私のもとにもって来て、四百句以内に選んでくれと言って来た。厳選したつもりだったが、いつか五百句選んでしまった。「後は自分でいいようにしなさい」といって原稿を返したが、いい句が多いことはこれによっても分る。 節子さんは開放的な人なので、心の中の喜怒哀楽、身辺の出来ごとなどすべてそのまま吐き出して決して粉飾したりしない。それでいながら境涯俳句のようにじめじめしないのは心の奥がからりとしているからであろう。 「夏のゆくへ」という題も節子さんのためになるべくフレッシュな感じのものとして私が選んだ。気に入ってくれたようで私もうれしい。この上はこの句集が節子さんの人柄のように多くの人に愛されることを願うのみである。 担当当初は不思議に思わなかったのだが、能村先生の序文、本文より一句も抜いていない。つまり俳句は紹介されていないのである。今は、たくさんの句を引用しながらそれを一句一句鑑賞する、という懇切丁寧な序文がほとんどであるので、かえって新鮮である。なにごとにも美意識と独自のスタイルを持っていた能村登四郎先生らしい、と改めて思った次第。 一方林翔先生の跋文は、たくさんの句を引用しながらのもの。(能村先生は、林先生の跋文を念頭におかれあえて句を引用することを避けたのかもしれない)。すこし紹介したい。 薪束の胴締め寒のにはかなり 開巻劈頭の句。十年前に「沖作品」で見た筈の句であるが、いきなり眼を搏った印象の強烈さに、先ずこの句から節子俳句を語ってゆきたくなった。 先ず薪の束が見えてくる。次に荒縄でその胴をぐっと締めている人の動作が見えてくる。再び薪束、寒気に切口が白く光って見える。再び人物、力いっぱい薪束を締める指先が紅くふくらみ、口からは荒い白息が洩れている。人物を作者自身とすると、この景は一層生きてくる。 見えてくる俳句には力がある。頭の上つらで感心させるのではなく、読者の心臓に響いてくる力である。 これは著者が初めて沖作品の四句欄に進出した時の句。やがて著者は巻頭作家となり、同人に推され、虚実の間に心象をたゆたわせる沖風俳句の選手となるのだが、俳句とは頭でこしらえるものと最初から思い込んだ人との間に大きな差があるのは、即物詠の手法を十分身につけてから、沖の新しい句風に順応していったためであろう。(略) 「新しみは俳諧の花也」と芭蕉は言ったが、これは古今を通じての真理であろう。発想の新しさが俳句のいのちであるとも言える。この点において著者は天賦の才に恵まれていると言ってよい。ごく自然に、全く手垢のつかない発想が新珠の輝きをもって生まれてくるのである。新しい発想の句をここに挙げるとすれば、何十句も書き並べなければならない。限られた枚数でそうすることもできないので、大部分は文字通り「割愛」して、ほんの一部を取上げることにする。 ハンカチを四角にたたみ水を恋ふ からす瓜命終の色出しつくす りんご剥く話の頁繰るやうに 花桃にみたされて身の紐解けむ 帯を解く音ともちがふ朴散華 山里は息足すやうに晩稲刈る おぼろ夜の夫を経てくる生欠伸 蝸牛は昨日の空の忘れもの 村が飼ふごとき浮雲桃熟るる 陣痛の昔が浮いてゐる西日 大地図の海に手を置き暑の戻る 紙の音して老人座る雁来紅 伐折羅の息を浴びたる神の留守 最近の節子さんは、ひところほど句会で高点を取らない。一つの曲り角に来ているように思われる。そういう時に句集を出すことになったのは、著者にとっての幸運ではないかと思う。句集上梓は、心を新たにして一歩を踏み出す絶好の機会である。鈴木鷹夫氏という優れた俳人を夫として助言者として持つ著者が、処女句集出版を機に、第二の大きな飛躍をされんことを切望して、筆を擱く。 著者をよく見つめた跋文である。人と人との関係がいまよりもう少しゆったりしていたのではないか、そんなことをこの序と跋を読んだだけでも感じられる。 帯を解く音ともちがふ朴散華 紙の音して老人座る雁来紅 この二句、どちらも聴覚をはたらかせた句である。聞こえてきた音を著者の感性の独自さで一句に仕立てた。わたしも面白いと思った。とくに「紙の音」という表現、季語の「雁来紅」は葉鶏頭の別名で秋の季語。深紅になったときより雁来紅と呼ばれるとのこと。庭などに植えられて地味であるがわたしたちの日常に親しい植物だ。大地が澄みきった秋なればこそ、音も研ぎ澄まされてわたしたちの耳に届く。老人がたてたかそけき音を紙の音と感じた一瞬、視覚は真っ赤な雁来紅をとらえた。