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2月27日(火) 旧暦1月12日
昨夜は帰ってから、雛さまのことすっかり忘れてすでに11時をまわったときに思い出したのだった。 思い出してしまうと、なんだか飾らないことが可哀想なような気がしてきて、しかし疲れた身を押し入れの中に突っ込んでいろいろと取り出すのも大儀だしなあ、とかしばし迷っていたのだが、一年に一度のこと、やはり飾ろうって思って重い腰をあげた。 和風クローゼットと言えば聞こえがいいが、まあ、押し入れであるその奥に身体をつっこんでお雛さまセット道具をあれこれ取りだしたのだった。 取り出し始めて見ると案外大変でもなく、あらら、チョチョイノチョイだったわ。 考えてみるまでもなく、木目込み人形の内裏雛だけである。 ささやかなものだ。 それをつべこべと逡巡していたわけなのね。 更に思いもかけなかったことがおこった。 どこに行ってしまったのだろうと、捜していた洋服が二着埃だらけになって出てきたのである。(おお、こんなところにひそんでいたのか!)とわたしは思いもかけない特典を喜んだのだった。 というわけで飾ったのである。 雛さまを。 これは今朝仕事場に行く前に撮した証拠写真。 どことなく雛さまたちも嬉しそう。 ところで橘と桜の花をどっちにおいていいものか。 左近の桜、右近の橘らしい、が、 あらら、これだと反対らしい。 まっ、いいや、 飾ったんだもん。 近くで見ると傷んだり擦り切れたりしているところがあるのだが、わかんないでしょう。 飾りながら、あることをお雛さまにお願いした。 それは、ヒ・ミ・ツ。 さて、今日は新刊紹介をしたい。 菊判変型ハードカバー装 228頁 著者のすゞき素宇(すう)さんは、1939年東京生まれ、千葉・八千代市在住。2002年に俳誌「銀化」に入会、2007年「銀化」同人、本句集は第1句集であり、序を中原道夫主宰、跋を「銀化」同人で能面師の大月光勲氏が寄せている。大月光勲氏は、すゞき素宇さんの能面の面打ちの師であり、すゞき素宇さんは俳句をはじめるより前に面打ちを習っておられたのだ。跋文によると素宇さんは大変多芸多趣味な方である。そして職業は整形外科医であった。今は体調をくずし闘病をされておられ、本句集をすすめている最中も入院を余儀なくされたりして大変心配をした時もあった。お元気になられたご様子にホッとしている。 囀や待合室はサロン・ド・老(ろう) この人の〝作風〟を一言で言えば〝自然詠〟というよりは人事を通しての〝人生詠〟であろうか。「医術は仁術也」というように単に患部を改善、治すということだけでなく、人々に喜びと希望を与えてきた人だけに、人間の心理を読む洞察力の深さを感じる句が多い。そして特筆すべきは、ウィットを兼ね備えていることだ。 帯に書かれた中原道夫主宰の序文のことばである。紙数をつくしてすゞき素宇さんの句に懇切に触れておられるなかのすこしを紹介したい。 まず句集名である。「無何有」と書いて「むこう」と読ませる。なにやら意味ありげである。ひとつの集名に「無」も「有」もある。 すゞき素宇さんの第一句集「無何有」は集中の「一人往く無何有の郷の枯野人」から戴いたものだが、荘子の言葉で、何もないこと、自然のままで何も作為がないこと、そのような状態や境地を言う。博識の作者は「無何有の郷」の慣用句で使い、所謂桃源郷(ユ ートピア)へ赴く自分を表わしている。万葉集の中にも「心をし無何有乃郷に置きてあらば藐姑射之山を見まく近けむ」(十六・三八五一)とある。藐姑射之山(バクコヤのやま)とは不老不死の仙人の住む山のこと。物の道理を知り、作為のない境地におれば藐姑射之山を近々に見ることだろうと言っているのだ。実はこの作者、医者の無養生・不摂生の見本のような人で、宿痾から心筋梗塞を数回、糖尿病から半眼は失明という崖っぷちを蹴然と生きている人なのだ。 「桃源郷へ赴く自分」を表わしているということ。なんとそれを「無何有」と表するとはずいぶんと垢抜けたイマジネーションだ。しかもずいぶんと重篤な病にも冒されておられるご様子である。 こんなこと再三同じことを言うと、素宇さんには耳が痛いことだろうが、医者の不養生で何度も何度も危険な道を通って来た。心臓を悪くして力の要る「面打」を止めることを余儀なくされた。しかしそれで「俳句」に出会った。糖尿病が嵩じて片眼の明かりを失い、隻眼で大きな天眼鏡を使って句集や本を読む。我々が考える以上にシンドイらしい。しかし、それでも「俳句」を自己表現の最後の〝砦〟だと止めない。凄い精神力だと思う。 序分で中原主宰は心からのエールを送っている。 跋文を寄せられた大月光勲さんは、すゞき素宇さんについてこう書きしるす。 すゞき素宇さんという人を一言で言うならば「粋人」である。本職は整形外科医学博士であるが、俳句を詠み、能を舞い、能面を打たれる。他に吉村 文(ふみ)先生に就いて吉村流地唄舞も習っておられた。クラシックやジャズなども実に詳しい。読書も日本古典文学や中国史書などを精読されている。そして、美食家である。京都の老舗料亭「たん熊本店」に御一緒したときには、店の御主人から「お久しぶり」などと挨拶されていた。噂では、祇園に馴染みの芸妓がいて、京都駅の柱の陰からそっと見送ってくれるのだそうだ。 いやはやなんともの「粋人」である。大月氏の跋文を読みすすんでいくと、能面師であり能を舞う素宇さんの俳句には多分に能の影響がある。