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3月5日(月) 旧暦1月18日
夢のように咲いている白梅。 こんなに白い梅の花を前にしているとわたしの身体も浄化されていくように思えてくるのだけど、それはまあ、幻想にすぎない。 しかし白梅ほど花のなかで清潔ということばがふさわしい花はないような気がする。 老いてなほ小さき立志梅白し 深見けん二 句集『日月』より。 深見けん二先生は今日がお誕生日である。 96歳になられた。 その深見先生の第9句集『夕茜』が、誕生日の今日を刊行日として出来上がった。 46判変型フランス装 124頁 本句集は『深見けん二俳句集成』以後の作品305句を収録したものである。 ゆるぐことのない客観写生への信念は、今日までの俳人としての生涯を貫いている。 96歳となられた今も作品はよどみをみせず内側から漲るものがあって力強い。 老いゆくは新しき日々竜の玉 この句を総合誌ではじめて目にしたとき、驚いたことを覚えている。 「竜の玉」という季題のもつ神秘的な力強さが老いのなかにひそむエネルギーと響き合って清々しい一句となった。 俳句があってこその新しい発見の日々だ。 襟元の蟻を叩きて樹を見上げ かぶりつく西瓜の汁や鼻の先 穴を出し蟻一匹に庭動く 牡丹散る忽ち蟻の走り寄り 眼前のものを一瞬にして詠んだ句である。 スローモーションのようにその景が再現されていく。 生命をもったものが命をもったものとして蘇る、俳句という形式のなかで。 それが写生なんだって思う。生を写すことなんだって。 森羅万象の細部にわたって、生き生きと血肉がかよったものたちが詠まれているのだ。 好きな句である。 忌日の句をふたつ紹介したい。 立子忌の過ぎたる杭に蝌蚪一つ 季題はふたつ。立子忌と蝌蚪。これは、〈蝌蚪一つ鼻杭にあて休みをり 立子〉をふまえた一句だ。立子には「蝌蚪」を詠んだ句がいくつかあり、どれもいいが、この一句はとくに蝌蚪のかわいらしさが出ていて好きである。深見先生は、目の前の蝌蚪を見ながら立子を思いうかべている。季題にふれてその俳人が蘇るというのも俳句ならではであり、そしてそれを一句に読み込むことができるというのも俳句ならではだ。 花過ぎて雪の降りたる虚子忌かな これは季題が三つ。季題だけが登場する俳句だ。ある意味すごい。虚子忌は4月8日、この頃は桜の季節であり、桜もおわったかと思うと春の雪がおもいもかけなく降る、そんな時節がちょうど虚子の忌日にあたる。天の采配は人事をこえて計りがたいのが常だ。そのような自然の諸法実相に心を添わせた大人虚子への思いを深くする一句であると思った。 一昨年三月、「花鳥来」の皆様のおかげで、『深見けん二俳句集成』が出版されました。その中に、平成二十六年初夏までの句も『菫濃く』以後として収めました。 その後、家人は癌が放射線治療と行き届いた在宅介護のおかげで安定し、家事を続けることが出来、私もゆき届いた治療やリハビリのおかげで、家で共に生活を続けることが出来ました。外出はままなりませんでしたが、「花鳥来」の皆様のおかげで、何とか従来通り俳句を作り続けることが出来ました。 それらの句は、「花鳥来」「木曜会」の句会に投句して、一年後、四季三十句ずつ「珊」に発表して来ました。 その句が少し溜りましたので、句集としてまとめることとしました。九十五歳の夏までの約三年間の三百五句です。 句集名は、「冬に入る遠山ほのと夕茜」の句から「夕茜」としました。 「あとがき」より。 今日まで深見先生がお元気でおられるのは、龍子夫人の並大抵ではない支えがあってのことというのは誰もがきっとご存じだとおもう。しかし、その龍子夫人が一時入院をされて大変な時があった。わたしたちも傍らでいったいどうなってしまわれるのだろうと、ご夫妻のことを案じたこともあった。しかし、龍子夫人は見事に病に打ち勝って退院されたのである。そのような大変な時を経て来られたご夫妻である。龍子夫人はいまは車椅子の生活となられたと伺っているが、それでも精神的かつ生活的にも深見先生を支え、「まるで少年、そしてわたしは魔女」なんて明るくおっしゃっておられる。 妻の音我が音長き夜となりぬ 病妻を頼みの暮し冴返り 老妻の飾りし雛を今日も見て 桜貝妻の小箱に海の音 「妻」を詠んだ句を紹介した。 龍子夫人との静かで大切な日々が詠まれている。 本当にお二人でお元気でいていただきたいと、心から願う。 ほかに好きな句をいくつか紹介したい。 落葉踏む二人の音の外はなし 臘梅の日陰に落ちて濃く匂ふ 一人よくしやべる三人夏帽子 立ち止る蟻と一緒に考へる 介護士の腕のほどよき日焼かな 木の肌に日の当りつつ時雨れけり 顔セに音を立てたる木の葉かな 雨雫又雨雫初桜 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 品格のある本作りは、君嶋さんならではである。 ビニール掛けとなっているために光ってしまっているの残念である。 本の大きさは、かなり小さい。 フランス装であるが、軽くて読みやすい。 扉に金と銀をまぶした用紙を。 「夕茜」の「茜色」が華やぎを与えている。 風格と優美さを併せ持った仕上がりとなった。 わが頬を燃やし励めと冬日あり 好きな一句である。「わが頬を燃や」すなどという表現、なんて若若しいのかしら。その老いることのない心が深見けん二先生の俳句に向き合う姿勢となる。やや目線を上にして顎をあげて立ち向かわんとしている、カッコいいなあって思う。「冬日」だから背後にあるのは厳しい冬の寒さである。このうちからわき上がってくるような力強さが、深見けん二の俳句なのだとも思う。 思うにわたしは深見先生の「頬」の句が好きらしい。『深見けん二俳句集成』の帯に取り上げたのも「頬」の句であった。 この句も大好きな一句である。(「頬」フェチかな) 仰ぎゐる頬の輝くさくらかな けん二 句集『菫濃く』より。 深見先生、お誕生日おめでとうございます。 心よりお祝いを申しあげます。 奥さまと静かで平安な日々が長く続きますことをお祈り申し上げております。 そしてますます新しき俳句の日々でありますように。
by fragie777
| 2018-03-05 20:42
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