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2月20日(火) 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) 旧暦1月5日
暮れて行く房総の海。 この日のことがどんどん遠ざかっていく。 歌人の高野公彦氏よりかねてよりお願いしていた「北原白秋の百句」の原稿をいただく。 昨年より待ちに待ったもの。 高野氏が書き下ろしてくださった「白秋百首」である。 ドキドキしながらわたしは原稿を読み始めたのだった。 5月には刊行する予定。 出来上がりが今から楽しみ。 新刊句集を紹介したい。 四六判ソフトカバー装クーターバインディング製本 186頁 著者の山田佳乃さんは、昭和40年(1965)年大阪生まれ、現在神戸市在住。平成13年(2001)俳誌「円虹」入会、母・山田弘子に師事、平成16年(2004)年より「ホトトギス」に投句を始め、平成17年「ホトトギス」入会、稲畑汀子、稲畑廣太郎に師事、平成20年(2008)ホトトギス同人、の主宰、平成22(2010)年作品「水の声」により第21回日本伝統俳句協会賞受賞、この年母であり師である山田弘子氏が急逝される。と同時に「円虹」の主宰を若くして継承された。 山田弘子氏の急逝は誰もがおどろいた。わたしも句集のことでお電話をいただいた矢先のこと、その衝撃はいまでも覚えている。なによりもご息女であった山田佳乃さんの驚きと悲しみは語るまでもない。しかも、「主宰」という重責を背負うことになったのである。ホトトギスの稲畑汀子氏、廣太郎氏をはじめ「円虹」の方々のお力添えや応援によって、今日まで来られたことは言うまでもない。主宰となられてよりのこの年、遺句集となってしまわれた山田弘子第7句集『月の雛」をj刊行し、平成24年(2012)にご自身の第1句集『春の虹』を上梓、平成26年(2014)年には『山田弘子全句集』を「円虹」の方々の協力によって刊行した。精力的に仕事をされた佳乃さんだ。そしてこの度の第2句集『波音』である。 主宰を継承されてからの働きぶりはそれはきっと我々が想像する以上のたいへんさがあったと思う。 さらに驚いたのは、「あとがき」によるとこの間、大きな手術もされて「術後左耳の聴力、三半規管を失い、後遺症が残る」ご病気もされたということである。 しかし、いつお目にかかっても、そんな気配を少しも感じさせない山田佳乃さんである。端正で楽しそうですっきりと美しい方である。 そういう時間を経て、この度の句集は生み出されたのである。 波音が好きで遺愛の冬帽子 集中にある句である。句集名となった一句とも。この冬帽子はお母さまの弘子氏のものだ、きっと。神戸に暮らし、宮古島へもよく足を運ばれた弘子氏には波音は常に親しいものだったろう。ぽつんとある冬帽子。母がよく被っていたものだ。少々くたびれていて馴染んでいて、これを被っていた母の姿が蘇ってくる。宮古島へ出かけるときは必ずと言っていいほどこの帽子を愛用していたなあ、帽子は母そのものに思えてくる。母が聞いていた波音が佳乃さんの耳に蘇ってくるようだ。 母の手の仕付を解く春著かな 佳乃さんはよくお着物を召される。弘子氏もご自身で染めたりなさって着物をよくお召しになっておられた。この着物はお母さまが佳乃さんの為に作られたものか、あるいはご自身のために作った着物であるが着ることもなく逝ってしまわれたものかもしれない。春着をひろげてその仕付をとっているときに母が蘇るのだ。母の気配は至るところにあって、それは切ない思いを蘇らせるものでもあるが、一方主宰を継承して頑張っている佳乃さんを励ますものでもあるのだ。 