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4月6日(金) 玄鳥至(つばめきたる) 旧暦2月21日
上野動物園のハシビロコウの「シュシュ・ルタンガ♂」が3月1日に死んだ。 死因は動脈硬化と感染症による心不全によるものらしい。 ハシビロコウは好きな鳥で、かつてはこの鳥を見るためだけに上野動物園に行ったものである。 シュシュ・ルタンガは野生由来の個体です。上野動物園のメスたちと同居を試みてきましたが、繁殖にはいたりませんでした。他の個体にくらべて人に慣れない性格で、とくに女性に向かってくることもある気の強い一面もありました。 上野動物園のハシビロコウはシュシュ・ルタンガの死亡後、オス1羽、メス3羽となりました。 上野動物園ニュースで知った。 多分、いちばんやんちゃな鳥で檻を脱走し、ときどき隣のフラミンゴの柵のなかに入っていたこともある鳥ではないかと思う。 このニュースに触れなかったら、ハシビロコウの死は知らないままだっただろう。 ふっと、次の一句を思い出したのだった。 日盛や動物園は死を見せず 高柳克弘 新刊紹介をしたい。 四六判フランス造本カバー装。 104頁。 著者の木村かつみ(きむら・かつみ)さんは、1950年東京生まれ、現在も東京北区在住の東京人である。2003年俳誌「握手」に入会し、磯貝碧蹄館に師事、2009年「握手」同人、2012年「握手」新人賞を受賞、「握手」が2012年に終刊してよりの2015年に長嶺千晶代表の「晶」に入会、同人となる。俳人協会会員。 本句集には、長嶺千晶代表が序文を、朝吹英和氏が跋文を寄せている。 まずは、木村かつみさんの「あとがき」のはじめの部分を紹介したい。 初句集『猫の椅子』は昭和から平成の時代を駆け抜けて行った愛猫たちへのオマージュを込めて句集名としました。猫が座っていた椅子が当時のままに置いてあります。きっと、そこで今も窓の外を見ているのかも知れません。 先師の磯貝碧蹄館先生が亡くなり俳句を続けてゆく自信が薄れた頃、私は薬の副作用によるジスキネジアという難病を発症しました。そんな時、数年前に長嶺千晶代表から頂いたお手紙のお言葉のなかに希望の光を見つけました。温かなお心にたくさん触れ、また頑張ってみようという気持になり、「晶」に入会し、今日に至ります。千晶代表は今も「一緒に頑張りましょう」と、力強いお声をかけて下さり、それが心の支えになっております。 本句集も千晶代表に背中を押されて実現しました。上梓に係わるすべてにおいてご面倒をおかけし、ご指導とご助言を頂きました。そして、過分なる序文まで賜りました。千晶代表に心より御礼申し上げます。 俳人・評論家の朝吹英和氏には「握手」在籍時から大変お世話になっております。励まして頂いたことも数えきれません。「いつでも応援します」と仰って下さいます。上梓にあたり、ご懇切なるご助言を頂き、素晴らしい跋文まで賜りました。心より御礼申し上げます。 一冊の句集が編まれることになった過程が書かれている。 木村かつみさんは、大切な師を失った矢先に難病を発症、その困難な日々を俳句に向き合うことで乗り越えてこられたのである。そしてまた彼女をはげます人たちの思いに支えられて。 長嶺千晶さんの序文は、木村かつみさんの心に繊細に寄り添ったあたたかな気持に溢れたものだ。 ただ何気なく普通のこととして、生きることそのものに何の苦労も覚えたことのない人間には到底気づくことのない、心とは何か、愛するとは何か、そんな人間が人間であるための一番大切な想いがこの句集には籠められている。 月光を着る恋猫へグッドナイト かつみさんが大好きな猫たちもまた、心の触れ合いを感じとることができるから、彼女を愛してやまないのだろう。かつみさんは、今までに多くの世間的な苦労を重ねてきた。だからこそ、蓮の花のように、濁世に根を張りながらも、清らかに咲くことの美しさ、大切さを知っている。この句集を紐解いて、そんなかつみさんの世界にぜひ触れて欲しいと、心から願っている。そして、いずれ句作によって健康を取り戻し、すこやかで活動的な生活が送れるようになる日が来ることを、私は祈りつづけている。 長嶺千晶代表の序文の後半の部分を紹介した。 かつて「握手」で句座をともにした朝吹英和さんは、「言葉の背景にある沈黙」と題して、宮沢賢治やマックス・ピカート、磯貝碧蹄館などの言葉をちりばめながら、かつみさんの俳句に迫ってみせる。 