澄みわたったその気のなかで老人は清雅でさえある。 仕事を持つ現役の主婦から搾り取ったエキスがこの句集である。多忙の中のわずかな隙から得た俳句によってまた明日への活力が湧いてくる。このようにして産み続けた作品を以って今ここに女流シリーズに加えて頂いたことは有難いことである。 この句集を編むについては、初期の作品は総て除き、「沖」誌上に発表したものから更に主宰に選んで頂いたものだけでまとめたが、まだまだ深みの足りなさを痛感している。 初版の「あとがき」を抜粋して紹介した。 この『夏のゆくへ』は私の第一句集の復刻新装版である。昭和五十七年当時、能村登四郎先生より牧羊社の「女流シリーズ」への参加をおすすめ頂いた。そこにはすでによく存じあげている女流俳人の参加メンバーが記されており、私は喜んで加えて頂いた。当時五十歳だった私は、家業の多忙のなか編集作業をして出版にこぎつけたのだった。その『夏のゆくへ』は幸せなことにあっという間になくなって三十数年を経た今は手元に一冊のみとなった。「門」の仲間は、ほとんど知らない句集である。読みたいとの声に、復刻を思い立った。(略) 改めて復刻版として読むことができ懐かしい思いがすると同時に初心に出会う喜びがある。第五句集へむけて頑張りたいと思う。 こちらは復刻版の「あとがき」。 新装版として刊行された本書を手にして、鈴木節子氏はあらためてご自身に出会われたのではないだろうか。 そして本句集が、「門」の誌友のみならず、新しい読者を獲得していくことを心から願っている。 新装版の装丁は、君嶋真理子さん。 装画の一部にパール箔を使用。 若々しいデザインである。 カバーをとったところ。 表紙。 見返しと扉。 この見返しの用紙は、模様は透かし模様が入っていて色といい、風合いといい、わたしの好きな用紙である。 本文は3句組。 新書版の大きさで、シンプルにしてすっきりとモダンに仕上がった。 左にあるのが初版のもの。 シリーズだったので、すべて同じ装丁。 参加者の俳人の方々。 この女流シリーズに参加されていた主なる方々を紹介すると、 伊丹公子、加藤三七子、神尾久美子、関戸靖子、三好潤子、鷲谷七菜子などの既に亡くなった俳人の方々、 伊藤敬子、鍵和田秞子、黒田杏子、西村和子などまさに今俳壇で活躍されている方々、 多彩な顔ぶれのシリーズだった。 わたしには懐かしいシリーズである。 以下句集より、 立ちくらみしてシクラメン濃さを増す 水が水くぐるこゑして桃ひらく ほねつぎに人がはみ出す日雷 粥を煮る白き時間のなかの梅 寒流のごと男来て鍬つかふ シクラメン拍手が急に欲しくなり ははきぎや母よりも父淡かりし 30数年前に刊行された句集のなかに収められた作品である。 人は古くなっても、俳句は古くならない、ということを改めて思わされた。 (このシリーズを担当した時、わたし俄然若かったわよっ) いま肉体はまごうことなく順当に↷↷↷である。 今日はお二人の方がご来社くださった。 志摩角美(しま・かくみ)さんとご子息の志摩哲生さんである。 志摩角美さんは、大正7年(1918)のお生まれ、今年100歳になられる。 「ホトトギス」同人、「桑海」同人、深見けん二氏のご指導の句会でも俳句を学ばれている。 俳歴はたいへん長い。 この度、第1句集を刊行すべく、句稿をもってご子息と一緒に来社されたのである。 ご子息の哲生さんが、お父さまが投句をされた「ホトトギス」の作品を昭和57年(1982)よりコピーしてすべてパソコンに打ち込み、それを角美さんが選句をされたのである。 100歳の角美さんであるが、お一人住まい、ご自身ですべてのことをなさっている。 一週間に一度、哲生さんがお父さまのところをたずね、俳句を打ち込み、その後一緒に昼食を外食する。 そうやってこの度の句稿は出来上がったのである。 今日は、本の造本などあれこれとご相談されたのだった。 志摩角美さん(右)とご子息の哲生さん。 ご病気ひとつないという角美さんであるが、やはりお歳は100歳である。 たよりになる哲生さんがおられてなんとも嬉しそうな志摩角美さんであられた。 哲生さんの運転する車で帰っていかれたのだった。
by fragie777
| 2018-04-19 20:56
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