胸瘦せて九月の雨を聞いてをり 冬菊を剪りたるよりの指の冷 人の輪の外にをりけり卒業子 双塔の一つ陰りぬ空也の忌 碑の文字に棲みつき雨蛙 噴水の天辺雨に削らるる 湖北より大綿の空はじまりし 夏蝶の来て枝折戸の開かるる 待ち佗びて皂角子の実のねぢ曲がる 神の島神の鷹てふ句碑ふたつ (宮古島句碑建立) 茶の花の包みきれざる黄を零す ともに河豚食めば心中めきし夜 よく動く寒紅の口見てをりぬ 二ン月の眦少し濡らす雨 片方をいつも探してゐる日永 雨粒のひとつに蟻の捕らはるる 影絵めく人と語らふ十三夜 カーテンに金魚の影の泳ぎをり 「金魚」が季題。おそらくカーテンに泳ぐ金魚を詠んだ句はこれまでないだろう。実際は金魚の影であるけれども。でも、この影、金魚鉢の中にいる金魚以上に自在である。まるで金魚鉢を飛び出て水からも解き放たれて自由にその鰭をひるがえしているかのようだ。大胆に泳ぐ金魚が見えてくる。そして金魚が泳ぎ回っているカーテンの布地までみえるような不思議な一句だ。 第二句集である『波音』は二〇一二年より二〇一六年の三二一句を収録いたしました。 二〇一〇年に母である山田弘子の逝去後、主宰を継承してから、なんとかここまで頑張ってこられましたのは、「ホトトギス」名誉主宰の稲畑汀子先生、主宰の廣太郎先生、会員の皆さま、また「円虹」会員の皆さま、そして俳壇の多くの皆さまの御蔭と心より感謝申し上げます。 私は二〇一二年夏に大きな手術をいたしました。術後左耳の聴力、三半規管を失い、後遺症が残ることとなりました。そんな状態でも、俳句だけは不自由なくでき、積極的にでかけて参りました。満身創痍の状態でしたけれども、今では一見何事もなかったようです。 俳句の御蔭で閉じ籠らずに、吟行に出かけることができて体力も戻ってきたように思います。(略) この五年の間に子育ても落ち着いて参りました。何も出来ない妻であり母親でしたが、家族に支えられておりますことに感謝しております。 『波音』を一つの区切りとして、気持ちを新たに一歩ずつ頑張って参りたいと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本当に大変な5年間であったと思う。 本句集の装丁は和兎さん。 佳乃さんが選ばれたのは、クーターバインディング製本で、色はフランスの伝統色であるところの「BLUE VERT DENSE」 濃い緑がかったブルーである。 和兎さんは、基本この「BLUE VERT DENSE」の色を中心にして外の色合いが入ってくることを抑えた。カバーも表紙もこれ一色のみである。 帯は透明感のあるもの。 見返しは羊皮紙。わたしの好きな紙である。 カバー、表紙、見返しすべて同じ用紙。 扉の上の薄紙。 こんな風に透きとおる。 扉は「BLUE VERT DENSE」に近い色の用紙をみつけ、それに白刷り。 白がどれほどきれいに出るか不安だったが、べたつかず透明感のある仕上がりとなった。 クータ―バインディング製本の特色である背の開き。 背のところにやはり「BLUE VERT DENSE」で印刷した用紙を貼るという凝ったもの。 シンプルで美しい。 山田佳乃さんはとても喜んでくださった。 山田弘子氏は生前よく宮古島へ俳句の指導と創作に出かけられた。 その志をついで佳乃さんも毎年2回、宮古島の子どもたちに俳句の指導のために行っておられる。 その宮古島には、山田弘子氏の句碑が建っている。 その句碑の横に佳乃さんの句碑が建てられた。 蒼海へ鷹を放ちし神の島 弘子 神々の高さに鷹の光りをり 佳乃 ともに「鷹」の句である。 佳乃さんのこの一句、鷹を詠んだ句として素晴らしい一句だと思う。鷹の壮大かつ雄勁にして神秘なる姿が十全に詠まれている。 先日、お電話でお話したとき深見けん二先生が、「この一句、とてもいいですねえ」とおっしゃっていたことを思い出した。 「鷹」の句で並び立つ親子句碑ふたつ。 弘子主宰が生きておられたらどんなに喜ばれたことか。。。。
by fragie777
| 2018-02-20 20:50
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