一行の詩ありて死なず枯野人 「命・愛・希望・未来を詠んでゆきたい」を俳句のモットーとし五官を研ぎ澄ませて集中する作者の心には常に存在に対する慈しみの愛が満ち溢れている。まことに木村かつみさんは言葉の背景に深い沈黙を持つ俳人である。 「愛のなかには言葉よりも多くの沈黙がある」(ピカート) 本句集のタイトルは「猫の椅子」。猫はかつみさんにとって特別な存在であることは言うまでもない。章立てに「猫の時間」という章をとっているほどである。そこにたくさんの猫が登場する。その一句に付されたなつかしい名前を見いだした。 藤棚の猫は絵描きの死をみつめ (画家・俳人の長岡裕一郎氏を偲び) 2008年に50代前半の若さでなくなった長岡裕一郎への一句である。ふらんす堂から遺句集『花文字館』を刊行させて頂いた。長岡さんともお知り合いだったとは。 おなじように本句集には、わたしには忘れられない俳人の方々のお名前が載っている。磯貝碧蹄館、糸大八。どちらも懐かしい方々でありわたしにはご縁の深かって方がである。そして俳人として記憶にとどむべき方々だ。 僕の愛冬にヒマワリ咲かせましよ (磯貝碧蹄館先生を想へば) 微笑童神「笛・琴・太鼓」梅ひらく (磯貝碧蹄館先生を偲ぶ会にて) オリーブの花の楽土に鳩放つ (糸大八氏を偲び) 糸大八氏は画家でもあった。その明るい画風にはたくさんのファンがいた。本句集には糸さんの作品が挿画として収録されている。 この句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句を紹介したい。 手を逃れ紙風船の空のあり 千代紙の姉さま目覚め夏来たる 草刈女母かと思ふ手のかたち 不器用な女の歴史桃沈む 僕の愛冬にヒマワリ咲かせましよ 晩夏光白い貝殻だけ拾ふ 赤まんま風吹くときの独り言 籐椅子は猫と私を置くところ 遠出して猫枯れ葉色して帰る 磯貝碧蹄館先生に「眼に映るものだけがすべてではない、心の中の眼でしっかり見なさい」と、貴重なアドバイスを頂きました。 先生は「僕は俳句の中では十九の少年にもなるよ」と、瞳を輝かせ語られたことがありました。厳しかったけれど天真爛漫なお方でもありました。 糸大八氏には「作者が抱く永遠の郷愁感と思われる情調によって俳句が支えられているが、明確な映像化を果たしているものと、そうでもないものとがあるが、漂う豊かな内心の律動感を大切に頑張って下さい」と、貴重なアドバイスを頂きました。今でも感謝しております。 頭上に輝く、ふたつの大きな星が人生を導く羅針盤となり、道に迷わないようにと、私の足下を照らしてくれます。 私の両親は亡くなって久しいです。母は音楽(特に歌)が好きでした。父は詩に携わる仕事をしていたと聞きました。父母にも、この句集を見て欲しいと思いました。 俳句は、ときに人生を豊かに奏でてくれる楽器のような存在だと思います。 これからも季節の移ろいを感じながら、今という一瞬一瞬を大切に俳句を続けてゆきたいです。 ふたたび「あとがき」の言葉を紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 ご本人のこだわりを瀟洒で可愛らしい本として実現してくれた。 ピンク色がメインカラーである。 タイトルはピンクの箔押し。 背も。 帯は鮮やかなピンク。 表紙。 黒猫がかわいいでしょう。 表紙と見返しはおなじレザック系の用紙をつかって、ピンクの濃淡で。 扉も同じ用紙でキラをひいたもの。 本文の各章の扉には、ご友人の佐藤真理子さんの写真をそれぞれ6枚配した。 口絵に絵、各章の扉に写真と入っているのだが、それがすこしもうるさくなくこの句集の世界をより効果的にしている。 木村かつみさんのセンスのよいこだわりが反映されたのだ。 カバーのうしろの折り返しにも黒猫。 こんな風に。 ご自身をとりまく小宇宙をとても大事にされる木村かつみさんである。 その木村かつみさんらしい句集の仕上がりとなったのではないだろうか。 花槐一ト日小さな幸あれば これは木村かつみさんの切なる祈りの言葉だと思った。難病に向き合う日々、大事な人との別れと愛猫の死、ふっと自身の死を思うことも、、、そんなある夏の日に見あげた花槐。空高く涼しげに咲くその花に心がやすらぐ。ほっとするひととき。 「はなえんじゅ」ということばの音がやさしく耳に残る一句だ。 木村かつみさんのこの小さな祈りがいつまでもつづくことをこころより願っております。
by fragie777
| 2018-04-06 20:32
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