というか、能や能面が題材となる句が多いのである。たくさんの例句をあげて解説をしておられるが、一句のみ紹介する。(二重カッコ内は、曲名) めしひにも時分の花はありにけり 『弱法師』 「めしひにも」の句は、盲目の少年の能『弱法師(よろぼし』が下敷きになっている。世阿弥の『風姿花伝』に「時分の花」と「まことの花」との話が出てくる。「時分の花」とは、若い人が誰でも一時は持つ魅力のことで、桜のように散りやすい花のことである。「まことの花」は、稽古と工夫から生まれる花で、枯れることのない花であり、それを得るのは至難なことであると言っている。「弱法師のような盲目の乞食にも、時分の花ならあるぞ」と言っているのである。言い換えれば、病で視力が衰えた素宇さんが自身を弱法師に譬えて、「まだまだ弱法師ぐらいの花ならあるわい」と嘯いているようでもある。 本句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句を紹介したい。 としよりの日に追ひつけずとしをとる 鷽替へて女の唇赤きこと 妻留守の豆名月の酒の嵩 立春や卵を立ててみせるぢぢ 進化ちう行き着く先の紐水着 鮟鱇の福袋ちう腹を裂く 白日傘開けば寄れぬ距離のあり 芭蕉忌や深川飯に葱の青 秋風に人別れさす仕懸けあり 手袋の指の独立確かむる 言の葉の黴を払ひて五十年 白日傘開けば寄れぬ距離のあり わたしもこの句にはチェックをいれた。「白日傘」というものだけを詠んでいるのだが、すでにそこには物語が呼び起こされる。真っ白な日傘をさした麗人がすっくと立って目の前にいる。日傘が開かれていない時だったら、親しく話しかけられたのかも知れないが、もうダメ。無念である。日傘の眩しさだけが目に残る。距離は物理的な距離ではなく精神的な距離、白日傘が放つ魔法だ。で、ちょっと思ったのだけど、自分を少しでも美しくみせるために、白日傘って必要アイテムかも。今度、わたしも活用しようっと。うん?さす人によりけりって、まあ、いいじゃないの、白日傘で商談が成立したら今度報告するわよ。 還暦を過ぎこれまで我武者羅に突っ走ってきた人生を立ち止まり、これからは少し時間に余裕を持って俳句等を作ってみたいと思っていた時、偶然に連れて行かれた市川の小料理屋の女将から「銀化」の存在を知りました。 主宰の中原道夫先生は、堂々たる体軀におおらかなお心をお持ちで、創作の信条は「俳と詩の相剋と融合」、結社は「個性の森」と提唱されています。全国から錚々たる顔触れが蝟集し、侃々諤々の議論は句会や後の酒席にまで及びますが、先生は終始穏やかに接せられ、「来る者は拒まず、去る者は追わず」とまことにお釈迦様の掌のような存在です。(略) 去年の秋までに「銀化」に載った九百余りの句をパソコンで清書して頂き、その中から主宰に三百余りの句を選んで頂きました。そして、編集から装幀まで全て主宰におまかせで発刊の運びとなった次第です。 また望外の喜びとなったのが、大月光勲先生の跋文です。京都在住の日本を代表する能面師で、私の「能面打ち」の師匠でもある先生に、二つ返事でお引き受け頂き、その上身に余るあたたかいお言葉を頂戴して感激しております。有難うございました。 「あとがき」のことばである。 せっかくの第1句集の上梓である。句集刊行を機に少しでもご養生いただき新しい心で俳句に向き合っていただきたいと思うばかりである。 本句集の装丁は中原道夫氏である。 荘重にしてスマートな一冊となった。 表紙の色は日本の伝統色の老緑(おいみどり)をやや淡くしたような渋色で、クロスは光沢のあるもの。 背の文字は光沢のある銀箔。 「無」「何」「有」と平面にななめに空押しがされている。 見返しは、蘇芳(すおう)色。 この蘇芳色は蘇枋の液汁の色で、奈良朝時代からある染料である。 粋人にふさわしい深みのある赤である。 扉。 花切れは飴(あめ)色。 栞紐は代赭(たいしゃ)色。 花布といい、栞紐といいまことに心憎い中原さんのセンスがひかる。 風格と迫力のある一冊となった。 ほかに 蜘蛛の囲に雨の降りゐる休肝日 能果ててちちろと席を入れかはる 女もすなる男結びの雪囲 三椏の花つばらかに見入りたり 通り抜け出来ずに戻る傘雨の忌 「傘雨忌」は久保田万太郎の忌日のこと。「粋人」であるすゞき素宇さんは、きっと万太郎の俳句を愛読しておられることと思う。この一句を読んだとき、わたしは万太郎の「抜けうらをぬけうらをゆく日傘かな」をとっさに思ったのだ。好きな一句である。素宇さんの俳句は抜けられない状況であるが、万太郎の「ぬけうら」の俳句の持っている情緒とよく響き合っている、なぜかそんな思いがしたのだった。この一句、素宇さんの、万太郎への思いが沈潜している。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、前山真理句集『ヘアピンカーブ』よりの一句である。 どこからも狙はれさうな巣箱かな 前山真理 春は小鳥の恋の季節。二羽が結ばれ、卵を産み、雛を育てる。その舞台にと小鳥の恋のために人間が用意するのが巣箱である。ここは芽吹きはじめたばかりの雑木林だろうか。小鳥の愛の巣が丸見えなのだ。句集『ヘアピンカーブ』から。 今日のブログは書き終えた。 さっ、 お雛さまの待っているわが家に帰ろう。
by fragie777
| 2018-02-27 21:00
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