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4月18日(火) 旧暦3月3日
鮮やかに咲くつつじ。 これもご近所である。 わたしの家にも大村つつじがあるのだが、日当たりがいまいちなので一部分しか咲かない。 これはすばらしい咲きッぷりである。 さて、いま発売の「週刊新潮」(4月19日号)であるが、嵐山光三郎さんによる「句歌歳時記」には、後藤比奈夫句集『白寿』より一句が取り上げられている。(比菜夫先生に教えていただいた) 白寿まで来て未だ鳴く亀に会はず 後藤比奈夫 「亀鳴く」は春の季語で、藤原為家の和歌「春の夕べに亀が鳴いている」からの連想。雌を慕って雄が鳴くというが、実際に亀が鳴くことはない。比奈夫氏は後藤夜半の息子で、句作をはじめたのは三十五歳で、夜半は五十七歳だった。『白寿』は比奈夫の第十四句集で、2017年「第32回詩歌文学館賞・俳句部門」を受賞。後藤夜半一家の典雅なる俳風にゆるぎはない。比奈夫氏の長寿に乾杯。句集『白寿』(平成28年・ふらんす堂) 藤原為家の和歌は、〈河越しのみちの長路の夕闇に何ぞときけば亀ぞ鳴くなる〉である。念のため。。 比奈夫先生は、その後の句集『あんこーる』でも、「亀鳴く」で一句収録されている。 亀鳴いたさうな百寿の誕生日 とうとう100歳となられて亀の声をきかれたか。。。亀の声を聞くためには100歳にならないといけないのか。。。亀までの道のりは遠い。 しかし、この句、ご本人が鳴いたのをはっきりと聞いたというのではない、あくまでも「鳴いたさうな」とであり、聞こえたような、あるいは鳴いたと人が言っていたような、と。含蓄がありすぎる。さすがに比奈夫先生、なかなか、である。やはり100歳の大人(たいじん)だ。 余談であるが、「亀鳴く」でわたしの好きな句は、やはりこれかな。。。 亀鳴くや男は無口なるべしと 田中裕明 『山信』所収だから、田中裕明10代の時の作品である。 10代の時の作品かと、改めて感慨ふかく思う。老成していたのかなあ、やはり。 「亀鳴く」という季語が、「遊び心」の所産であるとするなら、この「男は無口なるべしと」もまた、どこかおっとりとした表情をして読み手の心におさまる。わたしの知っている田中裕明さんは、人の話をじっくりと聞く人であったが、だんまり屋さんではなかった。ゆったりきっちりと話を聞き、静かではあるが明晰な返事が返ってきた。人との会話をくつろいだ心で楽しんでいる、それが伝わってくるから、こちらも楽しくなる。だからお酒もますますおいしくなる……。あはっ。 詩人の伊藤悠子さんから、いつも同人誌「左庭(さてい)」を送っていただいているのだが、今回の39号で、伊藤さんがエッセイでふらんす堂より刊行の中野正裕/写真 広瀬弓/詩『虫数奇』について触れておられる。「一月の光に」というタイトル。後半の部分を抜粋して紹介したい。 孫娘が帰ったあとは、妙に静かだ。私の住むマンションでは昨年9月から大規模修繕工事が行われていて、12月にほぼ終わり、足場が解体されメッシュの防護シートも取り払われいっぺんに明るくなった。専用庭の木々は足場組立や塗装工事のため、大きなポリ袋十数枚分に入るほど始末してしまったため、遮る枝々がなく日が差す。 静かで明るい午後、放心したまま、その朝詩人の広瀬弓さんから届いた包みを開けた。あざやかな緑色の虫とピンクの花が現れた。写真詩集『虫数奇』(ふらんす堂)。写真は中野正裕、詩は広瀬弓とある。本を開くと、蝶や昆虫が「こんにちは」「ほらね」と呼びかけてきた。 ミヤマモンキチョウという蝶は白い翅の縁が美しい赤で、その蝶が赤い縁を持つ白っぽい葉先に止まっている。イナゴがまっすぐな茎にまっすぐに一心に止まっている。生きる姿を思わせる。ラベンダーか、一面の紫の花の只中を飛ぶメスグロヒョウモンという蝶。どの写真からも昆虫を見つめる眼差しのあたたかさが伝わってくる。昆虫に慕われていらしたのだろう。索引の上の写真は、「靴に乗るベニヒカゲ」で二匹の蝶が中野正裕さんの靴に止まっている。雌雄だろうか。こんな楽しいひとときがあるのだ。 広瀬弓さんの詩を一篇引用する。(題は記されていない) 日常は窓ガラスの向うで かけがえいのない娘のように微笑んで 健やかだったからだとこころを ひそかに思い起させた それでは、わたしも小さな虫の写真を。(中野正裕氏のようにはいかないけど) 天道虫の仲間かな。 天道虫ってすごい種類があって調べたけど、わからなかった。。。
by fragie777
| 2018-04-18 19:16
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